第8話 ヒメゴト

+side晃


「はい、もしもし」

『あ、晃? 元気してる?』

 さゆが風呂に行っている間、かかってきた電話は母さんだった。ソファに座って応じる。

「元気だよ、俺もさゆも」

『よかった。今度の金曜日帰るって話なんだけど、晃もさゆちゃんも、土曜か日曜って空いてる? 二人とも一緒に』

「今んとこ予定ないけど……さゆは早めに言って置かないと友達との予定入れるかもしれないけど」

 俺も、巽は部活でほとんど埋まっているけど、旭に外へ連れ出されることもあるようになった。

『そう。じゃあ、土曜日は二人とも時間作ってもらえる?』

「いいけど。なんかあるの?」

『それは小雪から話すわ』

『もしもし、晃くん? さゆの面倒見押し付けちゃってごめんね』

『何言ってんの小雪。晃だったら名乗り出るくらいやりたいことよ』

 どうやら向こうはスピーカーで話しているようだ。二人の声がはっきり聞こえる。

「小雪さん? あの……話聞く前に、一つ――いや、二つ、いいですか?」

『うん? どうしたの?』

「旭……青山旭って知ってますか? 前は苗字違ったかもしれないけど……」

『うん。知ってるよ。晃くんとさゆの学校に転校したんでしょ? 旭くんから、私のところへ挨拶来てるよ』

「連絡、取る仲だったんすね」

『……そう言うってことは、さゆと旭くんの関係、聞いたの?』

「はい。旭本人から」

『そう……』

「さゆも、知りました。今日、旭が話しました」

『………』

「さゆは大丈夫です。泣いたけど、今は旭のこと、ちゃんと友達として付き合い出来てます」

『そっか……。晃くんが頑張ってくれたのかな?』

「……。もう一つ、なんですけど……」

『うん』

「さゆと、付き合うことになりました。小雪さんと母さんには、二人でちゃんと話そうと思っていたんですけど、旭のこととか、ちょっと俺だけ知ってることもあったから、先に――」

『よくやった! 息子!』

『わーっ! ありがとう晃くん!』

 ……何故か急に電話の向こうのテンションがあがった。ありがとうって、なにが?

『さゆってば私のあまりよくない恋愛知ってるから、恋愛することに臆病になってるなってのはわかってたの。でも、晃くんなら安心。晃くん、娘のこと、よろしくね』

『晃~、今以上にさゆちゃん大事にしないと私がゆるさないからね~』

「当たり前。小雪さんも、ありがとうございます」

 なんだ。同居ゆるすとか、俺は安全圏に見られていると思っていたけど、二人にはこうなることも想定済みだったみたいな反応だ。

「それで、小雪さんの話って?」

『あー、うん。実はね、私、結婚……しようと思う方がいるの。前から親しくしていた人で、今度帰国したら、さゆに逢わせたいって思ってるんだけど……。さゆ、父親っていう存在そのものを知らないから、どう反応するかなーって思って、ずっと言えなかったの……』

 結婚。小雪さんが。

「……さゆなら、ちゃんと話せばわかってくれると思います。小雪さんが真摯に、相手の方を想っているなら」

『そうよね……。また、さゆにも電話して話しておくわ』

「ちょっと気が早いかもしれませんが、おめでとうございます」

『ありがとう、晃くん』

『晃、私からも話があるんだけど……』

「なに?」

『お母さん、今まで交際を申し込まれても、男に嫌気が差してたから全部断ってきたの。小雪と出逢ってからは、仕事してる方が楽しかったし。でも……縁を感じる方がいたら、……お付き合いくらいはしてみようと思ったの。いい?』

 母さん……。

「当り前。母さんは今まで、十分過ぎるくらい俺の為に生きてくれたよ。だからもうそろそろ、自分の幸せのために生きてよ。俺も、さゆを幸せにするって生き方、見つけたから」

 これから俺は、さゆを幸せにするために生きていけるんだ。

 さゆだから、俺は大丈夫だから。

『晃……』

「でもそういう話があるときはもっと早めに連絡して。さゆに知らせるタイミングも遅すぎじゃないですか?」

『う……ごめんね、晃くん』

「俺はいいですけど。さゆの動揺はあると思ってくださいね?」

『わかってる。母親として覚悟してる』

「なら――

「晃くーん。お風呂いただきましたー。あ、ごめん、電話?」

 タイミングいいんだか悪いんだか、さゆが戻って来た。

「さゆ来たんでスピーカーにしていいですか?」

『う、うん』

 答える小雪さんの声は緊張しているようだった。

「さゆ。小雪さんと母さん」

 手招くと、さゆの顔が明るくなった。操作切り替えをして、スマホをローテーブルに置く。

「もしもし、お母さん? 奏子さん?」

 隣に座ったさゆからふわりと香るものがあって、一瞬ドキッとした。そうだ……さゆはもう彼女だったんだ……。

『さゆちゃん、晃のことよろしくね!』

「はい! って、え?」

「あ、ごめん。付き合うってことだけ話した」

「あ――そ、そっか。うん。か、奏子さん」

 さゆが一気に顔を紅くさせて、スマホに向かって頭を下げた。

「だ、大事な息子さんとお付き合いさせていただきます! よろしくお願いします!」

 ……それは俺が言うべきことのような……。

『ええ。こちらこそ、よろしくね』

『さ、さゆ――私から話すことあるんだけど、今、いい?』

「? うん」

『さ、さゆにはショックって言うか、喜べるだけじゃないかもしれないんだけど……お母さん、前々から親しくしてる方がいて……け、結婚、しようと思ってるの。その人が、さゆのお父さんになることになると思うの……。…………………。こ、晃くん? さゆどうしてる?』

「固まってます」

 石のようだ。

「さゆ。さーゆ」

 顔の前で手を振ると、さゆははっとしたように何度も瞬いた。

「あ、うん、聞いてます……。お母さん、その人のこと、好きなの?」

 さゆの声は落ち着いている。さゆの膝の上でそろえられている両手に、自分の手を重ねた。さゆがこっちを見たから、大丈夫、って、口の形だけで伝えた。

『うん……とっても』

「なら、いいと思う」

『さゆ……』

「あのね? 私、晃くんと二人で暮らしてて、ずっと幸せだった。晃くんとの間は、お母さんたちが繋いでくれた縁だと思ってる。だから……私はもう十分過ぎるくらい幸せだから、お母さんも自分の幸せ、大事にしてあげて?」

 んで、母親たち号泣。シメがつかなくなりそうだったから、俺から通話を終えた。

 もう片手でさゆの肩を抱き寄せる。

「がんばったな」

「うん。晃くんのおかげ」

「……なんもしてないよ?」

「隣にいてくれた」

 そっか……俺がいるのは、ただ『さゆの傍』じゃなくて『さゆの隣』でいいんだ。

「少し忙しくなりそうだな?」

「うん。でも……ちょっと不安だけど、かなり楽しみ」

 そう言ってはにかむさゆ。……うん、大丈夫。

 さゆが、俺の頬に手をのばしてきた。

「晃くん……本当にごめんね?」

「気にしなくていいって。琴には、いずれは殴られるだろうなって思ってたから」

 さゆが大事過ぎて、いつかあいつは強行に及ぶだろうなあ、とはわかっていた。

 頬は、湿布は取れたけどまだあざが残っている。今朝、登校してから少し騒がれて面倒だった。琴の昔のことはバラさないってさゆをいじめに来ていた奴らも約束したから、俺からも犯人は言えなくて誤魔化したけど。

「さゆを護って受ける傷なら、俺には名誉だから」

「でも……」

 さゆのさっきまでの笑顔が翳る。

「さゆ、俺も一応男だから、同級生同士の軽い殴り合いくらいは経験してるから、このくらいであの男のこと思い出したりしないよ。殴られたってこと、心配してくれたんだ?」

「……うん」

「正直、琴の腕っぷしはびっくりするけどな。巽に、琴と殴り合いの喧嘩はするなって忠告しないと、巽がボコボコにされる」

「琴ちゃん……」

「この話はこれで終わり。な?」

「……うん。護ってくれて、ありがとう。晃くん」

 唇の端に笑みをみせてくれるさゆ。こちらこそ、護らせてくれてありがとう。大事だから、俺の手で護りたかったんだ。

「……さゆ、今日から一緒に寝ない?」

「ふえっ⁉」

「なんてーか、母さんたちが帰ってきたらこうずっと二人でいられないだろうし、小雪さんが結婚するんだったら、さゆの生活も変わってくるだろうから……まだ、いつまでかわからないけど、二人っきりも終わりになるから、せめてそれまで、少しでも長く一緒にいたいな、って」

 夜だって、離れたくないって思ったんだけど……。

「う、うん。……私も、晃くんと二人がいい……」

 あ。今、なんか決まった気がする。

「で、でも……」

 頬を染めるさゆは、何を考えているのやら。

「ただ、一緒に寝るだけだよ?」

「だ、だよね!」

 俺が言うと、急に安心したみたいな顔になった。

「いつもの勉強終わったら俺の部屋来て」

「う、うん……」

「ヘンな真似はしないって約束するから。そう緊張するな?」

「だ、大丈夫だよ! 晃くんのこと信じてるから!」

 そうは言ってくれるけど、さゆの表情からはまだ焦りが見える。それも可愛いんだけど……。

「風呂行ってくる。髪、ちゃんと乾かせよ?」

 ……これ以上は、俺が恥ずかしぬ。



「こ、晃くーん」

 ノックとともに、さゆの声が扉の向こうからした。

「ん。どーぞ」

「お、お邪魔しまーす……」

 そろそろとドアが開いて、さゆが顔をのぞかせた。俺はベッドに腰かけて開いていたノートパソコンを閉じる。

「晃くん、お仕事はもういいの?」

「今日の分は終わってる」

「さすが」

 さゆが来てから仕事しているなんてもったいなさ過ぎて、結構前に片付けていた。今やっていたのは明日以降にあげればいい分。

「おいで」

 手招くと、さゆは恥ずかしそうに視線をうつむけ気味で歩み寄って来た。

「晃くん、あのね?」

「うん?」

 何か話があるみたいだ。さゆが俺の隣に腰かける。

「さっき晃くんがお風呂行ってる間に、またお母さんから電話あって……」

「うん」

「ど、土曜日、……お父さんになる人と、逢ってもらえないかって言われたの」

「ああ……」

 さっきは母さんたちが泣きだしたから俺が一方的に通話を終えちゃったけど、休みの日を空けて置けってのはそういうことだったのか。

「それで……私、条件つけさせてもらったんだけど……」

「条件?」

「うん。……晃くんも、一緒だったらいいよ、て……」

「俺? 一緒にいていいの?」

 さゆが、くわっと牙をむくような勢いで振り仰いだ。

「だ、だって! お父さんなんて私全然知らないから何話せばいいかわからないし、そもそも男の人と話すの苦手だし、こ、晃くんがいてくれなかったら不安過ぎて……むしろ晃くんがいてくれたら不安じゃないから一緒にいてください! お願いします!」

 ……やばい。嬉しい。

「わかった。小雪さんはそれでいいって言ったの?」

「うん。さ、さゆの彼氏だから、一緒に紹介しておくのもいいね、て……」

 ……自分で言っといて頬を染めるさゆ。かわいすぎだろー……。

「そ、それでね? 私からも言って置きたいこともあって―――」

「――――」

 続いたさゆの言葉にはびっくりしたけど、心底嬉しかった。

 同じ布団の中に並んで、軽くさゆを抱き寄せるように腕を廻している。

「さゆ、苦しくない?」

「だ、大丈夫……。晃くんこそ腕、しびれない?」

「ないよ。……あー」

「どうしたの?」

「うん、幸せ」

「っ……」

「さゆ、もし先に起きたら俺も起こしてな?」

「いいの?」

「目ぇ覚めてさゆがいなかったら淋しいと思う」

「……逆だったら、私のことも起こしてね?」

「うん」

「……お、おやすみなさい、晃くん」

「おやすみ、さゆ」

 大事な存在を抱きしめて眠る。それがどれだけ幸福なことか……。

 ……泣きそう。



+side咲雪


「さゆおはよー!」

 朝からテンションの高い私のお兄ちゃん。人前でそう呼ぶ気はないし、むしろ旭に向かってそう呼びかけるつもりもないけど、旭の存在する場所が、少し違う位置になった気がする。

「おはよう」

「昨日は晃とキスとかした?」

「⁉ あ、あさ、なに、いっ」

「え? 昨日言っただろ? いじりまくってやるからって」

 何言ってんだ? って顔で言う旭。前言撤回! 旭は私で遊びたいだけだ! お兄ちゃんなんて思ってもやらん!

「旭、うるさい」

 旭が大声で喋っている所為で、クラスの視線は私と晃くんに集まっている。

「晃―。昨日は俺が二人きりにしてやったんだろ? 進捗くらい教えてくれてもいいんじゃん?」

「そういう話したいんなら、あそこで真赤になってるバカップルいじってる方が面白いぞ」

 晃くんが指さしたのは、教室の後ろで固まっている巽と琴ちゃんだった。

 ……?

「晃! 琴が恥ずかしがること言うなよ!」

 巽が、琴ちゃんの耳をふさぐようにして叫ぶ。さりげなく『琴』って呼ぶ仲になったんだねえ。

「三科が恥ずかしがっても別に俺は面白くない」

 ……ここ、仲悪いもんね……。晃くん、そのうち琴ちゃんに意趣返しされるよ。

「琴、大丈夫だから。晃ならあとで俺がシメておくから」

 うん、琴ちゃんの方が絶対巽より強いと思うけどね?

「え、なになに? そこも進展あったの? ねー、相馬さんどう思う?」

「そうだな……琴、あとで咲雪と三人で話そうか」

「俺も混ざっていい?」

「青山、男子禁制だ」

「えー」

 何故か旭と凛ちゃんを中心に賑やかになっていく。琴ちゃんは爆発するんじゃないかってくらい真赤だ。

 私は、そそそ、と移動して晃くんの隣に立った。

 斜めに見上げれば、私の視線の気づいた晃くんが微笑み返してくれた。う、うわ……なんか今のすっごい幸せ……。

「楽しいね」

「うるさくもあるけどな」

 いつの頃からか。

 私たちの周りは、賑やかが日常になりました。


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