第7話 コクハク

+side咲雪


「さゆー。今日さゆん家行ってもいい?」

「えっ、それは――」

 朝、教室に入ってくるなりそう言って来た旭。晃くんから、一緒に住んでいる諸々は旭にも話したって聞いているけど……。

「大事な話があるんだ。晃には了解もらってる」

「話?」

「うん。俺と、さゆのこと――」

 旭の目は、やけに真剣だ。……なんか、はぐらかせない……。

「で? どうしたの、旭」

 リビングに通して、一応お茶を淹れてこようと背を向けたら、旭の声に足が縫い止められた。

「あのね、ずっと黙ってたことなんだけど、俺、知ってたんだ。さゆが、俺の妹だって」

「……へ―――?」

 旭、今、なんて言った?

 自分の顔が、旭の方を向いた。旭は、何か痛いところでも抱えているみたいな顔をしている。

「俺の母さんも、結婚しないで俺を産んだのは知ってるよね? 俺とさゆの血縁上の父親、同じ人なんだ」

 ―――――。

「……うそ」

「本当だよ。さゆのお母さんは知ってる。でも、言わないでほしいって言われてたんだ。俺は、小学校でさゆと逢った時から、さゆが妹だって知ってた。ずっと、兄としてさゆのこと、大事に思って来た。俺が、……もっと早く、名乗り挙げていればよかった。そうしたらさゆ、恋愛感情を置いて来ちゃうようなこともなかったかもしれない……」

 うそ……私が旭のいもうと、って……じゃあ、旭は、わたしの………――――

「旭が、私のお兄ちゃん、なの……?」

「そうだよ」

「うそ」

「さゆ――」

「そんな、こと、今まで一度も――」

 言わなかったじゃない。素振りすら見せなかった。旭が……。

「さゆ!」

「……ごめん、一人にして」

「ただいまー……って、さゆ?」

 悪すぎるタイミングで晃くんが帰って来たのがわかったけど、おかえりも言わずに階段を駆け上がった。自分の部屋に入って大きな音を立ててドアを閉めた。旭が……わたしのおにいちゃん? 旭はずっとそれ知っていて、黙っていたの? そんな……。



+side晃


「さゆ……?」

「晃」

 勢いよく俺の前を横切って階段を駆け上がったさゆ。呆然と階段の方を見上げていると、リビングから旭が出て来た。

「旭……どうしたの? さゆ」

「……言った」

「……は?」

「話した。兄妹、だって……」

「わかった。旭、少し待ってて。時間かかるかもしれないけど」

 自分の鞄を旭に投げて、俺も階段をあがった。旭が小さく、「ごめん、晃」と呟いていた。

 二階にあがると、すすり泣く声がさゆの部屋から聞こえて来た。黙ってさゆの部屋のドアを開けると、ドアのすぐ傍にしゃがみ込んでいたさゆが顔をあげた。涙まみれで、唇を噛みしめていた。

「こ、うくん~……」

「ん。旭は来ないよ。俺だけ来た」

 かすれた声をしぼりだした喉は、傍から見てもひくついている。さゆの隣に膝をついて、右手でさゆの頬に触れる。

「……泣きな」

「………」

「いつまででも傍にいるから、泣いていいよ」

 雷の日、さゆも同じような言葉をくれた。あの言葉に、どれだけ救われたか……。途端、さゆは涙を流し出した。

「ごうぐん~」

「うん」

「う~」

 さゆは、声を押し殺した泣き方をするんだ。全部、自分の身のうちで解決しようとするように。……ちゃんと、気持ちを涙に流してほしくて、そっと抱きしめた。

「こ、……」

「これなら泣いてるとこも見えないから、言ったことも聞き流すから……ちゃんと、泣くんだよ」

 さゆの手が、俺の服を摑んで来た。

「あ、旭、が………」

「……うん」

 それだけ口にして、さゆはしゃくりあげながら泣いた。言葉は、それだけだった。

 どれくらい経ったか、さゆの嗚咽が収まった頃、ゆっくり腕を離した。近くのティッシュ箱から数枚抜き取って、さゆの顔を拭く。さゆはされるがままだった。

「……旭から、聞いたんだ?」

「……晃くんは知ってたの?」

「少し前に、旭から聞いてた。小雪さんから言わないように言われていたって聞いたから、俺も黙ってた」

「………」

「さゆ、旭のこと好きだったんだな?」

「………」

 さゆは答えずにうつむいた。

 俺から続きを問うことも出来ず、これ以上訊いたら問いただすって感じになりそうだから、黙っていた。

「……小学校のころ、旭だけがライバルだった」

「うん」

「旭と競ってるときが一番楽しくて、つられてテストの点数もよくて、……なんか、旭は特別だった」

「うん」

「……好きだって気づいたのは、離れてからだった」

「……そっか」

「うん……」

「旭はさゆが妹だって知って大事にしてたから、あいつは少しタチ悪いな。今度シメとく」

「な、なんで晃くんがそんな……」

「俺の大事な子を泣かせたんだ。そんくらいいいだろ」

「……まさか、晃くんまで私の兄とかいうオチ、ないよね……?」

「それはないよ。俺はちゃんとさゆのこと、好きだから」

 ちゃんと。

「こんなときに言うの卑怯だと思う。でも、旭を好きなままでいいから、誤解はしないでほしい。俺は、さゆのことを一人の女の子として好きだと思ってる。大事な子っていうのも、俺の一番大事な女の子って意味だから」

 ちゃんと、伝えた。……これでいい。想いを残すことはもうな――

「……さゆ?」

 何故か、さゆの顔が紅かった。……こすりすぎたかな。

「晃くん、私のこと好きなの……?」

 ……ああ。急に告られて恥ずかしくなったか。

「そうだよ。たぶんずっと前から好きだったと思うけど、自覚したのはあの、雷の日かな」

 さゆが、俺を護ってくれた日。優しい腕で、抱きしめ返してくれた日。

「~~~私が、旭を好きだったってわかったの、……晃くんを好きになったから、だよ?」

「……は?」

 え……なんか大きなことが一気に言われたような……。

「中学で旭とは離れて、晃くんと出逢って……晃くんはすぐに家族みたいな存在になったから、私も気づくの、遅かったんだけど……晃くんのことを好きなんだって気づいて、それから、同じ気持ちの、もっと小さなものを、旭にも持っていたって、気づいたの」

「え……と?」

 ……どう解釈すればいいんだ?

「私が今好きなのは、これから好きでいるのは、晃くんなの。……旭は初恋だったけど、過去形、なの。晃くんを好きになってなかったら、旭を好きだったってことも気づかなかったと思う。……旭がお兄ちゃんだって知って、旭だけにそんな秘密を背負わせて、私は呑気に晃くんと一緒に過ごして幸せでいて……罪悪感? みたいなのが一気に来てパニック起こしちゃったけど……。晃くんのこと、これからも好きでいても、いい、かな……?」

 ……ほんと? さゆが……俺の、こと……。

「さゆ」

「は、はい」

「俺、さゆのことが好き。俺と付き合ってください」

「わ、私も晃くんが好きですっ。よ、よろしくお願いします……?」

「なんで疑問形なの」

「信じらんなくて……。晃くん、好きな人は作らないし、付き合うとかする気ないって言ってたから……。告白、なんかしたら、晃くん、離れて行っちゃいそうで……」

 ああ……。巽にも指摘されていたこと、さゆの心に残ってしまっていたのか。

「……兄だって旭から聞かされたとき、言われたんだ。『絶対に傷けられないと思うくらい誰かを好きになること、不可能だと思うか?』って。……思わなかった。すぐに浮かんできたのは、笑ってるさゆの顔だった。俺がずっと、さゆを笑顔でいさせるって思った。……約束する。絶対に、さゆのことを傷つけない。泣かせない。だから、これからも俺と一緒にいてほしい」

 ずっとずっと、先まで――。

『絶対に傷つけられないと思うくらい誰かを好きになること、不可能だと思う?』。旭の問いかけは、俺には打撃だった。だってそれは、俺がいつもさゆに対して思って、決めていたことだったから。さゆだけは傷つけない。泣かせない。そして俺は、さゆが好きだって自覚もあった。

 悩み続けていた、俺の中に溜まっていた黒々しいものを解放する答えを、俺はもうとっくに手にしていた。

 絶対に傷つけないと誓って、泣かせないと約束するほど、さゆのことが好きだ。

「……さゆ?」

 さゆが、正面から抱き付いて来た。

「うれしいの。晃くんが……私のこと、好きになってくれたんだって、急に実感がわいてきた」

「……うん。俺も。さゆは旭のこと好きなままだと思ってたから」

「旭のことは……たぶんもう、『お兄ちゃん』って呼ぶことも出来るよ。晃くんが、小学生の時の私の気持ちまで掬い取ってくれたから、こう、ふわっと昇華? しちゃった」

「じゃあそう呼ぶ?」

「……今更恥ずかしい」

「だよな。……落ち着いたら、下行こう? 旭が待ってる」

「……うん」

 抱き付いて来たさゆを、抱きしめ返した。

「さゆ、今日から俺の彼女だってわかってる?」

「……わかってる」

 さゆの声が照れているように聞こえた。その反応からもさゆとの関係が変わったことを実感して、ただ、嬉しかった。



+side咲雪


「さゆ~! ごめん! 本当にごめん! 急に言われてもびっくりするよな?」

「いや、もういいよ旭」

 晃くんと一緒に一階へ降りると、顔面蒼白の旭が駆け寄って来た。

「お母さんが黙ってるように言ったんでしょ? 旭は悪くないって」

「そうだけど――って、なんで手を繋いでいる? 晃?」

「さゆは今日から俺の彼女です。旭も触っちゃダメ」

 こ、晃くん! いきなり宣言して、私の肩を抱き寄せて旭から遠ざけた。

「はあ⁉ おま……マジか! とっちめる!」

「何寝ぼけたこと言ってる。さゆを泣かせたお前の方こそとっちめられるべき」

「~~~さゆ! 考えなおせ! 今ならまだ遅くない!」

「無理」

「さゆ~」

「晃くんのこと好きだから、諦めるとか無理。いくら旭がお兄ちゃんだからって聞けない」

 ふいっとそっぽを向くと、旭の背後に『ガーンッ』って効果音でもつきそうな顔になった。

「さゆに……可愛い妹にふられた……」

「よかったな。もう俺ので」

「……晃っていい性格してるって言われない?」

「言われる」

「否定しろよ! あーもう! おめでとう! よかったな、さゆ! ずっと幸せでいろよ俺のきょうだい達め!」

「あ、旭?」

 旭は急に叫んだと思ったら、鞄を摑んで玄関に向かった。

「あさ――

「出来たてバカップルに関わってるほど俺は寛大じゃありません。明日はお前らいじりまくってやるから覚悟しとけよ」

 捨て台詞っぽいものと、二カッとした笑顔を残して、旭は扉の向こうへ消えた。

「だ、大丈夫かな、旭……どっか壊れたんじゃ……」

 旭の態度の急変に戸惑っていると、晃くんが私の髪をわしゃわしゃと混ぜた。

「大丈夫だろ。旭、メンタル強そうだから」

「そうかもだけど――」

「それより。付き合い始めた日なんだから、もっとこっち見てて?」

「っ」

 ……晃くんが、急に糖度を増した気がします……。



Side旭


 失恋、決定。

「いや、自分から否定しといてそんなんもないんだけどなー」

 一人淋しい帰り道。さゆと晃が暮らしている家から。

「………」

 やべ、さすがに泣きそう。

 ……さゆの幸せを願って来たのは嘘じゃない。でも、本当は。……本当は、俺が―――……。

「お、青山―」

 聞き覚えのある声に振り向くと、相馬さんだった。私服で、コンビニの袋を提げている。

「一人か?」

「あ、うん。さっきまでさゆん家に」

「へー」

 にやにやとする相馬さんの視線が痛い。

「青山さ、咲雪のこと本気だっただろ?」

「………」

 今一番つかれたくないところを……。巽がこういうのを察して回避するのが上手いのと反対に、相馬さんは的確についてくる。

「でも、さゆが今好きなのは晃だよ」

「みたいだね。んで、雪村に譲ったんだ?」

「……相馬さん、二人が付き合うってもう聞いたの?」

「うん、さっき咲雪からメッセージ来た」

 さゆ、取引守っているのか……。律儀だな。

「……じゃあ、俺のことも聞いた?」

「いや? 青山がそこにいたとは書いてなかったよ?」

「………」

 まあ、そうだよな。クラスメイトが兄だった、なんて書かないよな。

「晃なら、さゆのこと幸せにしてくれるでしょ?」

「なに言ってんだ? 咲雪は自分の幸せくらい、自分で手に入れるぞ?」

「……え――」

 だって、晃がいるからさゆはあんな幸せそうに笑ってて――

「幸せなんて他人がくれるモンじゃないだろ。そりゃあ、誰かと一緒――特に好きな奴と一緒にいたら幸せだって感じるだろうけど、それは咲雪が好きな人の隣にいる権利を自分の力で得たからだ。だから、雪村と付き合っていて幸せだって咲雪が感じるのは、咲雪が頑張ったからなんだよ。頑張って、雪村を好きでいたからなんだよ。どういう経緯で付き合ったかまでは知らないけど、咲雪は努力の天才だぞ?」

「………」

「咲雪は頭いいけど、雪村と違って天才型じゃないんだよ。勉強したらその分だけ身になる、ごく普通のタイプ。中学んときからしか知らないけど、咲雪はいつも頑張ってたよ」

 ……俺も、知っているよ。俺に張り合おうと、いつもいつも、他人の何倍も頑張っていた。

「……さゆはいい彼氏だけじゃなくて、いい友達も持ったねー」

「当り前だ。咲雪の友達だぞ?」

 茶化すつもりだったんだけど、相馬さんからは真面目な答えが返って来た。

「んで、青山の友達でもある」

「―――……」

 うわ、それ、すっごいくる……。

「じゃあ今度遊びにでも行くか?」

 相馬さんが、ぱっと気のいい笑顔で見上げて来た。

「晃たちも一緒に?」

「いや、二人で。琴も藤沢がいるし、咲雪は雪村と付き合いだしたわけだし、六人で行ってもあたしと青山があぶれるだろ? だったら最初っから二人で行って遊び倒してこよーよ。青山の気が晴れるまでさ」

 ……相馬さんって、不思議。

「相馬さん、俺ね、ほんとにさゆのお兄ちゃんなんだよー」

「へー。マジか。じゃあ秘密にしなくちゃなー」

「あの、本気で聞いてる?」

「当たり前だろ。青山が自分から話す前にあたしが言いふらせるわけないだろ」

「その割には驚きが少ないような……」

「だって昨日、自分でそう言ったろ?」

 ……え、あれを本気に取っていたの?

「相馬さんって不思議だね……」

「それは初めて言われる評価だな」

「……送ってく」

「いいの? んじゃ、ありがと」

 なんか、相馬さんといると、疲れるけどラクかも。


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