第2話 カミナリ

+Side咲雪


 六月。梅雨。晃くんと暮らし始めて二週間がたちました。……雨の季節です。

「さゆ、大丈夫か?」

「んー……頭痛い」

「低気圧にやられたか……」

「そうみたい……季節の変わり目って苦手なんだよねー……」

 今日は土曜日。朝から雨で、お昼近い時間になって、私はダメになった。ラグに直接座って、リビングのテーブルに突っ伏す。晃くんはノートパソコンを膝に乗せて、私の斜め前のソファに座っている。

「そういうときは休め――

「でもテスト近いし……あー、ままならんー。晃くんは大丈夫なの?」

 なんとか顔をあげると、晃くんが固まっていた。

「晃くん?」

 顔の前で手を降ると、はっとしたように瞬いた。

「かみ、なり……」

「え?」

 晃くんに言われて窓の方を見ると、雨が降っている昏い空の遠くの方が、一瞬明るくなった。

「よく聞こえたね。って、晃くん?」

 晃くんに、腕を摑まれた。

「ごめん、さゆ。お願いだからここにいて」

「へ? いや、こんな雨だから外へ行く用事もないけど……どうしたの?」

「………」

 晃くんは答えず、ぎゅっと目を瞑って口を結んだ。こう、くん?

「あの……本当に大丈夫? わっ⁉」

「ごめん、雷、聞こえなくなるまでだけだから」

 こ、晃くんに抱き込まれた……?

 晃くんの両腕がガッチリ私を抱きしめていて、晃くんの声は顔の横から聞こえてくる。

 ………。

「何か、怖いことでも思い出しちゃった?」

 なんとなく自分でも憶えのある晃くんの異常に、抵抗はしないでおいた。

「雷、駄目なんだ……。父親が暴れるときの、音と、似てて……」

 あ……。

 ……すがってきた晃くんの腕を、無理に振りほどかないでよかった……。

 私は、晃くんの頭を抱きしめるように腕を廻した。出来たら晃くんの耳をふさぎたかったけど、隙間なく抱き付いてきているからちょっと無理だった。

「そっか。いいよ、いつまででも、こうしてて」

 ……うん、と晃くんの小さな声が聞こえた。

 私のお母さんは結婚しないで私を産んだけど、晃くんの家は両親が離婚している。

 実の父親ってのが、普段はいい人なんだけど、すごい酒乱で、お酒が入ると晃くんや奏子さんに暴力を振るっていたそうだ。普通にしていると問題がない人に見えるから警察の動きも鈍くて、女性をサポートする系の支援団体の援助を借りて、やっと離婚出来たって聞いた。

 晃くんは、今も怖いんだ……。

 ……やばいな。雷、こっちに近づいてきてる。晃くん、私なんか全然聞こえないくらい遠い音でも、捉えて拒絶反応出ちゃうのに……。

「ねえ、晃くん。私が一方的に喋るから、聞いてるだけでいいから、無理に喋ろうとしなくていいからね? えっとね、えーっとね……そうだ! 巽の恥ずかしい話でもしてあげよう。六年以上も一緒だったから、晃くんの知らないヤツの弱みも握ってますぜ」

 わざと茶化すように言って、小学校時代の思い出話を始める。晃くんの意識が、少しでも雷の音から逸れたらいいな、って……。

「うちの小学校、四年生から部活が始まるんだけど、バスケ部と陸上部とサッカー部の三つしかなかったのね。んで、学年で一番運動神経がいい巽の取り合いが始まってね。巽、最初は三つ掛け持ちしてたんだ。それなのにバスケ部ではレギュラーになって、サッカー部でもメンバー入りして、陸上部では短距離で県大会まで出たんだよ。んで中学ではバスケ一本にして、すぐにレギュラー入りしたんだよね」

「……さゆ、それ、巽の自慢話になってる」

「え? あ、ほんとだ。あいつの弱み……ないな! 巽カンペキだな!」

 自分でオチをつけられず叫んでしまうと、晃くんが、ふっと笑った。

「さゆ、巽のこと好きだよな」

「まー保育所から一緒の幼馴染みたいなもんだからね。好きか嫌いかって言ったら好きかな」

「巽、いい奴だしな」

「うん。晃くんも巽のこと好きだよね」

「……巽は踏み込んで来すぎないし、距離感取るの上手いから、一緒にいてラク」

「あー、わかる。私も、巽のそういうとこに助けられてきたから好きなのかも」

 色々抱えている身としては、そういう存在ってありがたい。

「……話さないでほしいことは絶対話さないし」

「そうそう。秘密、一緒に守ってくれるんだよね」

「俺も、巽とさゆと小学校一緒がよかった」

「私も入れてくれるの? それも楽しかっただろうね」

 ……少し、大丈夫になったかな。ぽんぽん、と背中を叩く。

「……さゆ?」

「うん? 落ち着いてきた?」

「……うん」

「よかった。これからは、雷のときは傍にいるようにするからね」

「……これから?」

「今までは知らなかったから。でも、ちゃんと知ったから、傍にいるようにするよ」

「……うん。お願い」

「かしこまりました」

 雨はまだ止まないけど、雷の音は離れて行っている。この感じならもう少ししたら――

 ピンポーンッ

 と、チャイムが鳴った。

「あ、晃くん、少し離れても大丈夫?」

「……だめ」

「うー、じゃあこのままでもいいから玄関まで行ける?」

「……行く」

 晃くんに抱き付かれたまま、私は玄関ドアを開けた。

「はーい」

「咲雪―! 来ちゃったー!」

「咲雪ちゃーん。お菓子パーティーしよー……って、何してるの⁉」

「へ?」

 賑やかなのは、凛ちゃんと琴ちゃんだった。私を見て口を開いて固まった。……うん?

「な、なんで雪村が……っ?」

「なんで晃が咲雪ちゃんに抱き付いてんの⁉ 離れてよこの悪魔~!」

「こ、琴ちゃんそれはもうやめて――って、ごめん晃くんバレた!」

「みたいだな。取りあえず中入れたら?」

 一気にうるささを増した所為か、晃くんはむしろ冷静だった。私の首から腕を離してくれたから、凛ちゃんと琴ちゃんの腕を摑んで中に入れた。



「――黙っていて、大変申し訳ありませんでした!」

 ソファに並んで座る凛ちゃんと琴ちゃんに向かって、私は土下座した。晃くんはラグに胡坐をかいて座っている。

「ほんとだよ。いつの間に雪村と付き合い始めたの?」

「へ? いや、付き合ってはないけど」

「だってさっき雪村抱き付いてたじゃん。しかも咲雪の家で」

 あ。

「俺とさゆ、今、さゆの家で一緒に住んでんの」

「「なんで⁉」」

「こ、晃くん!」

「さゆ、これ以上黙ってると面倒呼びそうだから、もう話したら? 二人なら口外しないでって言えばそうしてくれるだろ?」

 う……。そう、なんだけど……。

「あ、あのね? 凛ちゃん、琴ちゃん。実は私と晃くんのお母さん同士が、保護者会で知り合って仲良くなって、一緒に起業したの。それが私たちが中一のときで、晃くんとは家族ぐるみの付き合い? みたいな感じでずっと来てて……」

「今、俺の母親とさゆのお母さんが一緒に海外出張中で、さゆを独りにするの危ないってことで俺が一緒に住んでる」

 そう、晃くんが補足してくれた。

「だから付き合ってるとかじゃなくて――」

「でもさっき、晃が咲雪ちゃんに抱き付いていたよね?」

「あれは――」

 ……言えないよね? 晃くんの沽券(こけん)を守るためにも。

「俺、雷が苦手でさっきさゆに助けてもらってた」

 言った――! この素直!

「雷だったら琴も苦手だもん! なんで晃なら抱き付いていいの⁉」

「琴? お前も何言ってるんだ? ってか、さっきから雪村のこと『晃』って呼んでないか?」

「あ」

 琴ちゃんが、しまったというカオをした。……うん? 私が晃くんの方を見ると、晃くんは琴ちゃんと自分を交互に指さした。

「琴と俺、一時期小学校が一緒だった」

 こ、琴⁉ 晃くんが名前で呼んだ⁉

 琴ちゃんはソファに座ったまま頭を抱えた。

「……晃が転校する前の話だよ。前の苗字のとき」

「そうなの⁉ 晃くん黙ってたの⁉」

「高校でまた逢って、話しかけたら他人のフリしろって怒られた。琴が中学んとき荒れてたの知ってるからだと思う」

「「……あれ?」」

 ていた? 凛ちゃんと声がそろってしまった。琴ちゃんは顔を振り上げる。

「なーっ! ほんと晃のデリカシーないとこキライ! ……そうだよ。琴、中学んとき不良だったの。でも高校に入ったら真面目になろうと思って、知ってる人のいない学校に入ったら晃がいるし、晃は琴の黒歴史知ってるし、挙句の果てに咲雪ちゃんと仲いいし! さっきから『さゆ』って呼んでるよね⁉」

「俺の方が琴よりさゆと仲いいからかな」

「くっそむかつく!」

「こ、琴? ちょっと落ち着け。血圧あがりすぎだろ、お前」

 凛ちゃんが、隣から琴ちゃんの肩を摑んだ。

「離して凛ちゃん。琴、殴り合いは得意なの。この間男を一発殴らないと気が済まない」

「真面目になる気ねーだろお前! 雪村もヘンな挑発するなよ! ――って、この中で雪村と親しくないの、あたしだけなの?」

「相馬とは中学以前は面識ないな」

「ふーん? じゃああたしとも親しくなるか?」

「遠慮しとく。相馬はなんか怖いから」

「琴のことも苗字で呼んでよね! 昔のこと話したら確実に殴りに行くから!」

「……わかったよ」

 琴ちゃん、本当にマジメになる気あるのかな……。

「さゆ、巽も呼んでいいか? なんか居心地悪い」

「……それは主(おも)に前のお方の目線の所為だと思うけど……いいよ」

 琴ちゃんの眼光、鋭すぎ。晃くんが巽に電話をかけに行っている間も、ドアの方を睨んでいた。

「琴、お前ってどれが本性なの? ヤンキー気質が地?」

 凛ちゃんが、軽く禁断の質問っぽいことを訊いていた。琴ちゃんは一転、いつも通りな八重歯をのぞかせた天使の笑顔を見せる。

「どっちかって言うと今の琴が素かな。ヤンキーだった頃の方が猫被っていたって言うか、装ってたから」

「不良な猫ってどんなだ?」

「百戦錬磨」

「マジか。負けなしか」

「うん。琴が相手してたの女の子だけだけど、殴り合いっこなら負けなかったよ」

「うん。可愛く言っても殴り合いっこのどす黒さは隠せないな」

「むー。晃がばらさなきゃ知られなかったのにー」

「晃くん、ばらしてないよ? 三年以上一緒にいる私も知らなかったし」

「……咲雪ちゃんはなんで黙ってたの? 琴は中学んときのこと、知られたくなかったからだけど」

「……晃くんって女子に人気あるじゃない?」

「まーあたしは興味ないけどな」

「琴も晃なんてどうでもいいー」

 ズタボロじゃないか。学校イチのイケメン。

「私みたいな奴が近くにいて批判を喰らうのが嫌って言うか、女子同士のいがみ合いとかほんと苦手で……。晃くん目立つから、せめて接点は隠しておきたいって言う私のわがまま」

「それなら琴もわかる。女子の間って陰湿なんだよね」

「そうなのか? あたしは割とさっぱり来たぞ?」

「凛ちゃんはそうだろうね。凛ちゃんの性格もさっぱりしてるし」

「おい元ヤン。口に毒残ってんぞ」

「そういうずけずけ這入ってくるところがむしろさっぱりしてるの、凛ちゃんは」

「ほーなんか?」

「一人でお菓子バリバリ食べてるあたりも自由を感じるよ。咲雪ちゃん、材料も買って来たからお菓子作ろー。フォンダンショコラ食べたい」

「お前も結構自由だぞ。咲雪、付き合ってやって。琴さんのご機嫌とっとかんと」

「みんな自由だよ」

 すごい勢いで無法地帯になったな、ここ。一人でお菓子を食している凛ちゃんを置いて、琴ちゃんに続いてキッチンへ入る。……ここのところずっと、晃くんと並んでいたからヘンな感じだ。


+side晃


 通話を終えたスマホ片手にリビングに戻ると、相馬一人になっていた。

「あ、おかえりー晃くん」

「……相馬、それやめて」

「お菓子食べるの? 名前で呼ぶの?」

「……名前。さゆは?」

「あちら」

 相馬が示したのはキッチンの方。さゆにエプロンのひもを結んでもらってニコニコしていた琴が、俺が見るなり睨んで来た。……なに始める気だ?

「さゆー」

「あ、巽はなんて?」

「今日は昼で部活終わるって言ってたから、それ終わったら来ると思う」

「不在着信?」

「ん。なんか作んの?」

「晃は立ち入り禁止!」

「……俺、どっちで呼べばいいの? 三科? 琴?」

「琴も雪村って呼べばよかったね! 三科って呼んで!」

「はいはい……んで、さゆは何するの? 三科は関係なく」

「どういう無視の仕方だこの野郎!」

「琴ちゃん落ち着いて! 晃くん、琴ちゃんとお菓子作ってるから、お仕事の続きしてていいよ?」

「なら、俺も手伝う」

「えー、こう――じゃなくて、雪村くんお菓子作り趣味なの?」

「琴ちゃん、晃くんは家事全般花丸だよ」

 ……わざとらしくにやにやする三科は相変らずむかつくけど、さゆがフォローしてくれたのが嬉しかった。何故かさゆが偉そうだっただったけど。

「……ふーん」

 三科、あからさまに機嫌悪くしたな。気にしないけど。

 さゆがフォン団しょころあ? 作るとか言っているから、取りあえず隣で見ておくことにした。俺にはよくわからん食べ物だった。

「晃くん、甘いの好きじゃん」

「好きだけど……甘いのなの?」

「しょころあ、じゃなくて、ショコラね、チョコ菓子だよ」

「俺も作り方覚える」

「……雪村くんって主夫入ってるんだ……」

 琴――三科に冷めた瞳で見られた。

「だって晃くん、ずっとおうちのことやってたものね。主婦レベル私より高いよ」

「さゆ、だからそういうの恥ずかしいから……」

「ごめん、でも私が晃くんを尊敬してるのはずっとだから」

「……えー、何このコント……」

 三科がボソボソ言っているけど、気にしない。ただ、さゆとのやり取りが楽しい。

 取りあえずふぉ……ふぉんだん、しょこら? 初心者の俺は作るとこを見ていることになった。さゆと三科が作業を始める。

「咲雪ちゃんって、藤沢くんと小学校一緒なんだっけ?」

「うん。更に言うと保育園から今まで一緒だよ」

「幼馴染過ぎるね」

「いやあ。それほどでも」

「……藤沢くんて、甘いの好きかな?」

 三科が小さな声でそう言った。あ、そういうことか。

「巽? 好きだよー。ってか巽、食べ物の好き嫌いないよ」

 そしてそういうことに全然気づかないさゆ。……傍から見りゃあ微笑ましいけど、さゆの場合はそうも言っていられない。

「ふ、藤沢くん、来るんだよね?」

「たぶん」

「晃には訊いてない!」

 俺が答えると怒鳴られた。……どうしてさゆにはこいつが天使に見えるんだろう。目ぇ悪いのかな。今度眼科に連れて行こうかな。

「琴ちゃん、巽のこと苦手だっけ?」

 ……そういうことがわからな過ぎるさゆの発言に、三科は一瞬固まった。逆だよ、さゆ。

「三科、巽の隣に座らせてやるから、それで機嫌直してくれ」

「晃くんどういう嫌がらせ⁉」

 怒られた。

「さ、咲雪ちゃん全然嫌がらせじゃないから大丈夫!」

 頬を赤らめた三科が慌てて割って入って来た。

「咲雪―、お湯って勝手に使っていいー?」

「いいよー。ケトルに入ってるからー」

 リビングから相馬の声が飛んできてさゆが応じている隙に、三科がまた睨んで来た。

「なんで晃にはバレてるの!」

「琴がわかりやすいからだろ」

「反対とかする気?」

「しないけど、なんで?」

「……藤沢くんって晃の親友じゃん。琴みたいなヤンキーあがりを近づけたくないとかあるんじゃないの?」

「巽いい奴だから大丈夫だと思う」

「……どういう意味?」

「巽はいい奴だから、琴のことも否定しないと思うってこと」

「~~~だから好きなの! はい、言ったよ」

「……うん?」

 だからどうした。

「晃もいい加減吐きなさいよ。好きな子くらいいるんでしょ?」

「……俺、そういうの無理」

「無理? どういうこと」

「好きとか付き合うとか、考えるの面倒」

「………」

 答えると、琴にやたらじとーっとした瞳で睨まれた。

「今は、さゆといるのが一番ラク。勉強とか母さんたちの会社の手伝いとかすることあるし、そういうの考えてる余裕ない」

 ……本音を言うと、もっと別の理由だけど。琴に話すような内容でもないしな。

「咲雪ちゃんが一番ラク、ねえ……」

「さゆは俺のこと全部知ってる。それでも、そこにいてくれる」

 全部知っていて、さっきみたいに抱きしめ返してくれる。

 あの優しくて強い腕を、失いたくない。

「……何にも、代えられない存在」

 さゆとは友達って感じじゃないし、でも付き合ってるわけじゃないし、強いて言うなら家族が一番近いかもしれないけど、母さんとも小雪さんとも存在している場所が違う。

 一人だけ、特別な場所にいる。とても綺麗な場所に。

「……言っとくけど咲雪ちゃん、男子に人気あるからね」

「知ってる。よく口説かれてるの見てる」

「晃が付き合う気とかないとか言ってる間に、誰かと付き合っちゃうかもなんだからね」

「え………」

「なに、その考えてなかったー、みたいな顔は」

「……考えてなかった」

「ばかじゃないの⁉ 咲雪ちゃんみたい可愛くて頭もいい性格もいい子だったら引く手あまたなんだからね⁉」

「……うん、さゆ、いい子だよな」

「そこかい! あんたね~、

「琴ちゃん? どうした。また晃くんが何か言ったの?」

「全然そんなことないよ。このうつけに喝入れてただけだから」

 うつけ……。今更琴になんて言われても気にしないけど、よくもそう、けなし言葉が出てくるな。

 さゆと琴が作ったフォンダンショコラが出来上がった頃、またチャイムが鳴った。

「こ――三科、さゆと一緒に迎えてやって」

 巽だろうと推測をつけて言う。素直なさゆは特に疑問もないようで、「はーい」と玄関へ向かった。琴はぎこちない動作(右手と右足が一緒に出ている。古典すぎる)で、さゆのあとについて行った。

「よー咲雪、三科。俺も来ちゃってよかったの?」

「晃くんが男子一人じゃ居づらいからって」

「だろーな。お邪魔しまーす」

「ふ、藤沢くんっ」

「はい?」

 ……玄関の方からやり取りが聞こえる。なんとなく相馬を見ると、ニヤニヤしながら玄関の方を見ていた。……相馬は知ってるのか。さゆだけ知らんのか。

「あ、甘いの好きですかっ?」

 さっきさゆが答えただろーが。

「うん、好きですよ」

「さ、咲雪ちゃんと作ったお菓子もあるから……っ、あの、よかったら……っ」

「ほんと? ぜひいただくね」

 ……巽はわかってんのかな。まあ、関わったら関わるだけ琴に睨まれそうだから、別に言わんとこ。

「晃―。お前両手に花状態じゃん」

 リビングに入って来た巽がそんなことを言った。部活帰りだからか、大きなスポーツバッグを肩にかけている。

 ……どこが? さゆ以外まともなのいねーと思うんだけど。

「巽、さっきばれたから言うんだけど、琴と俺、小学校が一時期一緒だった、顔見知り」

「こと?」

「三科の名前」

「ん、あー……了解。なんとなくわかった。三科―、それって晃と顔見知りだったって知られたくないってことでいいの?」

「藤沢くん超能力者⁉ その通りです!」

 うん、巽の理解の早さは俺も毎回驚く。あと、琴が荒れていたことは隠して置こう。

「藤沢―、まあここにでも座れよ」

 二人掛けのソファを示して、まるで家主のようなことを言う相馬。ちらっとこちらを見て来たのは、俺も企みに乗れってことだろう。

「相馬と三科がやたら菓子買って来たから」

「こんな天気だからさ、家に一人の咲雪を盛り上げてやろうと思って来たら雪村もいたわけよ」

「おー。じゃあ俺もお邪魔しまーす」

 相馬が一人がけのソファで、俺とさゆはラグに座る。すると巽の隣は半強制的に琴だ。

 琴は終始小さくなっていた。……手伝っても怒りを買うだけだろうから、巽と琴のことに、俺は関わらないことを決めた。

「なー雪村。さっき琴が、『前の苗字』とか言ってたけど、親、離婚とか再婚とかしてんの?―――」

 ―――。ティーカップを持ったまま、一瞬固まった。

「凛ちゃん」

 答えられなかった俺に代わって遮ったのは、さゆだった。

「凛ちゃん、琴ちゃん、それ以上は駄目だよ」

 ……さゆの声は、とても穏やかだった。

「さ――」

「だめだよ。触れられたくない、私たちの傷なの」

「あ……うん、ごめん」

 そう言われて、相馬はバツが悪そうな顔になってすぐに引いた。俺は……かばわれた俺は、またさゆに抱き付きたくなった。また……さゆに護られた。

「あ、そうだ咲雪。お仏壇にお線香あげてもいい?」

 急に、巽がそんなことを言いだした。巽のことだから、空気を変えるために言ってくれたんだと思う。

「あ、うんぜひぜひー」

 さゆが立ち上がると、巽が相馬と琴も促した。

 廊下を挟んだ向かいの和室に、この家の神棚や仏壇がある。俺も、毎朝手を合わせている。というのも、

「おじいちゃん、大学の先生だったんだ。お母さんは私がいるってわかっても、相手は結婚する気がなくて。未婚の母になる一人娘がいるなんておじいちゃんの評判にキズをつけるからって、実家に帰らなかったの。おじいちゃんとおばあちゃんは、何度も戻るように言ってたみたいだけど、お母さん頑固だから。んでもおじいちゃんたちにとったら可愛い一人娘には変わりないから、せめてずっと残せるものを、って、住んでたこの家をリフォームしてくれてたんだって。昔の家は知らないけど、写真で見る限り古民家? ていう感じだった。私が二歳になる前におばあちゃんが病気で病院生活することになって、そこでやっとお母さん、私を連れて実家に帰ったの。おばあちゃんもおじいちゃんも、すっごく穏やかで優しい人だった。お母さんが帰って来たの、すっごく喜んでくれてたの、憶えてる。……だから、お母さんは帰ってこられなかったんだと思う。優しい人たちだから、心配や迷惑をかけたくなくて。でも、おばあちゃんは入院して一年くらいで亡くなっちゃって、おじいちゃんもその一年後に……。だから今、晃くんや奏子さんとこうしていられるのって、おじいちゃんとおばあちゃんのおかげなんだ。……って、琴ちゃん⁉」

 琴がすげー泣いてた。

「さ、咲雪ちゃん~、咲雪ちゃんが優しいの、わかった気がする~」

「ど、どうした?」

 ボロボロ泣く琴を見て、さゆが慌てている。……琴ってこんな情緒不安定だったっけ? さゆのご家族がいい人揃いなのは俺も同意だけど……。

「琴も手ぇ合わせる~。咲雪ちゃんと咲雪ちゃんのお母さんを存在させてくれてありがとうございますって言う~」

「存在⁉ スケール大きすぎるよ!」

 ……ありがたみが存在までぶち抜いたか。どういう天井知らずなんだろうか、琴は。

「だって……高校で琴に話しかけてくれたの咲雪ちゃんだけだもん。咲雪ちゃんがいなかったら、琴また……」

 ……話しかけていたはずの俺はカウントされていなかった。それはいいけど、なんかさっきから琴の方がさゆを大事にしてるみたいで腹立って来た。

「おにーさん、苛立ちが顔に出てますよー」

 巽がにやにやしながら、俺の肩に肘を置いて頬をつついてきた。

「あれか? 三科に苛立ってんの?」

「……俺のがさゆと仲いい」

「はいはい。お前らの仲のよさに敵う奴いねーから安心しろって。まさか一緒に住んでるのは知らなかったけどなー」

 琴と相馬にばれたから、その辺り巽にも話した。

 ……そうは言ってくれても、さゆには相変らず学校では話しかけられないし、『さゆ』って呼ぶのも出来ないし。……あー、人前でさゆって呼んで他の奴に見せたくないー。

「もしもーし。おにーさん、たぶん言っちゃいけないことが口に出てますよー」

「え……」

「女子たちには聞こえてねーと思うけど。あ、そんな瞳で見るなって。俺は咲雪とは幼馴染の古馴染ってだけだから。お前と三科みてなーなもんじゃん?」

「……だったら巽、すごい勢いでさゆに嫌われてることになるけど……」

「え……き、嫌われては、いないかな……?」

「さゆ、巽のこと好きだって言ってた」

「お前がそれ言っちゃっていいのかよ。俺も咲雪のこと好きだけど、友達として人間として、ってやつだよ。晃とは違う」

「………知ってる」

「あ、自覚あったんだ?」

「ついさっき」

「展開早ぇな」

 ほんとについさっきなんだけど、わかってしまったから。

 俺が失えないのは、家族じゃなくて『さゆ』なんだって。

 雨も止んで来た夕方、三人は帰った。

「はー、ごめんね、晃くん。全然仕事にならないで――晃くん?」

 ふっと、引かれるように俺の額は、こちらを振り返ったさゆの肩に落ちた。

「どうしたの? ……やっぱ、怖いままだった? もう雷も聞こえないと思うけど――」

「俺、カッコ悪ぃ……」

「晃くんのどこが。カッコいいとこばっかじゃん」

「そんなこと、全然ない。雷のときも、さっきも、さゆに護られてばっかだ。……俺がさゆのこと、護るって言ったのに」

 一緒に住むようになった翌日、さゆに言ったのに。

 ふわりと、またさゆの両手が俺の頭を抱えるように廻った。

「あんなのお互い様だよ。晃くんとは長いこと、友達よりも家族って感じで来たじゃん。それに、晃くんはいつも私のわがまま聞いてくれてるでしょ?」

「……さゆ、我がままなんて言ってる?」

「学校では関わらないでってやつ。自分で言うのも難だけど、そんなこと言われ続けたら、私だったら愛想つかしてるよ」

「……さゆが理由なしにそんなこと言うはずないと思ってるから。でも、今まで教えてもらえなかったのは、俺がそれを話すに足る相手じゃなかったから。……だから、さゆから話してもらえるまで待とうって決めてた。それまでに、さゆが話していいと思える俺になるんだ、って」

「……そうだったんだ」

「ん」

「……ここ、冷えるからリビング行かない? 今なら話せそう」

 ソファに隣り合って座ると、さゆが話し出した。

「私、小学生の頃も、何かと競ってる男子がいたんだ。お母さんに心配かけないように、って勉強ばっかしてたら、いつの間にかその子と成績とかで競うようになってて。んで、その男子ってのが頭はよくて運動も出来る、小学生だったら人気が出る要素を全部持ってるような子で、やっぱり女子から人気あったの。そんな人気者の傍に私なんかがいていいはずがなくて、軽くいやがらせ――……の、標的になっちゃって。相手の男の子がそれに気づいて間に入ってくれて収まって、その仲裁が上手で、むしろいじめて来た子たちとも友達って言えるくらい仲良しにもなれたんだけど。……やっぱ、女子のやっかみ? とか、怖くて……。女子同士のそういうの聞いちゃうと、すごく怖くなっちゃって、踏み込んだほど仲よくもなれなくて……。凛ちゃんと琴ちゃんだけが、不思議と特別なんだ。二人には話せないこともあるけど、いつかは話したいって思える。晃くん、女子にも人気あるし男子からも慕われてるし、また私なんかが傍にいてそういうのになったら、優しい晃くんにまで迷惑かけちゃいそうで……。それが心配で、嫌で、学校では関わらないでって言ってたの。すごい自分勝手で我がままでしょ?」

 喋るさゆの声は、だんだん震えて来た。

「さゆってばかだな」

「へ?」

「だから俺に勝てないんだよ」

「ちょ……ヒトが素直に話してその反応⁉ 何故いきなりディスる!」

「そんなことがあったって、俺がどうにかするに決まってるじゃん」

「え―――」

「言ったろ? さゆのことは俺が護るから心配しなくていいって。そういう過去があったなら今まで話してもらえなくてもしょうがないけど、今は俺がここにいるんだから、頼ってよ。じゃないと俺、小雪さんにも母さんにも面目立たないよ。二人に信頼されて、さゆと一緒にいるって思ってるんだから」

 じゃなきゃ、年頃の一人娘を同い年の野郎と一緒に住まわせたりしないって。

 つまり俺は二人には、さゆにとって安全圏だって認識されているわけだけど。

「約束するよ。俺は絶対、さゆを傷つけない。泣かせない。だから……出来るだけ俺に、隠し事しないで? さゆに隠し事されてると、なんか距離を置かれてるみたいでつらい」

「ご、ごめんっ! さっきのは隠し事って言うか、晃くんにも嫌な思いさせちゃう話だから黙ってただけで晃くんに隠していたわけでは―――」

「うん、だから」

「……だから?」

「無理、しないで」

「……わかった」

「よーし、いい子だなー」

「ちょ、晃くん」

 さゆの頭を撫でると、困ったような反応があった。

 ……約束、するよ。絶対にさゆを、傷つけないって。泣かせないって。

「晃くん」

 ふと、さゆの声が一段低くなった気がした。

「ん?」

「琴ちゃんと仲いいの、晃くんこそ黙ってたよね?」

「………」

 何故かさゆの笑顔が昏く見えた……。

「いや、どう見ても仲良くねーだろ、あれ」

 敵視しかされてねーだろ。

「でも小学校が一緒だったとか」

「三科が、言うな、言ったらコロスって脅しかけて来たから……三科がさゆと仲良くなるとは考えてなかったから、言うタイミングを逃してたのもある」

「………」

 さゆが、死んだ魚の目でじとーっと睨み上げてくる。……地味にきついな、これ。

「……晃くんこそ」

「ん?」

「晃くんこそ、隠し事してほしくない。あとから知るの、なんかショックだった」

「ごめん」

「………」

「さゆ? ……どうしたらゆるしてくれる?」

「本当に、隠し事しない?」

「しない。約束する」

「じゃあ、――雷のほかに、怖いものある?」

「え――」

「晃くんが私を護ってくれるから、私も晃くんのこと護りたい。だから、怖いものから護りたい」

「え……と、俺が怖いもの……?」

 ってか、今さゆ、なんかでけえこと言ったような……。

「……さゆが、傷付くこと?」

「え、私?」

 さゆが、不思議そうな顔で俺を見て来た。

「うん。雷も怖いけど、それと同じくらい、さゆが傷ついたり泣いたりするのが怖い……かな」

 だから。

「今日はさゆに護ってもらってばかりだったけど、さゆを護る位置を俺にちょうだい?」

「じゃ、じゃあ晃くんも大人しく私に護られてよね!」

「……わかりました」

「うん」

 大きく肯くさゆ。

 なんか、ヘンな約束ばっかり増えていくな。この同居生活。

 でも、すごく―――……幸せだ。


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