第4話 シアワセ

+Side晃


 さゆが俺の『彼女』になってから一週間。今のところさゆに嫌がらせもないし、俺が告白されることも、さゆに言い寄る奴もいなくなった。俺は正真正銘さゆを好きなわけだから、さゆの優しいところを利用しているわけだけど……。まあ、恋愛偏差値を放棄しているさゆだから、ぶっちゃけまだ手も繋いでません。ただ、学校でも『さゆ』って呼んで、一緒にいるようになっただけ。それだけでも、巽や琴に呆れられるくらい俺は機嫌がいいらしい。

「おにーさん、にやけてますよー」

「うん、自覚ある」

「あんのかい」

「咲雪ちゃん見てにやけるのやめてよね? まだ琴と凛ちゃんの咲雪ちゃんなんだから」

 巽と琴からは厳しめの発言。

 さゆ、俺と一緒に住んでいることを琴と相馬に黙っていて、二人に相当拗ねられたらしい。詫びに、これからは全部報告すると約束させられたそうだ。だから、俺とさゆが本当に付き合っているわけではないと知っている。そうしたら俺も巽に言わないのはなんか落ち着かなくて、男友達では巽だけには話してある。その関係もあってか、この五人でいることが多くなった。

「あ、雪村」

 今朝は、朝練のなかった巽も一緒に登校していた。廊下を歩いていると、俺たちの担任の教師に呼び止められた。なんで俺だけ?

「なんですか?」

「あ、みんなもちょうどよかった。今日転校生がいてさ。うちのクラスに入るから、まあよろしくってことを言って置きたくて」

 ……んで、なんで俺? 心の声が顔に出ていたのか、担任は続けた。

「その生徒が編入試験満点クリアだったから、雪村や司の新たなライバルになるかなーとな」

「はあ」

 ……俺のライバルとか、さゆだけで十分すぎだし。

 なんとなくイライラを引きずりながら、教室へ向かった。……ああ、独占欲ってこういうときに出るんだ。さゆは俺のじゃないのに、さゆのライバルって言われるのは俺だけでいいって思ってしまった。ガキくせー。

 ……そんなモヤモヤを抱えたままの朝のホームルームが始まってすぐ、俺は不機嫌になった。

「青山旭(あおやま あさひ)です。よろしくお願いします」

 テンプレートな自己紹介をした転校生。ガタッと、少し離れた席から大きな音がした。

「旭⁉」

 え、と顔をあげれば、声の主は目を輝かせたさゆだった。

 ……誰?

「あ、おーい、さゆー。巽もいるー」

 やたらニコニコしている転校生に名前を呼ばれたさゆと巽。

 ……は?

「へー。咲雪と藤沢の同級生」

 ホームルームが終わってすぐ、さゆと琴、相馬と巽が俺の近くに寄って来た。転校生が俺の隣の席になったから。

 さゆの同級生って……。巽が大きく肯く。

「そ。小学校ずっと一緒。中学が別になったんだけど、こいつ咲雪ばりに頭よくてさ。咲雪と旭でいっつもどっちが点数いいかーとか、早く課題終わらせたーとか競ってたのな」

 ……もしかしなくてもこいつか。前にさゆが言っていたヤツって。

「あー、懐かしいねー。さゆ、また勝負する?」

「する! ちゃんと旭も負かしたい!」

 ………。

「なーんか、やたら仲いいね? あの二人」

 相馬が、親し気に話す二人を見てつぶやいた。……俺もそう思うわ。

「仲いーよ。咲雪が女子に距離を置く原因になった奴だけど、それから助けたのも旭だし。そういや小学校時代、咲雪のこと『さゆ』って呼んでたの、旭だけかも。……な? 晃くん?」

 ……俺を見てにやにやするな。

 ……なんかついでに琴と相馬までこっち見て来るし。さゆと青山は仲好さげに話してるし。

 あ、と巽が声をあげた。

「なー旭。青山って苗字ってことは……」

 巽がそう言うと、青山が振り返った。

「うん。母親が結婚したの」

「あ、やっぱ。おめでとう?」

「ありがとー。あとさ、俺まだ『青山』って苗字に慣れてなくて、出来たらみんなにも『旭』って呼んでほしいんだけど」

「複雑みたいだね。ってか、よく咲雪と藤沢がいる学校に転校になったよね」

 相馬が腕を組みながら言う。

「あ、それは仕組みました」

 ……は?

「母さんが結婚して母校の小学校が近いこっちに来ることになったんだけど、どうせだったらさゆと同じ学校がいいなーって思って、巽に訊いたんだ。そしたら巽も同じ学校だって言うから、これはここしかないなって」

 ……さゆを狙ってここへ来たってこと? ちょ、ふざけんな――。

「青山、言っとくけど咲雪、彼氏いるからね?」

「えーと、相馬さんだっけ? 青山じゃなくて――」

「別にいいじゃん。新しい苗字にも早く慣れた方がいいでしょ?」

 相馬フリーダム。こいつに抗うだけ無駄だとは俺もよく知っている。青山は困った顔になった。

「うん、まあそうかな。で、さゆに彼氏いるって話だっけ?」

「そう、さっきから一言も喋らないこいつ」

 と、巽と琴と相馬、三人が俺を指さして来た。

 青山は俺をじーっと見た後、さゆを見上げた。

「さゆにこんなイケメンの彼氏……。さゆ、惚れ薬でも盛ったの?」

「さすがにひどくない⁉」

 さゆが大きく反発した。どういう意味だ青山。

「そうだね、惚れ薬を盛るんならむしろ雪村くんがやりそうなことだし……」

 琴もひでえよ。

 けど、そんくらいしないとさゆは俺を見ないような気もする……。

「えーっと?」

「……雪村晃」

「晃くん。さゆ繋がりでよろしくー」

 笑顔で一方的に手を取られ、握手した形でぶんぶん振られた。

 ……晃くんて呼ぶな。腹立たしい。



「やー、旭が同じ学校になるなんてびっくりだったよー」

 帰ってから、いつものように並んでキッチンに立つ。今日はクリームシチュー。さゆは今日ずっとご機嫌だ。俺の不機嫌も知らずに。

「仲いいんだな」

 ……少し嫌味っぽい口調になった気もするけど、さゆは全然気づいていないようだった。

「まー昔馴染みって奴だからねー。最初のライバルだし」

 ……やっぱ、さゆもそういう認識なんだ。

「でも、今は晃くんがいるから」

「………」

 え?

「晃くんがライバルだから、今すっごい楽しいんだ。おまけに? 一緒に暮らしててとっても幸せだし」

「―――」

 ……そ、そういう可愛いことを言うな……。

「晃くん?」

 黙り込んだ俺を不審に思ったか、さゆが顔を覗き込んでこようとした。慌てて更に顔を背ける。

「……晃くん?」

「あんまり」

「ん?」

「……そういうこと、言わないで」

「あ、ごめん……」

 ――しまった。さゆの声のトーンが落ちた。自分の失態に気づいて、慌ててさゆの方を見た。

「さゆ、今のは否定じゃなくて――」

「ん?」

 見上げて来たさゆの目元が潤んでいるのが見えて、さっきまでの嫉妬が全部すっ飛んでしまった。

 泣かせないって、傷つけないって言ったのに。

「――俺も幸せだから!」

「……へ?」

「その、なりゆき? だけどさゆと一緒にいられて、俺も幸せだから。だから、今のは照れ隠しって言うか恥ずかしくて――」

 って、俺は何を口走っている。柄にもなく大声をあげてまで。――そうまでしてでも、さゆを泣かせてしまったことを取り返したかった。

「……ごめん、俺、ほんと感情表現ヘタで……」

 頭を抱えたくなるくらいだ……。

「……晃くん、こっち来て」

 さゆに腕を摑まれて、ソファの方へ連れて行かれた。

「こっち。横向きで座って」

 謎の指示をされて、でも今、分が悪い身として素直に言う通りにした。

 二人掛けのソファの右半分に横向きに座ると、さゆが反対側――背中を合わせて、俺の反対を向いて座った。……さゆの顔は見えないけど、直に体温がわかる。これもなかなか気恥ずかしいんだけど……。

「嬉しかった」

「……え?」

「晃くんが幸せだって言ってくれて、嬉しかった。私、心を開いて話せる人って正直少ないし、凛ちゃんや琴ちゃんにも全部は話せてないし。……私のこと全部知ってるのは晃くんだけで、自分から話したのも晃くんだけだから、その……私が重荷になってないかなって、ずっと心配だった。だから、一緒にいて幸せとか、言ってもらえてうれしかった。……今から泣くから!」

「なんでっ」

「うれし泣き! うれし泣きなら、泣いてもいいでしょ?」

 いい、のか……? でも、それはさゆを傷つけているわけではないから……。

「……いいけど、この格好で?」

「泣いてるところ、ライバルに見られたくないもん。でも晃くんの所為で泣くわけだから、傍にいてほしい」

「複雑だな……。でも、さゆのことなら何でも責任取るから、いくらでもどーぞ」

「……途中でいなくならないでよ?」

「ならないよ。ずっとここにいる」

 ずっと、いくらでも、さゆに俺が必要なくなるまで。

 ……ずっと、さゆの傍にいるよ。



+side咲雪


 ――不覚。気付いたら、ソファで寝落ちしてしまった。

 晃くんの言葉が嬉しくて、しみてきて、なんだかとっても泣きたくなって、晃くんの背中を借りて泣いた。……気づいたら、晃くんに膝枕? されていた。

 真上には目を閉じた晃くんの顔。少し揺れて見えるから、晃くんも寝てしまっているのかもしれない。な、なんでこんな格好になっている……?

「………」

 晃くんの顔をまじまじと見るのって、意外と初めてかも。いつも近くに居過ぎてちゃんと見てなかったかも……。

 晃くんは、大嫌いな父親にそっくりな自分の容姿を嫌っているけど、私は好きだな。声も好きだな。晃くんのこと……好きだな。

 旭と再会して、唐突に気づかされた。恋心ってやつに。

 私、旭のこと好きだったんだ、って。

 小学校当時は色々競える存在として大事だったって気持ちしかなかったけど、また旭に逢って、今、晃くんに持っている気持ちの、もっと小さなものを昔の旭に持っていたって気づかされた。今、晃くんに対して持っている気持ちが、恋愛感情なんだって。

 順番はごちゃごちゃしているけど、旭は今、友達として大事な人で、晃くんは……大好きな人として、大事な人なんだ。今二人がいる場所は、全然違う。……晃くんは、私の中で一番綺麗な場所にいる。私が近づいてもいいのかな? って戸惑うくらい、綺麗なところ。

 でも、それを言ったら――告白なんかしたら、晃くんが離れて行っちゃいそうな気がする……。

 好きな人は作らない、付き合うこともしないって言っていた晃くん。私を一番近くに置いてくれているけど、それは私と晃くんの傷が似ていて、触れられたくないところも似ていて、それがお互いよくわかっていて傍にいやすいからだと思う。

 ……やだな、晃くんを失うのは。

 いつか、晃くんには絶対に幸せになってほしいって思った。口にした。どんな形でもいいからって。……晃くんは、どうして今を幸せだって思ってくれているのかな? その幸せに、私も少しは関われているかな? ねえ、晃くん?

「……だよ」

「ん……起きた? さゆ」

「あっ、う、うん!」

 慌てて身体を起こそうとすると晃くんに押し止められて、また膝枕状態に戻ってしまった。

「晃くん? なんでこんな格好に?」

「さゆが俺の背中で寝落ちして、ソファから転げ落ちそうになったから避難先としてこんな感じに」

 ………まじか。

「そ、それは大変ご迷惑を……」

「いーよ。少しは眠れた? さゆ、いつも遅くまで勉強してるだろ」

「それは晃くんもじゃん。会社の手伝いとか」

「やりたくてやってることだから。晩飯、出来てるから食べるか?」

「うん」

 今度はゆっくり起き上がって、ササっと服を整える。また迷惑をかけてしまった……。

「さゆ、青山のこと好き?」

「ぶほっ」

 夕飯の支度もすぐに出来て、向かい合って座った途端、晃くんからそんなことを訊かれた。

「旭? えーと、好きだった、かな? 小学生当時の、過去形ってやつ?」

 私が今好きなのは晃くんだから、――あれ? そう言えば私、いつから晃くんが好きなんだろう? 旭のことも、何年も経った今、好きだったって気づいたくらいだから、もしかしたら結構前から好きだったのかも……。

「過去形?」

「うん。今の旭は、比べるなら巽と同じ感じかな。仲のいい男友達」

「……ふーん」

「晃くんにとっての琴ちゃんみたいな感じ?」

「……だとしたらさゆ、青山にすごい勢いで嫌われてることになるぞ?」

「え、琴ちゃんって晃くんのこと嫌いなの?」

「……どう見ても敵視しかされてないだろ、あれ」

 言われて、日ごろの琴ちゃんを思い出してみた。うーん……?

「琴ちゃん、巽の傍だと大人しくて、晃くん相手だとよく喋るから、晃くんの方と仲いいと思ってた……」

「大いなる誤解だな、それ。取りあえず誰かとの関係の引き合いに、俺と琴を出すのはやめた方がいい。さゆの見解と周囲の見解にはすげーずれがあるから」

「そうなの? 晃くんも琴ちゃんのこと、嫌いなの?」

「琴? 別に嫌いじゃないけど、あえて言うならどうでもいい」

「どうでもいい」

「うん。それから、巽と琴のことは今度注意して見てみな。違ったモン見えてくると思うから」

「え、琴ちゃん、巽が好きなの?」

「それは琴本人に訊いてみ。俺が間に入ると、琴また怒るから」

「わ、わかった……。注意して見てみる」

 そ、そういうまさかもあるんだ……。どうしよ、琴ちゃんに訊いてみようかな? でも琴ちゃん教えてくれるかな~。あ、凛ちゃんに訊いてみるのもありかな?

 急にお花畑になった私の頭の中。それもこれも、目の前のお人のせいです。何の前触れもなく、これといった理由もなく、好きだと気づいてしまったから。

 ……もしかしたら、雪が降り積もるみたいに少しずつ、私の中では晃くんへの『好き』が降り積もっていったのかもしれない。それが、触れても溶けないほど強い『想い』になって、私はやっと自覚したんだ。

 ……決して、口に出来ない想いだけど。

 ただ、好きでいるくらいは……いいかな? 晃くんを困らせたり、しないから……。


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