4、望む者(竜太side)

 時は少し遡る。

ハルが病院で目覚めたのと時を同じくして、竜太もまた目覚めた。


「っくそ……」


 ジャリ、と顔や手にアスファルトのざらついた感触が伝わってくる。

彼はクラクラする頭を二、三度振り周囲を見回した。


(何だ、ここ……)


 くすんだ薄黄色の世界が眩しく広がっている。

色はさておき場所自体は竜太もよく知る所だった。

地元の商店街から国道へと繋がる広い道路の交差点──彼はその真ん中に倒れていた。


「あっぶね……」


 車が走っていなかったおかげで轢かれずに済んだのだが、それにしても異様な光景である。

普段なら交通量の多い道である筈なのに、車はおろか通行人もいない。

少し離れた信号機の近くでひしゃげた頭から血を流している子供が立っているが、あれは人としてカウントしてはいけないだろう。


(ヤバイな。これ完全に連れて来られたヤツじゃん)


 彼の頭に浮かんだのはネットで定期的に話題に上がる異世界に行った系の話であった。

どうせ創作だと鼻で笑って読んでいた事態にまさか自分が直面するなど、笑えない展開である。

自分の手には負えない事態だと早々に判断し、竜太は道の脇に移動がてら忍に電話をかけた。


(ていうかこれ、繋がるのかな……)


 電波は圏外を表している。

普通に考えれば繋がらないだろう。

駄目なら駄目でその時に考えようとコール音を聞いていると、幸運にも忍は電話に出てくれた。


「あ、忍さん。今良い?」


──おいゴラ竜太ぁ! 今どこにいんだよあ゛ぁ!?


 忍の「虫の知らせ」とやらの優秀さは本物である。

開口一番の怒声にうんざりしつつ、竜太は「わかんない」と再度辺りを見渡した。


「見た目は世与の商店街の近く。でも空が黄色い。多分普通の世界じゃない。生きてる人いないし」


 平然と言ってのける竜太の肝の据わりように忍は盛大なため息を吐く。


──……ったく、何があったんスか。


 竜太は叱られるのを承知で最近身に起こった出来事を説明する。


 一ヶ月程前から嫌な気配に目を付けられた事。

その気配は二人分で、一人は大人の女性、もう一人は少年らしいという事。

徹底的に無視して放っておいたら、少年の方が偶然居合わせたハルに狙いを変えてしまった事。

油断した隙をつかれ、ハルもろとも足下に湧いた黒い霞に飲み込まれてしまい、現在に至ると──


 話が終わるやいなや、忍の怒鳴り声が再開される。


──何っで一ヶ月も黙ってた!


「どうにかいけるかなーって思った」


──馬っ鹿かお前は! 視えるだけって事忘れんなって言ってんだろ!


 竜太とてそれを忘れていた訳ではない。

ただ周りの人間にまで害が及ぶとは考え至らなかっただけである。

そう弁解しようとして彼は言葉に詰まった。


(……違う。周りの人にまで害がある可能性は、薄々分かってた)


 だからこそ、事が解決するまではハルと会うのを極力避けていたのだ。

まさかほんの少し鉢合わせただけで彼女を巻き込んでしまうのは流石に想定外であった。


「……今は反省してる。ごめん」


──……そうスか。


 珍しく素直な反省の言葉は説教魔の怒りを幾分か静める。

それ以上強く言えない忍に、言うなら今だと竜太は確信した。


「ねぇ忍さん。多分ハルさんも俺と同じ空間にいると思うんだよね。俺、これからどうしたら良い?」


 竜太はしおらしさを残しつつ知恵を求める。

彼のしたたかさには目を瞑り、忍は近くの神社を目指すよう指示を出した。


 てっきりハルと合流したがると踏んでいた忍だったが、意外にも竜太はハルの事は全て任せると言う。


「……あのさ。忍さん、前に言ってたよね。怪異はそれに近い人、認識した人、利用できそうな人……望む人に近付いて来るって」


──まぁ、大抵はね。


 彼らしからぬ大人しい態度が続く。

忍はわざとらしく声を弾ませた。


──やっぱ、なんかあった?


「何も」


──あー、あれか。助けるとか公言してたくせに、自分が巻き込んじゃって会わせる顔が無いとかそういうアレっスか? そうなんスか? ほん──


 ブツッ。


 通話を切った竜太はハルの電話番号を忍に送るとスマホを尻ポケットにしまった。


(さて、どうするかな。忍さんの指示通りに動くなら、いつもの神社に向かうのが一番手っ取り早いけど……)


 彼は神社方面に向かって歩きながら考えを巡らせる。

こんな時に浮かぶのはいつでも源一郎の事であった。

彼なら何を思い付き、どう行動するのだろうか──


(はぁ……頭痛ぇ……)


 思えば源一郎が居なくなってからというもの、竜太はずっとわだかまりのようなものを覚えていた。


 彼の死はとても辛く、悲しいものだった。

それでも、自分なら大丈夫だと言い聞かせてここまできたのだ。


 竜太は怪異に関わる度に「宮原のじいさんならどうするか」を第一に考えて動いている。

怪異に関わる事で生きた源一郎を感じられるのだ。

ハルを守り、約束を守るという名目で彼の影を追い続けた。


 いつの間に、ここまで怪異を「望む」ようになってしまったのだろうか──


 いつの間に、源一郎の代わりになろうなどと思い上がるようになってしまったのだろうか──


 余計な事を考え過ぎたのか頭痛は酷くなる一方である。

竜太はグリグリとこめかみを押す。


(今は落ち込んでる場合じゃない。忍さんのフォローが届かない可能性もある。もしハルさんに何かあったら、俺のせいだ)


 近くに人影が無いのを確認し、竜太はしまったばかりのスマホを取り出した。

忍とハルは無事に連絡がついただろうかと一人悩む。


 商店街の静けさが耳に痛い。

普段は気にならない耳鳴りがよく聞こえてしまい、痛覚と視覚のみならず、聴覚からの情報も彼の神経を逆撫でする。


(電話、かけてみるかな……)


 繋がらなければ仕方なし。

もし通話中ならそれはそれで安心である。

発信しようと画面を操作した瞬間、後ろから声がかけられた。


「竜太」


 場違いな程の優しい声だ。

彼が勢いよく振り返ると、数メートル離れた後方に細身で色白の白いワンピースを身に纏った女性が立っていた。


 いる筈のない人物の姿を見た竜太の目が大きく開かれる。


「かぁ、さん……?」


 その女性は彼が幼い頃にこの世を去った母の姿をしていた。

あり得ない、これは罠だと思う心と、このあり得ない状況ならもしやと思う心が彼の胸中をかき乱す。


「竜太、いつまでもこんな所に居ちゃ駄目。今すぐ帰って!」


「っ……言われ、なくても……」


 言葉が上手く出てこない。


 会いたくて会いたくて、どれだけ泣いて過ごした事か──

優しくて、大好きだった母。

病弱だったがいつだって自分の味方で、やんちゃな自分の話をいつも楽しそうに聞いてくれていた母。

そんな母が、今まさに当時の姿でそこに居るのだ。


 竜太が一歩近付くと彼女は悲しげに目を伏せた。


「竜太、よく聞いて。あなたをここに引き込んだ奴はとても強い。これ以上、母さんの力じゃ、抑えきれない」


「どういう事?」


「頭、痛いんでしょ? ごめんなさい。まだ生きているあなたが、長い時間この世界に居たら駄目なの。心が、魂が、先に壊れてしまう……」


 肩を震わせる彼女の姿が記憶の中の母と重なる。

入院してばかりで母親らしい事を何もしてやれないと落ち込んでいた時の母の姿だ。


「……大丈夫。今から帰るから」


 悩んだ末に発した彼の言葉は母を安心させる為の無難なものだった。

しかし彼女は小さく首を振る。


「今からあなたが向かおうとしている小さな神社の神様じゃ、多分太刀打ちできない。それほどまでに、の魂は堕ちてしまってる」


「……どうしたらいいの?」


 竜太は酷さを増す頭痛に顔を顰めながら母に近付く。

ずっと求めていた母が自分の身を案じてくれている。

それだけで体は自然と動いてしまった。


「あっち。少し離れるけど、別の神社があるの。駅の向こうの浅間神社なんだけど、場所分かる?」


「そこなら知ってる」


 ズキズキする頭を押さえながら向かおうとしていた道とは別の方角に向かう。

商店街を出た辺りで、竜太はハッと手にしたままのスマホを思い出した。

今にも泣き出しそうなハルの顔が脳裏をちらつく。


「待って、母さん。ここにもう一人、女の子来てない? 高校生の女の子」


 母は少し迷った末に「来てるわよ」と答えた。

その表情はどこか憂いを帯びている。


「……残念だけど、あの子を助けるのはかなり難しいわ。あの子の方はもう、捕まってしまった」


「捕まった!? 何に、どこで!?」


 心臓がギュッと掴まれたかのように縮み、竜太はその場に立ち尽くす。

母は落ち着くようたしなめるが、逆に彼は声を荒らげた。


「母さんはハルさんがどこに居るか知ってるの!?」


「……えぇ。けど、教えられないわ。その子には悪いけど、私は母として、あなたを守る義務があるもの」


 素直に頷く程聞き分けの良い子ではない。

竜太は母を説得するべく口を開く。


「けど母さん! その人、俺のせいでここに来ちゃったんだ! 早く助けないと、俺だけ逃げる訳には──」


「竜太! いい加減にして!」


 母が怒鳴る所は見た事が無かった。

思わず言葉を失った彼は硬直したまま、今日は叱られてばかりだとどこか他人事のような感想を抱く。


「ここで騒いでいても仕方ないわ。それに、こんな非常時に人の心配をしてる場合じゃないでしょ! お願いだから、お願いだからこんな時くらい母さんの言う事を聞いて!」


「…………そうだね。落ち着くべきだった」


 彼は血に上った頭を冷ますべく大きく深呼吸をしてから母と向き合った。

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