第6話 コイゴコロ

+side晃


 日曜日、今日は俺が食材の買い出しの日。勉強の意欲が増したさゆは、今日は勉強漬けだーと騒いでいた。母さんたちは来週の金曜日に帰って来て、月曜日にまた発つ予定らしい。それが過ぎたら俺たちは夏休みだ。と言っても、ガチガチの進学校だから補講が目いっぱい詰まっているけど。

 相変わらずさゆとの同居は秘密だから、一緒に外を出歩くことはない。さゆは『付き合ってるっぽいこと』ならする気だったみたいだったから最初の頃は、デートくらいは誘ってもいいかなって思っていた。でも、どんどんさゆに惹かれている自分に気づいて、誘うのはやめていた。

 これ以上距離が近くなったら、本気で手放せなくなる。俺と一緒になったって、さゆを幸せになんてしてあげられないかもしれないのに……。さゆのことは、絶対に傷つけないし泣かせないって決めている。でも、好きな人のことを傷つけない自分になれるって、俺は言い切れない……。

 近場のスーパーへの途中にある古書店の店先で、店外に出された書棚を見ている人影に気づいた。

「旭?」

「うん? あ、晃―」

 俺を見た途端、笑顔になって手を振って来た。ほんとこいつ、根がいい奴だと思う。だから、譲れるって思ったんだ。

「旭ん家、近くなのか?」

「うん。今の父さんの実家なんだけどね。晃も近いの?」

「食材の買い出しの途中。ってかお前、目ぇ悪かったんだ?」

 いつもと違うなーと思ったら、旭は眼鏡をかけていた。

「普段はコンタクト。あ、晃、買い出しって急ぎ?」

「いや? そんなことないけど」

「じゃーちょっと話して行かない?」

 晃に誘われて、近くの喫茶店に入った。お互いコーヒーを注文する。

「さゆの家もこの近くだよね」

「あー、……旭に言うタイミング逃してたんだけど」

「うん?」

 巽や琴も知っているし、そろそろ話してもいいだろう。

「今、俺とさゆ、一緒に住んでる」

「……へ?」

「俺の母親と小雪さん――さゆのお母さんが、俺たちの保護者会で知り合って、意気投合して二人で起業したんだ。で、今二人とも海外出張中で、さゆの防犯のためにって理由で、さゆの家で俺も一緒に住んでる」

「……マジで?」

「うん。あと、俺とさゆ、本当に付き合ってるわけじゃない」

「え、うそ……なんで? どういうこと?」

「最初は、俺がさゆのことを『大事な子』って言ったら、クラスの奴らが付き合ってるって誤解して、ならそう思っててもらった方が、俺もさゆも面倒な告白とか受けないで済むからっていうことに」

 簡単に説明すると、旭はしばらく黙ったあと長く息を吐いた。

「マジか……晃ならいいと思ったのに……」

「……それって、旭もさゆのこと……?」

 好きだってことだよな?

 俺が全部言う前に、旭が顔をあげた。

「俺も、黙ってたことがあるんだ。ってか、誰にも言ったことがない話なんだけど……」

「誰にも?」

 それって、さゆも知らないってことか? そういやこいつ、『俺のさゆ』がどうの言ってたな……。

「……晃さ、さゆのお母さんにあったこと、知ってる?」

「ん? ああ……一応、って感じだけど」

 小雪さんと、その彼氏だった男のことだろう。

 小雪さんは大学生の頃、別の大学の同い年の男と知り合って、付き合いはじめた。就職しても付き合いは続いたらしいけど、さゆがお腹いるのがわかってそのことを打ち明けたら、「結婚する気はない」って一蹴されて、そのまま連絡は途絶えた。小雪さんは、さゆが二歳になった頃実家へ戻るまで、本当に一人でさゆを育てて来た……。

 旭は頬杖をついて、手の甲に顎を載せた。

「俺ん家も同じ状況でさー。マジ、父親ほどいらない存在ってないよね」

「それわかる。うちも、父親がすげー酒乱だった。普段はいい人装ってるのに、少しでも酒入ると暴力三昧。サポート系の支援団体が間に入ってくれて、母さんもやっと離婚出来た」

「あー、やっぱそうなんだ」

 と言うことは旭も、俺とさゆの近さの理由にはなんとなく気づいていたんだろう。

「そ。だからさゆはなんか近い存在に思っちまうって言うか。旭の家もそうってことは、さゆも知ってるのか?」

「知ってるよ。さゆが知らないことも、俺は知ってるけど」

「さゆには言わねえの?」

「今はねー。……大事な妹、傷つけたくないし」

 ぽつりとつぶやかれた言葉。……なんか重大な単語があったような気がする……。気を付けて、そこだけ反復する。

「……妹?」

 って、言ったよな? 旭は軽く肯いて、瞳を細めた。

「うん。言ったでしょ? うちも同じ状況だったって」

 妹って……今、さゆの話をしてるんだよな?

「マジ?」

「マジだよ?」

「ってことは旭、さゆと腹違いの兄妹ってこと……?」

「そうそう。さすが晃。呑み込み早いねー」

 いつもの軽い調子の旭。いやいや、そんなレベルで語っていい話じゃねえよ。

「呑み込みどうのじゃねえよ。お前が言ってた大事な子、ってそういう意味なのか……?」

「そうだよ? 俺は小学生の頃からさゆが妹だって知ってたからさ、兄目線が板についちゃって。あ、でもほんとさゆは知らないから、言わないでね? さゆのお母さんに口止めされてるんだ。……さゆも、さゆのお母さんも今幸せそうだし、俺の母親も結婚して、相手もいい人で俺も楽しくやってるからさ」

 小雪さんが……。

「……言わないのはいいけど、母親、再婚したんだ?」

「いや、初婚だよ。さゆのお母さんと同じで、結婚しないで俺を産んだの。さゆの父親がどんな人だったかは聞いてる?」

「……小雪さんから、少しだけ」

「まあ一言で言えば、相当タチの悪い、見た目だけのクズ野郎ってことだね。俺とさゆの生まれた日を考えれば、二股以上してたの確実だし。俺もさゆも外見が母親似でよかったよ」

「……お前さっき、父親ほどいらないものはないって言わなかった? 今の父親は大丈夫なのか?」

「父さんのことは好きだよ? だから父親全部ってわけじゃなくて、俺とさゆの父親は死ねよって思うくらい大っ嫌いなだけ。いい父親と悪い父親といるでしょ?」

 マジか……。旭ならさゆのこと大事にしてくれるって思ったの、まさかこういう理由だったなんて……。

 旭、最初は俺に突っかかってきたけど、それは妹を護る兄として、って意味だったのか?……さゆと旭が、兄妹。さゆはそれを知らないから……例え過去形でも、旭のことを好きで……。

「……なら、いい兄と悪い兄もいるだろ。お前は、相当いい兄の方なんじゃねえの?」

 自分の正体を悟られないように、でも大事にしてきたってことだろ? ……言いたかったんじゃないかな。さゆと、たった二人の兄妹だよ、って。

「……晃、すげーいい奴だね? でさ、今度は兄って立場を明かして訊くわけだけど、さゆのこと好きじゃないの? 恋愛感情ないの?」

 秘密を明かされて、本性は少し大人しい奴なんかな? って思ってたら、相変わらずグイグイ来る。

「………」

「邪魔しないからさー。教えるだけ教えて?」

 ね? とテーブルの上で腕を組んで上体を腕に近づけて、見上げるように見て来た。

 ……教えるだけで、いいんだな?

「好きだよ。でも、好きだから、一緒にいる未来は考えたくない」

「なんで?」

「……言ったろ。俺の父親、すげー酒乱だったって。俺、パッと見も声も、父親似なんだよ……。だから、怖い。好きになって一緒にいる相手を、傷つける自分になりそうで、それが否定出来なくて、怖くて……。だから、さゆのこと、好きだから……傷つけたくないから、一緒にいたくない……」

 だから、

「お前が、さゆの兄じゃなかったらよかったのに……」

「え? どういう意味?」

「旭だったら、さゆの彼氏になっても受け入れられたって言うか……絶対、さゆのこと傷つけないで大事にしてくれるって気がするから……」

 旭に、今俺がいる場所を明け渡す準備を始めていたんだ。

 でも、この話を聞いてしまったら、もう――。

「……大変だね、俺ら」

「……ん」

「ごめん、晃……。俺は、兄としてしかさゆを大事に出来ないよ。小学生の頃、勉強の競い相手になって、いつもついてくるさゆが可愛くて、でもやっぱりそれは妹だって知ってたからだと思う。俺がさゆを幸せにしたい、なんて思ったことないんだよ。さゆを幸せにしてくれる奴をとっちめてやろうとは思ってたけど」

「おま……」

「いやー、だから晃にはつっかかっちゃってねえ。さゆ、晃にだけは笑い方が違うからさ。あ、こいつだなって思った」

「……俺じゃねえよ」

「お前だよ。お前がさゆをどう捉えていようが、さゆが好きなのはお前だよ」

「………」

「晃、さゆを幸せにしたいって、思わない?」

「思うよ」

 即答できる。

「自分以外がそれをしてもいいんだ?」

「………」

 い

「………やだよ」

 嫌だよ。

 旭は、少し身を乗り出して来た。

「晃さ、絶対に傷つけらんないって思うくらい誰かを好きになること、不可能だと思う?」



 ……傘、持ってくりゃよかった。

 旭と別れて、買い物で憶えていたものをテキトーに選んで帰ろうとしたら、スーパーの外は土砂降りだった。……最近の夏だな。

 傘、持たずに来ちゃったから雨宿りしていくかな……。

 右手に袋(さゆに渡されたエコバッグ)を持って突っ立っていると、どうしてもさっきの話が頭の中をぐるぐる回る。

 旭は、さゆの半分血の繋がった兄貴。俺を、さゆの相手として認めていた。

 旭が転校してきた理由は全部今まで聞いたことに嘘はなく、母親が結婚した相手の実家に移り住むため、小学生当時住んでいたこの近くに越して来た。離れても妹のことは気にかけていて、もしさゆがまだこの辺りにいるようだったら、と、巽に連絡してさゆが在籍する高校を知り、そこに巽もいると知って転校を決めた。一年の七月の休み直前っていう妙な時期の転校になったのは、母親の結婚関係の手続きが少しスムーズにいかなかったかららしい。今は問題なく過ごしているそうだけど。

 ……旭も、旭の母親も、俺やさゆや、母さんや小雪さんと近い、大変な思いをたくさんしてきたみたいだ。……旭なら本気で全部譲れるって思ったのに。なんでこんな展開になるかなあ……。

「……くん、晃くん!」

 間近で叫ばれて、思わず肩が跳ねてしまった。え?

「あ、さゆ?」

「もー、傘持って行ってって言ったでしょ? 何やってんの」

「雨宿り?」

「晃くん、最近ボーっとしてない? ほら、帰るよ」

 ……それは少し考えることがあったから。さゆはずいっと傘を差し出してきた。

「一緒に帰って、いいの?」

「また雷鳴って来たらどうするの。早く帰るよ。あ、荷物持つから傘持って。晃くんのが背ぇ高いから、私が持ってたら晃くんの頭に当たっちゃうから」

「いい両方持つ」

「え、それじゃあ私が来た意味がないって言うか……」

「迎えに来てくれたろ?」

 さゆの手から傘を受け取って歩き出すと、さゆも並んで歩く。

 狭い傘の中、傘を持っている方の腕がぶつかりそうで焦る。

 ……旭、いつかは言うみたいだった。ただ、今はそのときではないって感じだったけど。

「ごめんな、さゆ勉強してたのに」

「お互い様です。……ね、腕組もうか?」

「え……どうした、急に」

「この前、ああしてたら雷怖くないみたいだったから」

 そう言って、傘を持っている方の腕に抱き付いて来た。思わず傘が揺れる。

「さゆ、人前でそういうの嫌なんじゃないの?」

「なんかもう、ばれてもいいかなって」

「……さゆ?」

 ほんと、急にどうした……?

「いいから。早く帰ろ」

 さゆが、少し俺を引っ張るように歩き出した。個人的には嬉しいことでしかないから、振り払う理由もない。

「さゆは雷、怖くないの?」

「全然? 落ちて来たら怖いだろうけど、音聞こえるくらいはどうもないよ」

「さすが」

「だから晃くんはいつでも私を頼ってよろしい」

「……頼りにしてます」

 ほんと俺、情けないほどさゆに護られてばかりだ。

 だからせめて、俺がさゆを護りたかった。

 ……カッコ悪いとことか、いくら見せても全部その細い腕に抱きしめてくれるさゆだから。


+side咲雪


 ……やっぱり来たか。

「私たちもね、司さんが雪村くんと付き合うのに反対、ってわけじゃないんだ。ただ、みんなの雪村くんが一人のものになるのが許せないって言うか……女同士だからそう腕っぷしに差もないでしょ? 一発殴られるくらいの覚悟、あるよね?」

 放課後、晃くんの周りの女子の中でも、カゲキな人たちに校舎裏に拉致されてしまった。笑顔で言うけどめっちゃどす黒い笑顔。十人はいるかな……。

「……いいですよ、一発殴って認めてもらえるのなら」

「――ああ、そう。じゃあ雪村くんに愛想つかされるくらい殴っても文句ないんだね?――」

「好きな人を――自分の顔と天秤にかけられません」

「―――」

「顔カタチが変わって愛想つかされるなら、私がその程度、晃くんを好きだったってことでしかないんだと思います。みなさんはずっと晃くんのこと、好きだったんですよね? なら、私が請けるべきものもあると思うから」

「――――っ」

「おーっと、それ、あたしらも混ぜてもらおうか」

「殴り合いなら琴も参戦するー」

 軽い調子で現れたのは、凛ちゃんと琴ちゃんだった。

「相馬、三科……っ」

「咲雪を囲んで歩くの見えちゃってさー。なんだって? 一発くらい殴られろ、だっけ?」

「なら最初は琴―」

 ドカッと音を立てて、琴ちゃんの拳が先陣切って話していた女子の顔の横、校舎の壁に突き刺さる。

「なに? 怖いの? 大丈夫、痛いだけだから。顔カタチが変わるくらいって、歯が全部折れるくらいは殴っていいってことだよね? 今、歯科技術発達してるから心配することないよ?」

「なっ……なに、やばいこと言って……」

「あれー。琴のこと、知らないのかー。八重桜とか、八重桜琴とか呼ばれてたんだけどねー?」

 そう言って、いつも通りの可愛い笑顔と八重歯を見せる琴ちゃん。あの、それって知られたくない黒歴史なんじゃ……。

「三科って……! と、隣町シメてたヤンキーだよ……っ」

 え。

 琴ちゃんってそんなレベルだったの……?

「あ、知っててくれたんだ。嬉しいなー。で? ねえ、どうする? 琴の大事な友達怖がらせてくれた『お礼』、しちゃってもいいのかな?」

「な――友達だからって、あんたは関係ないでしょ! あたしらが用あるのは雪村くんに手ぇ出した司で――」

「じゃあ俺を殴れよ」

 涼やかに響いたのは、晃くんの声だった。私たちを囲んでいいた女子、みんなから喉を引きつらせたような音を聞いた気がする。

 いつも通りダウナーな感じの晃くんだけど、……お、怒ってる……?

「ゆ、雪村く……ちがっ」

「別に違っててもいい。さゆは俺だから、さゆを殴りたいんなら俺を殴れって言ってんだよ」

「わかった」

 何ばかなこと――! って、私が怒る前に、一人が答えて晃くんの方へツカツカ歩き出した。

 そのまま、左拳で晃くんの右頬を殴った。

『………』

「………」

 呆気に取られる女子全員と、私。凛ちゃんだけがため息をついていた。

 晃くんはよろめきはしなかったけど、殴られた勢いで背けた顔を正面に戻すと、ぎっと相手を睨みつけた。

「――ってえな、お前には言ってねえんだよ! 琴ちっともマジメになる気ねえだろ!」

「うっさい! 元々晃が咲雪ちゃんに手ぇ出してなきゃこんなことにもなってないんだよ! 自業自得だ!」

 ……晃くんを殴ったのは、琴ちゃんだった……。

「な、内乱……?」

 女子の誰かが呟いた言葉に、私は内心同意してしまった。うん。

「俺は琴がさゆの親友名乗るのも許した覚えはねえ! 元ヤン傍におけっか!」

「琴こそ晃が咲雪ちゃんと付き合うの許した覚えないもん! 元ヤンの名前で親友護れるんだったら琴はいくらでも利用してやる!」

「こ、こう? こと……?」

 お互い名前呼びに戻ってるー! 普段は二人とも気を付けているからか苗字呼びなんだけど、頭に血が上っちゃっているみたいで名前呼びになってる!

 すっと、凛ちゃんがガイドさんみたいに軽く右手を挙げた。

 そして、特に感情に見えない表情で喋り出す。

「えー、あちらに見えますあちらのおふたりさんは、小学校時代の幼馴染さんらしいです。仲超悪いんで関わらない方が身のためです。南無阿弥陀仏」

 天に召されちゃった……。

「相馬ァ! ややこしい言い方すんな!」

「凛ちゃん! 晃はただの知ってる人なだけだもん! 幼馴染なんて可愛いものじゃないもん!」

「えー、幼馴染さんですらなく、敵同士さんらしいです。なんまいだ」

 ガイドモードで続ける凛ちゃん。れ、冷静だな……。

「琴少し黙ってろ! 話つけに来たのはお前じゃねえんだよ!」

「じゃあさっさっと片付けてよ! 琴は好きな人のために大事な友達諦めたりしないもん! 好きな人のために好きな人諦めたりしないもん!」

 あ―――……。

 今、琴ちゃんが言った言葉。……思いっきり刺さった。

「よう、そこの。雪村が直接話してくれるらしいぜ?」

 凛ちゃんに言われて、びくっとみんなの肩が跳ねた。

 琴ちゃんとの言い合いでヒートアップしてしまった晃くんは、目線だけで人を射殺せそう……。

「――あの元ヤンが言ったように、俺が先にさゆに惚れたんだよ。……さゆは俺だから、さゆを傷つけるのだけは赦せない。どうしてもさゆのことが欲しくて、俺から近づいたんだ。認めてくれとは言わない。でも、さゆだけは……傷つけるのはゆるさない」

「……っ、……ごめん、なさい……」

「その……今まで誰とも付き合わなかった雪村くんに急に彼女が出来て……なんか、認められなくて……」

「私のことだったら!」

 声を張り上げると、視線が一気に私に向いた。――大丈夫。

「私のことだったらいくらでも悪く言って構いません。でも、晃くんのことは悪く言わないでください。晃くんのことは、私が護って行くと決めてるので」

『………』

「晃くんを害するのは、誰であってもゆるさない」

 すっと、右手の指先が絡め取られた。

「うん」

 先ほどとは打って変わって、穏やかな眼差しの晃くんだった。その微笑みに、私も安心する。晃くん、大丈夫だ……よかった……。

「三科!」

 微妙な感じになってしまった空気を壊したのは、巽の一声だった。

「ふ、藤沢く……」

 名前を呼びかけて、琴ちゃんははっとしたように顔を背けた。そ、そうだよね……私を守るためとはいえ、琴ちゃん、知られたくない過去をさらけだしたんだ――

 巽は早足で琴ちゃんのところまでやってきて、前に立った。

「三科。惚れた! 俺と付き合って!」

「……はい?」

 泣きそうになっていた琴ちゃんの顔が、一瞬で呆気に取られる。

「え、ふ、藤沢くん? あの、さっきの琴の……聞いてたんじゃ……」

「聞いてた。晃から、まだ出てくるなって言われてたけど。三科が晃を殴ったのも見た」

「―――――」

 サーッと血の気が引いて行く琴ちゃんの顔。こ、これは私からも謝らないと――

「三科、すげーカッコいい。咲雪の――友達のためにあそこまで啖呵切れるとか並じゃない。すごくカッコいい。すごく可愛い。好きんなった。だから、俺と付き合ってください」

 な、殴ったとこも見たんだろう? ……巽、お前の基準はどうなっている……。

 琴ちゃんの肩が、ふるふる震え出した。

「ざ、ざゆぎぢゃーん! りんぢゃーん!」

「わっ」

「おっと」

 踵を返して突撃してきた琴ちゃんを、凛ちゃんと二人で受け止める。勢いで、晃くんと繋いでいた手が離れる。晃くんが舌打ちしたのが聞こえた。

「い、今の、夢? 幻? 妄想? と、とにかく現実じゃないよね? ふ、藤沢くんが琴なんか好きになってくれるわけないよね?」

「み、三科さん!」

「本当だよ! 藤沢くんに告られたんだよ!」

 ……テンションがあがっているのは、さっきまで私をシメにきていた女子たちだった。何と言うか……みんな、恋バナが好きなだけの普通の子たちなのかな……?

「司さん!」

「はいっ!」

 先陣切っていた女子に呼ばれて、私は思わず背筋を伸ばした。すると、次に視界に入って来たのは腰を折って頭を下げた彼女だった。

「ごめんなさい。司さんが、どれだけ雪村くんを好きか、わかってなかった。私たちじゃ到底敵わないわ……。認めないとか言ってごめん。撤回します。雪村くんの相手には、司さんしか認められないよ」

「あ、はい……ありがとうございます……?」

「三科さんも、相馬さんも、巻き込んじゃってごめんなさい」

 ぽつぽつと「ごめんなさい」って言葉が聞こえてくる。

「あたしはいいよ。ただ、この騒ぎを教師や他の奴らにチクらないってあたしたちも保証するから、代わりにあんたらは、琴の過去に関する一切は誰にも言わないでもらおうか」

 あ、そうだよ。それ、口止めしておかないと。

「それは約束します。……八重桜に目をつけられたなんて、恐ろし過ぎて他言出来ないよ……」

「「………」」

 琴ちゃん、中学時代なにしてたの……。私も凛ちゃんも同時に黙ってしまった。――って、それより!

「琴ちゃん、巽の言葉、嘘じゃないよ? 巽、嘘つくような人じゃないから」

「そうだぜ、琴。今お前、藤沢から逃げてきちまってる状況なんだから、ちゃんと答えないと」

 私と凛ちゃんが、私たちに抱き付いて震えている琴ちゃんに言うと、周りの女子たちからも応援がかかった。

「三科さん! 今答えないと!」

「藤沢くん、待ってるよ」

 どんどんかけられる言葉に背中を押されたか、恥ずかしくなったか、琴ちゃんはばっと顔をあげた。そして目を充血させて、頬も真赤にさせた顔で口を真一文字に結んだ。

「琴ちゃん、言ってきな」

 そっと腕を叩くと、琴ちゃんは軽く肯いた。

「ふ、藤沢くん……!」

「うん」

「こ、琴も――私も、藤沢くんのこと……すきです! ずっと、高校入ってからずっと、好きです!」

「……ほんと? 晃じゃなくて、俺でいいの?」

「なんで晃が出てくるのっ? 琴、晃のこと別に好きじゃないよ? むしろ琴と凛ちゃんの咲雪ちゃんを奪った悪者だよ?」

「だって三科、晃とはよく喋るけど、俺とはあんま喋ってくれなかったから……」

 私と同じ誤解を、巽もしていた。

「それは……ふ、藤沢くんの前だと緊張しちゃうって言うか………藤沢くんと話すの、ドキドキして、口がうまく動かなくて……藤沢くんのこと、すき、だから……」

「……よかった~」

 長く息を吐いて、巽は右手で自分の顔を覆った。

「三科、晃のこと好きだと思ってたから……。三科、俺と付き合ってくれる?」

「わ、私からお願いしたいくらいだよ……! でも、ほんとに琴なんかでいいの? 琴、ヤンキーあがりであんまり素行よくなかったよ?」

「今は違うだろ? 友達のために、だったんだろ?」

「~~~藤沢くん好きです! 大好きですっ!」

 琴ちゃんが、泣きながら叫ぶ。

「俺も、三科のこと好きです」

 つと、巽が琴ちゃんの腕を引いて、自分の腕の中に閉じ込めた。

「ふ、藤沢くん⁉」

「彼女なんだから、泣くときくらい彼氏の腕の中にしてよ」

 ……そう言われて、琴ちゃんはびきっと固まったように見えた。

「なんか二件くらい落着した感じだな」

「だねえ。助けてくれてありがとね、凛ちゃん」

「それは身体張った彼氏に言ってやんな。おーい、あんたら。一応けが人いるから、あたしらもう行っていいかー?」

 と、女の子たちに向かって声を飛ばす凛ちゃん。女の子たちは申し訳なさそうな顔でまた口々に「ごめんなさい」と繰り返した。



 一応保健室で湿布を貼ってもらった晃くんを待って、みんな帰宅路。

「ほら、琴。せっかく恋人になったんだから隣歩くくらいしろって」

「そんな畏れ多い……!」

 凛ちゃんに促されるけど、凛ちゃんの腕に抱き付いてなかなか巽の方へ行かない琴ちゃん。琴ちゃんの巽大好きもここまで来ると微笑ましいなあ。

 晃くんと旭、巽が前を歩いていて、その後ろに私たち三人が並んでいる。

「旭、巽のこと止めててって言わなかったっけ? 俺」

「あれでも頑張ったんだよ? 羽交い絞めにしてたんだよ?」

「お前琴より役立たねえな……」

「晃、毒舌やめて。じゃなくて、大丈夫なの? 頬。湿布貼ってるけど……」

「いなしてこの威力だよ。この暴力女。腕っぷし男並みだろ」

「いなしてたんだ……」

「利き手は知ってたから、俺相手だったらそっちで顔面狙ってくるだろうなあ、とはな」

 ……晃くんと琴ちゃん、まさかだけど小学校時代からこんな関係なわけじゃないよね? 顔面狙うのを予測してたとか……。

「あの、みんなどうしてあそこへ?」

 全員集合だったよね?

「雪村が、連れて行かれる咲雪を見つけて飛び出して行こうとしたのを、あたしと琴が止めたんだよ。真打登場はあとからだろ、って」

「……どういう意味?」

「あたしらのとこから咲雪を連れて行こうなんてバカな真似した奴ら、あたしらがまずシメとかないと気が済まない」

「……凛ちゃん」

「あと、琴のヤンキー時代の片鱗を見て見たかったのもある」

「……本音そっちでしょ」

 思わずじと目になる私。

「まあ咲雪に害なくてよかったよ。琴は彼氏まで出来てるし」

 ぽん、と私の頭を撫でる凛ちゃん。

「害あったの俺だけな」

 前から棘のある晃くんの声。本当だよ。まさか琴ちゃんが晃くんを殴るとは思わなかった……。原因は私なわけだし、帰ったら晃くんにお詫びしないと。

「けどな、巽。お前少しは女見る目養え?」

「なっ……! 晃! 藤沢くんにヘンなこと言わないでよ!」

 結構なことを言った晃くんに、琴ちゃんは言いかかる。けど、何故か巽は照れ照れしている。

「いやー、実を言うと今日ので惚れたってわけじゃないんだよね。前から、晃が時々三科を『琴』って名前で呼んでるの、なんか羨ましくてさ。結構前から好きだったと思うんだよね」

 巽の告白に琴ちゃんはばっと顔を両手で覆った。

「琴、もう死んでもいー」

「琴ちゃん⁉ 巽! 琴ちゃん殺さないでよ!」

「いや、今のはそういう意味じゃないだろ、咲雪」

「そうだよ三科。せっかく、その……付き合えたのに。そんな哀しいこと言わないで」

 巽が立ち止って、琴ちゃんの頭に手を載せる。

「……俺も、琴って呼んでいい?」

「……っ、も、勿論です……っ」

 琴ちゃんはやっと手を外して、眩しそうに巽を見上げている。なんか二人の周りだけ別空間というか、キラキラしてるんだけど……。

「さーて。出来たてバカップルは置いて帰るかー」

 凛ちゃんの毒舌も聞こえていないような出来たてバカップルさん。琴ちゃんと巽は見つめ合ったままだ。巽ならちゃんと琴ちゃんも送って行くだろう。お邪魔虫たちは先に帰ります。

「ねー、巽って彼女いなかったの?」

「「「ないない」」」

 旭の質問に、私、晃くん、凛ちゃんが同時に答える。

「答え揃うってことは……」

「ここ三人と巽が中学一緒なんだ。琴ちゃんは高校から」

「なるほど」

「巽は中学んとき、部活最優先で彼女とか作らなかったから」

「あ、巽らしい」

 晃くんの答えに、一発で納得する旭。巽も、晃くんほどではないけど、結構告白されていたみたいなんだけどね。

「晃が三科さんを名前呼びしてたってのは? まさか元カノ?」

「んなわけあるか。小学校が一時期一緒だったってだけだ。それ以降の素行の悪さを知ってるから、ばらされたくないから知り合いだって言うなって脅されてたんだよ」

「……」

 晃くんに言われて、ちらっと旭が琴ちゃんたちを振り返った。さっきの場でのことを全部聞いているみたいだから、今更隠してもどうしようもないか……。

「でも、そういう巽が好きになって告白までしたってことは、三科さん相当すごい人だね」

「琴ちゃん可愛いでしょ⁉ 天使レベルなんだから!」

「さゆ、今度一緒に眼科行こうな? 視力検査とか色々してもらった方が絶対いいから」

「晃くんどういう意味⁉」

「つまり晃は三科さんに妬いてるわけだ」

「そんな低レベルじゃない。琴はさゆに悪影響与える気しかない。危機を感じてる」

 ほんとどういう意味だ。旭が凛ちゃんの方を振り返って来た。

「相馬さん、つまり晃は重症ってこと?」

「そうとしか言えんだろう。あたしも最近呆れて来た」

 ふう、とため息をつく凛ちゃん。……どういう意味だ?

「あ、旭の家ってうちより先なの?」

「うん。相馬さんは送り届けるよ」

「青山って色々スムーズなのな」

 うちの前についたから旭と凛ちゃんに手を振って、晃くんと一緒に家に入る。……まずは土下座して謝らなくちゃ……。



+side旭


「邪魔とかしなくていいの?」

「なんの?」

 流れで一緒に歩くことになった相馬さんは、のんびりした口調でそんなことを訊いて来た。

「あいつら。一緒の家に住んでるとか、青山的には大丈夫なんかなーって」

 ……的確だな。

「全然大丈夫じゃないね。心配過ぎる」

 可愛すぎる大事な妹を持つ身としては。

「ああ、やっぱお前――

 と、相馬さんが言いかけた。それは否定しておいた方がいいよな?

「あ、いや俺のはそういうんじゃなくて」

「好きなのか。雪村を」

「……は? 相馬さん、何て言った?」

「雪村のこと好きなんだろ? だから咲雪に嫉妬してる」

「……相馬さんって腐女子?」

「違うけど。あたしはノリで話すのが好きなだけ」

「悪質な……」

 性格をしているなあ、この子。そして続けてにやにやしないでほしい。

「あたしがタチ悪いの生まれた瞬間からだ。な、マジで雪村狙いなんか?」

「そんなわけないだろ。俺はそういう趣味の人じゃないです」

 ……なんで妹の親友にこんな説明を……。

「なーんだ。じゃあ雪村に妬いてんのか?」

 なんだ、ってどういう意味? そんなつまらないものの感想みたいに言われても……。

「ねえ相馬さん」

「なにかな青山」

「俺の耳がおかしくなかったら……さゆと晃、さっき告白し合ってたよね? お互いに向けてじゃなかったけど」

「青山にも聞こえてたんなら、あたしの幻聴でもなかったんだな」

「うわー! 心配過ぎる!」

 こ、晃はいい奴だと思うし、さゆの相手としても花丸だと思っている。でも……心配だー!

「青山、顔真っ青だぞ? 生きてるか?」

「うん……生きてます」

 や、やっぱ邪魔してくるべきだった? 今の感じだと、本当に付き合いだしてもおかしくないって言うか、むしろそっちのが正しい流れ? な気さえする……。

 さゆー!

「青山……お前愉快な奴だなあ」

「……それ、晃にも言われてたから複雑なんだけど……。さゆと晃って、ほんとにまだ、ちゃんと付き合ってないの?」

「今のところ咲雪から追加報告ないから、まだだろうな」

 と、ポケットに突っ込んでいたらしいスマホを取り出して画面を見る相馬さん。

「追加報告?」

「咲雪が雪村と一緒に住んでるって隠してたから、今後は起こる総てを報告するって約束させた。今んとこ連絡ない」

「………」

 取引?

「と言うわけで、まだ雪村のじゃないから青山にもチャンスはあるわけだけど?」

「いや――俺のさゆへのそういうんじゃなくて……」

「ないのか?」

「あ、あえて言うなら、可愛すぎる同い年の妹を持った兄の心境、みたいな感じだな!」

 みたいな感じじゃねえだろ俺! 真実伝えてんじゃねえか!

「なるほど。咲雪が大事過ぎてバグ起こしてるんだな、青山の頭は」

「………」

 俺のさゆ大事がバグで処理された……。

「まあ、咲雪も雪村もいい奴だから、心配すんなって」

 バシッと背中を叩かれた。

「あ、ありがと……?」

「おう」

 あー……ほんと心配。でもほんと、晃もさゆもいい奴なんだよなー……。

 今、秘密を持っているのは俺だけで。

 晃も巻き込んで秘密の共犯者にさせてしまっているけど。

 ……知ったら、さゆはどうするんだろう。


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