第5話 ヤクソク

+side晃


 ……翌、朝のホームルームが始まる前、隣からやたら視線を感じる。

「……なに、青山」

「いやー、晃くんってほんとキレイな顔してるよねーって思って」

「……それ、最悪」

 俺は、自分のツラと声ほど嫌いなものはない。

「あ、そうなの? ごめん、不躾に」

 あ、引くんだ? 深くツッコんで来なかったところは好印象だ。ツラと声は俺の地雷だから。

「晃くんてさ、さゆと一位争いしてるんだって?」

「……別に、そんなんじゃない。周りがそう取ってるだけ」

「そうなの? でも付き合ってるんでしょ?」

 さゆ、青山には話してないのか。本当に付き合っているわけじゃないって。昨日、俺をさゆの彼氏だと名指しした三人はそれを知っているんだけど。……もしかして青山っていじられるタイプなのか?

「………」

「答えナシ、か……。駄目だなあ。ちゃんとさゆのこと好きだって断言してくれる奴じゃないと、俺の大事なさゆはあげらんないなあ」

「……は? お前、何言って――」

「言った通りだけど? さゆは俺の大事な子。だから、晃くんにはあげない」

 ……は?

「さゆはモノじゃねえ。お前にそんなこと言われる筋合いもない」

 思わず青山を睨みつけると、青山は怒るどころか満足そうな顔をした。

「やっとこっち見たね」

「……は?」

「晃くん、ずっと俺から視線外してるから、なんか悪いことしちゃったかな~って不安だったんだよ。もしかして、小学生の頃にさゆとライバルだったとか、晃くんには嫌な話だった?」

「………」

 お前がさゆの初恋だって知って更にイライラが増しただけだ。……とは、言わないけど。

「さっきの言い方。お前がさゆの彼氏みたいに聞こえてイラッとした」

「あ、あ~ごめん。あれは彼氏って言うよりはむしろ――」

「むしろ、なに?」

「……ごめん、今は秘密」

「煮え切らねえな」

「ごめんねー、昨日の巽の言葉でわかったと思うけど、うちもちょっとややこしい感じの母子家庭でさ。さゆの家と似た感じだったんだ。だから俺が勝手に、さゆには親近感持ってて」

「今のさゆの彼氏は俺だけど?」

「うん、そこはわかってる。さゆがあんな幸せそうにしてるの、きっと晃くんのおかげなんだろうなって」

 そう言って、自分の席で琴と相馬と話しているさゆの方を見る青山。……その目が、やたら穏やかで優しく見えた。……愛しいものでも見るような、慈しみの目だった。

「やらんぞ」

 反対に、機嫌の悪い俺の声は冷えている。

「晃くんからさゆを奪おうなんて考えてないよ。ただ、『俺が持ってるさゆ』をあげるには、晃くんはまだまだってこと」

「……小学生の頃のさゆ?」

「それもあるけど。巽も知らない『俺のさゆ』がいるんだよねー」

「……腹立つ」

「はっきり言うねー。俺、結構晃くんのこと好きだわ」

「……男に好かれる趣味ないんだけど」

「俺もそんな趣味ないけど。言うならそうだな――晃くんっていい人だね」

「……それはどう返せばいいの」

「あはは。返さなくてもいいよ。笑い飛ばしてくれれば」

「………」

 なんつーか、こいつは摑みづらい。でも、嫌いなタイプじゃない。

「旭」

 名前で呼ぶと、ばっとこっちを振り向いた。驚きの顔で。

「なに。名前で呼べって言ったのそっちだろ」

「いや、そうだけど――晃くんから呼ばれるとは思ってなかった」

「青山のがよかった?」

「旭がいいです」

「俺も呼び捨てにしといて」

「……晃?」

「うん」

「……ほんといい人だね」

「旭は愉快な奴だ」

「あれ、俺との評価に温度差を感じるような」

「気のせいだ」

「そっかー」

「……なに二人でコントしてんの?」

「巽お帰りー。朝練お疲れさまー」

「おはようの間違いだろ、旭。なに? 晃と仲良くなったの?」

「もはや親友の域だ」

「そうだったの?」

 胸を張った旭が、俺の一言でしぼんだ。

「……晃、ノリ悪い」

「いや、実はこいつ相当ノリいいよ。顔面がついてこないだけで」

「顔面」

 ぶはっと旭が吹き出した。どーいう意味か、巽の奴。

 ふとさゆの方を見ると、三人がこちらを見ていた。さゆの姿を見るだけで口元がゆるむ。それを巽と琴には「にやけてる」って言われるとはわかっているけど、どうにも自分では抑えられない。

 ……昨日、さゆは旭のことを過去形だと言った。でも、また好きになることだってないわけじゃない。

 ……旭なら………。



+side咲雪


「あ、お母さんからだ」

 お夕飯もお風呂も終えたリビングで、私は参考書とにらめっこ、晃くんはノートパソコンで会社のバイトをしている。私がソファで寝落ちして転げ落ちかけるという失態してから、寝る前のこの時間、私たちはソファに背中合わせで座るようになった。

 あの日の翌日、なんとなく私が横向きに座っていたら、晃くんが背中合わせに座ってきたのがきっかけ、かな。晃くんの顔は見えないから、ドキドキして勉強の集中出来ないなんてことはなくて、むしろ背中伝いに感じる晃くんの体温と心音は、私をとても落ち着かせてくれた。少しはドキドキするけどね? 晃くんにはヒミツだけどね?

「なんて?」

 背中越しに晃くんが訊いて来る。

「お母さんと奏子さん、再来週に一度帰ってくるって。またすぐ戻るって書いてあるけど。晃くんの方には来てない?」

「ん、ちょっと待って」

 と、晃くんがリビングのローテーブルに置いてある自分のスマホを取った。

「……母さんからだ。気付かなかった」

「あとで怒られるよ? なんて書いてある?」

「ん。同じ内容。一時帰国。またすぐ向こうに戻るって」

「二人揃って帰ってくるってどうしたんだろうね? お仕事終わったわけじゃなさそうだし」

「なんだろ。平日に帰ってくるから、迎えはいいって」

「その日、ご飯少し作り置いた方がいいかな?」

「そうしとくか」

「………」

 ぽすん、と晃くんの背中に寄りかかった。

「さゆ?」

「うん。いや、なんか急に来ちゃって」

「なにが?」

「お母さんたちの出張が終わったら、晃くんと二人の生活も終わっちゃうんだなー、って」

「……ああ」

「あはは。晃くんは淋しくなんかない――」

「ずっと、このままだったらいいのにな」

「……え、晃くん?」

「さゆと二人って、楽しいしいラクだし」

「……うん。私も、晃くんと暮らし始めてから、ずっと楽しかったしラクだったなー」

「……さゆ」

「なに?」

「――――……いや、なんでもない」

「そう? ……ねえ、晃くん。この二人暮らし? が終わったら、どうする? 付き合ってることにしてあるの」

 背中を合わせたまま、話を続ける。

「あ、ああ……」

「お母さんたちまで嘘つき通すのは無理だよ?」

「うん……」

 なんだろ、晃くんが生返事だ。今はこの話題に気が向かないのかな?

「さゆ」

「ん?」

「いや――……さゆは母さんたちの仕事には興味ないのか?」

「仕事? 興味ないわけじゃないけど……どうしたの?」

「会社、今人手探してるから、もしさゆがの気が向けば、俺みたいなバイト感覚でやってみるのもいいんじゃないかって」

「それは……すごい魅力的なお話……」

「やってみたいことはやってみたいんだ?」

「うん……晃くんがお手伝いしてるの、いつもカッコいいなーって見てたから。……でも、今は無理かな。晃くんみたいに器用じゃないから、まだ成績を維持するだけで精一杯。お母さんとは大学までは進学するって約束してるから、大学に入って、そのときも募集してたら……って感じかな」

 正直、仕事をするってこと自体にも憧れはあるし、晃くんみたいに自分での稼ぎがあるっていいなって思う。高校はバイト禁止じゃないけど、お母さんと、高校と大学へは行くって約束している。大学も公立――出来たら国立を狙いたいから、成績も落とせない。その間でバイトをするのは難しい……。お母さんとは、バイトよりも学業優先するとも約束しているし。

「そっか。さゆが一緒ならもっと楽しくなると思ったんだけど――」

 たぶん、晃くんとしては何気なく言った言葉だと思う。でも、私のスタートボタンを押すには大きすぎるショックだった。

「だ、大学! 大学行ったら絶対お母さんたちの会社のバイトとして雇ってもらう!」

「……いきなりどうした」

「晃くんと同じ仕事したい! だから今は成績落とさない! 勉強に集中する!」

「そ、そうか……びっくりした……」

「晃くんでもびっくりすることあるんだ?」

「そりゃあ俺も人間だから。でも、楽しみにしてる」

「うん!」

「ちなみにさゆって志望校決めてるの?」

「うん、国立の――――」

「あ、同じとこ」

「晃くんも? 第一志望?」

「そう。俺も合格するしかなくなったなー」

「私も絶対合格する! これからも試験、負けないから!」

「それは一度でも俺に勝ってから言いな」

「晃くんに並んだことはあるよっ」

「旭も参戦してきそうだな?」

「今のライバルは晃くんだから、晃くんに負けたくないの!」

「――――」

「と言うわけで、勉強再開!」

 俄然やる気になった私は背後で晃くんが固まっていることにも気づかず、うおおおおっ! と参考書のページを繰っていた。



+side晃


 あ……っぶねー。今俺、本気でさゆに言いかけていた。

『このまま結婚して一緒にいるか』って。

 ……俺はどこまで短絡思考なんだか。

 好きな子なんて作らないって決めていてさゆにもそう宣言してあるのに、さゆのこと好きになっていて、付き合うとかすることもないって言ったのに、建前でもさゆが『彼女』で。

 自分で決めていた生き方が、どんどん壊れて行く。それが怖いわけじゃない。ただ、不安になる。それを壊したのが全部さゆだから、さゆのことを手放せない自分になりそうで。

 この距離を。

 一番近い距離を、背中合わせでいられる場所を、いつか現れるさゆの一番大事な奴に全部譲るって決めて、俺はここにいるはずなのに。

 ……全部、本当に、俺のものにしたくなる……。

 危ない、よな……。早いとこ、明け渡さないと。今一番、さゆに近づいているあいつに。……あいつなら、さゆのことを一番大事にしてくれるって、なんとなくわかったから。

 早く、さゆを俺から解放しないと。


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