3、脱出
「竜太、君……」
「入れ違いにならなくて良かったね」
竜太はやれやれと頭を掻きながら姿を現す。
一気に緊張が解けたハルは壁にもたれたままズルズルと腰を抜かした。
「はぁ……びっくりしたぁ……」
「そう。でも、腰抜かしてるヒマはないよ」
そう言って竜太は五階のフロアーに向かって歩き出す。
置いてかれては堪らないと、ハルは慌てて手すりを掴んで立ち上がった。
「ま、待って。どこに行くの?」
「西棟」
ハルが何故かと聞く前に、竜太は歩きながら話を進める。
「この病院、どこだかわかる?」
「どこって……世与の、メディカルセンターだよね?」
「
周囲を警戒してはいるが、どうしても二人分の足音が大きく反響してしまう。
始めこそ声をひそめていた竜太だったが、無駄だと思ったのか普通の声量になっていった。
「この東棟からだと下は出られそうにない。マップによると西棟と繋がってるのは一階と、この五階の連絡通路の二ヶ所。とりあえず一旦西棟に移動して、ここを出よう」
「そっか、わかった」
ハルはスタスタと先を歩く竜太の後ろ姿を見つめながらホッと息を吐く。
おかしな場所にいる現状は何も変わっていないが、彼がいるというだけで心強い。
(こんな変な所、早く離れなきゃ……絶対に、二人で帰るんだから)
通りすぎる扉には一目で入院病棟だと分かる部屋番号と名前を書くプレートが掛かっていた。
東棟の五階は小児科や循環器科の入院病棟である。
連絡通路の先にある西棟の五階は外科の入院病棟で、自分が入院したのはそのフロアーであった事を彼女は思い出した。
「それにしても、外、黄色いよね。何でなんだろう?」
「知らない」
連絡通路には大きな窓があり、外の景色が良く見える。
病院の駐車場や道路、コンビニや調剤薬局が見えるが、この薄黄色の世界には動く物が何もない。
まるで終末の世界に立たされているような絶望感に苛まれてしまう。
二人は何事もなく西棟に辿り着き、階下へ降りる為に階段を目指す。
施設内の角を何度か曲がった所で、彼女はある疑念を抱いた。
(あれ? 何かこれ、おかしくない?)
果たしてこの階はこんなに広かっただろうか。
もう一度角を曲がると、先程と同じように病室が並ぶ通路が続いている。
どの病室にも患者の名前は書かれていない。
(この感覚……前にアカリちゃんと、同じ所をループしてた時に似てる気がする……)
このまま延々と歩き続けるのはまずいかもしれない。
早く竜太に伝えねばと口を開きかけた所で、それまで働く事を放棄していた彼女の思考が突然動き出した。
(……まだ階段に辿り着かないなんて絶対におかしいのに、どうして竜太君は何も言わないの?)
ここまで歩いていて気付かないなんて事があるのだろうか。
しかし彼は特に何も言わず、ハルの数歩前を歩き続けている。
(……ちょっと待って。そもそも、変じゃない?)
いくつもの無機質なスライド扉を通り過ぎながら、違和感の正体を突き詰めていく。
先程の竜太とのやり取りが急に頭に思い起こされた。
──この東棟、下は出られそうにない。マップによると西棟と繋がってるのは一階と、この五階の連絡通路の二ヶ所。とりあえず一旦西棟に移動して、ここを出よう。
(竜太君はどうして、東棟からは出られないって、知っていたの……?)
彼が目覚めたのが一階で、東棟側からの出口が使えないと知ったのなら説明がつくかもしれないが、そうなると更なる疑問が浮上してしまう。
(それだと、西棟の出口が使えると知った上で、脱出をしないで、わざわざ五階まで上がって、東棟にいた私を見付けた事になる)
二人の目覚めた時間にズレがあったとしても、その行動は少々不自然である。
ハルがこの院内にいると確信でもしてない限り、この異様な世界で危険を冒してまで彼が院内を徘徊する理由はない筈だ。
「ね、ねぇ、竜太君」
「何、ハルさん」
竜太は足を止める事も振り返る事もなく感情のない声を返す。
「竜太君は、西棟の……どこを目指しているの?」
少なくとも階段ではないだろう。
彼の足の向かう先は右に曲がったり左に曲がったりと、ただ適当に歩いているだけのように思えた。
「どこって、俺達が行くべき所だよ。帰りたいんでしょ」
「……それは、本当に『出口』なの?」
「……どういう意味?」
ムッとしながら振り返る彼の顔を見る。
真正面から睨みつけられ怯むハルだったが、負けじと見つめ返す。
少しだけ久しぶりに見る小生意気な顔だ。
外見だけなら竜太そのものだが、彼女の中の勘が絶えず警告を発している。
(……違う。この人は、竜太君じゃ、ない)
神経を研ぎ澄ませ、目を凝らすように意識を集中させると、眼前に立つ彼の顔がぼやけ始めた。
彼は何かを話しているが、ハルは構わず視覚に全神経を注ぐ。
(今なら、何かが視える気がする……!)
ふいに彼の顔面が消えた。
まるでカメラのピントが合ったかのように、顔の中心にはポッカリと丸く黒い穴が空いていた。
(うわっ!)
驚いて瞬きをすると集中力が切れたのか穴は消えてしまい、不思議そうな顔をした竜太が首を傾げていた。
一瞬しか見えなかったが、あの顔のない少年が彼の本性なのだろう。
「良いから、早く行こうよ」
この期に及んでまだ連れ回そうというのか。
ハルはバッと反対方向へ向かって走り出した。
(このまま素直に付いていってやるもんか!)
すぐに追いつかれるのではという不安はあったが、意外にも彼はその場に立ち尽くしたままである。
ただ覇気のない声で「どこ行くの、ハルさん」と声が投げかけられるだけだった。
振り返るつもりは微塵もない。
(とにかく、この階から逃げなきゃ!)
方向感覚などとうに無く、ハルはがむしゃらに角を曲がりながら階段か連絡通路を探す。
(お願い、見つかって!)
延々と続く廊下をひたすらバタバタ走っていると、扉が半分開いている病室を発見した。
今までと違う行動をすれば何かが変わるかもしれない。
そんな僅かな可能性を信じ、ハルはガラガラとスライド扉を全開にする。
中を確認もせずに飛び込んでしまった彼女は、室内を見て「あっ」と声を上げた。
ベッドは四つあり、全てのカーテンが開いている。
奥のベッドには見知った老婦人が座っていた。
ハルが入院中、隣だった女性だ。
老婦人は初めて見せる険しい表情を浮かべている。
「あらあら、久しぶりねぇ。また来てくれたんは嬉しいけど、今日は随分と嫌ぁな子が一緒なのねぇ」
「ぇ」
ヒヤリ、と右腕が冷たい何かに掴まれた。
それを手だと判断するより早く体が反応し、思い切り振り払う。
背後に目をやると真後ろに竜太が立っていた。
氷のように冷たい手の感触が腕に残り、ハルはブワリと総毛立つ。
「こんな所にいないで、いこうよ。ハルさん」
彼は再び何事も無かったかのように手を伸ばしてくる。
「嫌っ!」
力任せに突き飛ばし、転がるように病室を飛び出す。
背後で「あらあら、フラれちゃったのねぇ、ボク。人の
「何だよ、おばあさん。俺の邪魔しないでよ」という苛立った声も聞こえたが、今の彼女には二人の言い合いを確認する暇はない。
病室からまっすぐに階段を目指すと、今までどれ程さ迷っても見つからなかった階段があっさりと見つかった。
ループからは脱せたらしい。
ハルは喜ぶ隙もなく階段を駆け降りる。
(早く早く早く! もうこんな所嫌っ!)
四階──
三階──
二階──
息は上がり、脇腹が痛む。
ようやく一階まで降りられた彼女は足早に受付を通り過ぎ、一目散に正面玄関へと向かう。
大きな自動ドアは固く閉ざされていて開かない。
「嘘、嘘でしょ!?」
手でこじ開けようにも不思議な力でも働いているのか、まるで壁のようにびくともしないのだ。
ガンガンと叩くが何の意味もない。
「開いて! お願い! 開いてよ!」
嫌な気配が上から降りてくるのが分かる。
彼だ。
彼がゆっくりとこちらを目指して降りてきている。
感覚が研ぎ澄まされた状態の今のハルでは、見えずとも感じてしまうのだ。
(このままじゃ捕まる!)
もし捕まったらどうなってしまうのか──想像するだけで恐ろしい。
死んでしまうのかもしれないし、永遠にこの病院の中を彷徨う羽目になるかもしれない。
(嫌だ嫌だ! 死にたくない! 帰りたい! 助けて! ここから出して!)
ハルは火事場の馬鹿力で近くにあった消火器を掴み上げ、自動ドアに向かって振り下ろした。
ガァン、とガラスに当たったとは思えない音が響く。
「どうして!? どうして割れないの!?」
ジンジンと痛む手を擦り、諦めきれずに扉に体当たりをする。
今から別の出口を探す時間も余裕も、今の彼女には無い。
(誰か、誰か! 助けて──!)
もうここまでか──
ハルが扉の前で膝を突いていると、ヴーンとポケットが振動した。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます