5.4 すべります、すべります
よく晴れた午後、平和な校庭の一角で、人知れず、閑野ちほと横道灯里が危機におちいっているとき、宝来ゆたかが現れた。
「ゆたかくん」
ちほは動くだけの体力もない。
「ちほさん、海苔は?」
ゆたかはまったく緊迫感のないことを問う。
「はい? 今そんな場合じゃ」
「食堂の人が海苔をわたそうとしてたけど、そのまま出ていっちゃったから追いかけてきたんだ」
2枚の海苔を目の上に当てて、眉毛を表現している。
ちほは残る力をふりしぼって早口で解説する。
「わたしはかわいた海苔をおにぎりに巻くと食べたときに口の上側にはりつくのが好きじゃないので、海苔はしっとり派か、つけないです。以上です」
「了解!」
ゆたかは海苔を口に放りこんで、少しむせる。
「ほら」
ちほがへたりこむ。
「アァアアーカァアアーリィイー!」
ロンリー・グリーンが首を回し、乱入者ゆたかに狙いをつけて、拳をふりおろす。
「カブトムシ!」
ゆたかの突き出した右腕にそって、ロンリー・グリーンの攻撃が流れる。
「いいぞ、カブトムシは有効だ!」
「そういう自信はほどほどに・・・・・・」
誇らしげなゆたかをちほが心配そうに見る。
「ぼくが笑いで天の力を呼ぶから、ちほさんが投げて」
「ただでさえ苦手なのに、今は立つのもむずかしいです」
ちほが弱々しく否定する。
ここで叫んでも校舎には届かない。別の混乱のおかげで諦念科も動けない。
「笑うしかできることないからね」
ゆたかが楽しげに、リラックスして、バカのように笑顔をつくる。
「カタツムリ!」
ゆたかは右手の人さし指と小指を立てたポーズを示す。
ロンリー・グリーンが両手を組んで真上からたたきつける。
絶望的な光景に、ちほが目を閉じる。
轟音と震動があり、おそるおそる目を開けると、地面に2つの穴がえぐれている。
「ナメクジ!」
ゆたかの両脇に穴ができているが、本人と灯里には影響がない。
「どうして・・・・・・?」
驚愕するちほと無関係に、ゆたかは上機嫌で技を繰り出す。
「対人関係がドライなナメクジ!」
腕の筋肉に力を入れて、硬質な雰囲気を表現する。
「アァアーガァアーリィイー!」
ロンリー・グリーンが両手をふりまわす。
緑の腕がたわんで伸びていく。
「でも夜はさびしいナメクジ!」
ちょっとクールな感じで口笛をふく。
念の攻撃はゆたかの体にふれるが、威力を発揮しない。
肉体的な損傷も、精神的な打撃も与えることができない。
それどころか、ゆたかがじりじりと歩を進める。
「押してます。押してますよ」
ちほが弱いながらも歓喜の声を上げる。
「ホタテ貝!!」
両腕で貝殻的な形をつくって、たたきつける。
ロンリー・グリーンが後退する。
「ちょっと失礼」
ゆたかが灯里をまたぎ越える。
「助かるかも・・・・・・」
ちほが目を見開く。
「つづきまして」
ゆたかが軟体動物シリーズから別の形態模写を開始する。
「食パンの袋をとめてるやつ」
足を大きくガニ股に開いて、上体を下げる。
「凹」を逆さにした形になる。
「正式名称バッグ・クロージャーですね、って、前! 前!」
顔を下げているゆたかにちほがあわてる。
「ガァーガァアーリィイー!」
ロンリー・グリーンが腕をしならせてふりまわす。
ゆたかの背中に緑色の鞭が打ちこまれる。
それは流れて、地面にヒビを入れる。
「すべってる」
ちほがおどろきの声をもらす。
大型残念砲弾は手ごたえのなさに不服かのように体をくねらせて、さらに腕で連打する。
どれもが、ゆたかの背中の上をなぞって、地面に落ちる。
「すべってる! すべってる! すべりまくってますよ、ゆたかくん!」
ちほが見たままの状況によろこぶ。
「こんな日も悪くはないかな」
ゆたかが股の間からちほを見る。
「灯里さんをたのむよ。こっちはぼくの秘伝ネタ71連発でどうにかするからさ」
「はい」
ちほが重い体をおして、両手足を地面につけてはう。
見あげると、股の間からのぞくゆたかの顔は汗にぬれ、消耗しているのがわかる。
ゆたかがちほの心配を察知して、先に告げる。
「笑いなんて簡単だよ。笑えばいいんだから」
ゆたかが笑う。
「『先生、うちのワンちゃんがニャーって鳴くんです』、『そんな日もあります』」
獣医シリーズが開幕する。
「『インコの色がぼやけてきたんですが』、『まず、あなたがメガネをかえなさい』」
メガネを手におどろいて見せる。
「『毛が長い犬はたまに刈ってやらんといけませんな』、『先生、それ、モップです』」
モップで華麗に床掃除する。
その動きでロンリー・グリーンがさらに後退する。
上空ではわずかな光がまたたく。
ちほのポニーテールがかすかにふるえる。
「ゆたかくんの技が天の力を呼んでる」
疲れはて傷ついて地面をはいながら、その技を高める方法を考える。
「おもしろいです~」
泥だらけの顔で力なく、それでも無理やりに、ちほは笑顔をつくる。
上空の光が点滅する。
「なんとしたことか!」
電気科の男子生徒たちがもどる。
全員が白い割烹着を着ている。
「巽コスプレを品質改良している場合ではなかったか」
くやしがりながらも、即座に円陣を組んでミーティングを開く。
「直列に整列!」
号令と同時に全員が一列に並ぶ。
「行くぞ!」
先頭の者がかけ声とともに走り、残念の結晶に体当たりする。
「ぬげはっ!」
念の威力にはじかれて、地面にころがる。
「よし、次!」
2番目の者もダッシュしてロンリー・グリーンに突き当たり、はねかえされる。
「みんな、焦げるよ?」
ゆたかが無言の芸「コーヒーと間違えてラー油を飲んだ人」を演じつつ、電気科の危険行動を気づかう。
「この残念は灯里ちゃんのストレスが原因だ。さらにその原因は俺たちだから、俺たちならしばらくは耐えられるはずだ」
男たちはふたたび整列し、先頭の者がロンリー・グリーンにふれる。
「接地放念!」
残る者たちが手をつないで列になり、先頭の男ともつなげる。
他方の先端の者が導念性金属の工具を地面に突きさす。
緑の光が人の列を貫く。
「ででどでで!どでどど!ででど!」
リズミカルな絶叫を発しながら、人間導線が飛びはねる。
「なんという凶悪!」
「さすが俺たちの残念!!」
「感心するほど不快!!!」
自分たちが発生させた残念が増幅され、また自分たちの身を焼いている。
接地点は振動し、びくびくと金具が上下している。
「あだだだだ!」
地面に手をつくちほもいくらか放念の影響を受ける。
ロンリー・グリーンがいくらか小さくなっている。
「どうしたの・・・・・・?」
倒れていた灯里が目を覚ます。
上体を起こそうとするが、体が自由にならず、手で頭をおさえる。
「おはよう! モーニング!」
目前で、ゆたかがすばやく指を動かしながらターンして、一瞬だけ灯里に挨拶する。
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