2、貰う

 気付けば三月の中旬に差し掛かっていた。

チョコを渡した日以来、ハルは竜太に会っていない。

わざわざ会う用も無ければ今までのように偶然遭遇する事も無かった。


 ただ一度、世与高校の入試に合格したという連絡だけは貰っていた。

春になったら彼が後輩になるというのはむず痒い気分である。

次会う時にどんな顔をして話せば良いのか──

それが分からなくなる位には距離が開いてしまっていた。


(大丈夫……別に、何かあって疎遠になった訳じゃないし。たまたまタイミングが悪かっただけだと思おう……)


 時折出てくる不安に蓋をする。

彼女は竜太の事を考えないようにしながら残り短い高校二年生の生活を謳歌していた。




 そんなある休日の朝。

自宅のリビングでくつろいでいたハルは震えるスマホの着信に驚き、ソファーから飛び上がった。


(わ、わ! 珍しい、竜太君だ!)


 何か事件かと思う反面、つい期待に胸が高鳴る。

メッセージを確認すると用件だけの文が表示された。


──さっきハルさん家のポストにお返し入れといた。後で確認しといて。


 お返しと聞いて思い当たるのはバレンタインの件しかない。

まだホワイトデーまで日はあるがフライングなのはお互い様である。


 ハルはドタバタと玄関を出て外のポストを覗き込む。

ポストの中には綺麗な包装紙に包まれた薄い箱が入っていた。

お菓子だろうか。

裏面には小さく「天沼」と書かれている。


(どど、どうしよう! まさかあの竜太君からお返しを貰えるなんて!)


 彼女は動揺しきりで自宅へと戻る。

御守り以外で彼に何かを貰うのは初めての事だ。

期待していなかった分、喜びは大きい。


(やばい、嬉しい……! でも、何でポストに? どうせここまで来たんなら、少し位会ってくれたって……あ…………)


 はたと気付いてしまい、ほころんでいた表情に陰りが差す。


(……もしかして、避けられてる……?)


 今まで燻っていた嫌な考えが噴出し、ムクムクと膨れ上がっていく。


(いやでも、まさか、ね。ただ少し線を引かれただけで……流石に私が竜太君を好きって事までは気付かれてない……はず。……多分…………)


 もし想いの全てを見抜かれていたとしたら、恥ずかしくて死んでしまうかもしれない。

ハルはフラつく足取りで自室に入る。

手にした瞬間はあんなに輝いて見えたお返しの箱が、今はどこか虚しく見えた。

心ここにあらずで包みを開くと、中身は六枚入りの白いクッキーだった。


「……おいしそう……」


 何の面白味も飾り気もない、至ってシンプルなクッキーを選ぶ所が彼らしい。

頭の中はグルグルとまとまらず、心臓もずっと騒がしい。

いてもたってもいられなくなり、彼女はスマホをポケットに突っ込みながら自宅を飛び出した。



 無我夢中で近所を走る。


(もしかしたら、まだ近くにいるかも!)


 会ってどうするのか、など細かい事は考えずに、ハルはひたすら竜太の姿を探して走った。

目につく場所を無心で駆け抜ける。


 コンビニ、駐車場、民家の小路──

ものの数分で息は上がり額に汗が浮かぶ。

三月とはいえパーカーで走ると流石に暑い。


 暫くさ迷っていたが、そう都合よく見付かる筈もない。

幾分か冷静さを取り戻したハルは諦めて足を止める。

そこで何となく顔を向けた通りの向こうに、一人で歩く竜太を発見した。


(嘘、居た……!?)


「ま、待って! 待って竜太君っ!」


 必死の様相で駆け寄るハルに驚いたのか、彼はギクリとした様子で振り返った。


「……何」


「あのっ、おかっお返し、ゲホ、お菓子、ありが……っゲホッ」


 言わんとしている事を察したらしい。

重要な内容ではないと判断した竜太の態度は実に素っ気ないものだった。


「別に、礼に礼はいらない。貰いっぱなしが嫌だっただけだから」


 目も合わせず「用はそれだけ?」とまで言われてしまい、ハルは大人しく頷く。


「……あの、竜太君?」


「俺、用ある。じゃあね」


 彼はそれだけ言うとクルリと背を向けてしまった。


(もう「またね」って、言って貰えないのかな……)


 悲しさと寂しさが入り交じり、ハルの心を容赦なく抉る。

人に好意を持たれる事がそんなに嫌な事なのだろうか。


(何で? 私、別に好きだなんて伝える気も無かったのに。どうしてこんな風に避けられなきゃいけないの?)


──悲しい、寂しい──


──苦しい、辛い──


──痛い、苦しい──




『もっ とイ イコ、見ィ つ けた ァ』


 突如として聞こえてきた低音の声がハルの脳を揺さぶる。


(っ!? 何!?)


 まるでボイスチェンジャーで変えたような声だ。

性別は分からないが、嫌な笑いを含んでいるのが分かる。

頭のてっぺんからつま先まで舐められるような不快な視線が刺さり、ハルは咄嗟に身構えた。


 ただならぬ空気を裂くように竜太が怒鳴り声を上げる。


「お前らが狙ってんのは俺だろ!」


 何の話をしているのかとハルが理解するより早く、先程とは別の声がキンキンと響く。


『じ ゃあ この コ ボク も らう』


 グラリ、と足元が崩れた。


「……え、」


「! ハルさ──」


 段差から落ちるようなゾワリとした浮遊感と共に意識が遠のく。

まずいと思いながらも抗う事は叶わず、彼女は目を閉じる。

一瞬だけ、闇に包まれながら手を伸ばす竜太の姿を見た気がした。






 ひんやりとした床の感触に身震いした所でハルは目を覚ました。

最初に目に映ったのは少し黄ばんだ白い壁と天井である。


「こ、こは……?」


 まだぼんやりとする頭を押さえてムクリと上体を起こす。

体に異常はないようだ。

ハルは状況を把握するべく周囲を見回した。


 どうやら広い通路の中央に倒れていたらしい。

人の姿はなく、頭上の白い蛍光灯がチカチカと不気味に点滅している。

通路の奥の方は電気が切れているのか非常に薄暗い。


(もしかして、ここ病院?)


 見覚えのある内装のこの建物は、彼女が盲腸で入院した時の病院とよく似ていた。

かなり大きな医療機関だったため施設の全ては把握していなかったが、十中八九その病院だろうと確信する。


 無機質な壁にスライド式の扉がいくつか見える。

一番近くの扉は特に頑丈そうで、どこか仰々しい。

立ち上がった彼女は扉に貼り付けられた小さなプレートの文字を見て顔を顰めた。


(「霊安室」? やだ、私、何でこんな所に……!?)


 不穏な場所に出鼻を挫かれながらも、現在地を知るべく移動する。

すぐに見つけたエレベーターの横にはフロアの案内が書かれており、ここが東棟の七階なのだと知った。

霊安室の他には病理解剖室や事務所、休憩室等があるようだ。

ハルの中では霊安室は地下にあるというイメージがあったが、そうとは限らないらしい。


(とにかく、早くここから出なきゃ)


 この無人の状況でエレベーターに乗る気にはなれない。

彼女は心に喝を入れ、階段で一階まで下りる事にした。


 いつどこで何が出るか分からない。

周囲を警戒しながらコツコツと歩いていると、新たな異変に気が付いてしまう。


(何、あの空!?)


 フロアの端で発見した、下り階段の手前にある窓。

そこから見える外の世界が見た事もない色をしていたのだ。

セピア色ともまた違う、くすんだ薄い黄色の空。

雲も、建物や木々も、影も、全体的に黄色い景色が広がっている。


 現実味のない光景を目の当たりにした彼女の体が小刻みに震え始めた。


(何なの、ここ。絶対に普通の場所じゃない! 私、一体どこに来ちゃったの!?)


 もしかしたらこのまま外に出ても帰れないかもしれない。

そんな不安が彼女を襲う。

耳が痛いほどの静かな空間では、唾を飲む微かな音すら響く気がした。


 ハルはカツ、と足を踏み出し薄暗い階段を降りる。

緊張で喉はカラカラだ。


 六階──


 踊り場──


 五階──


 次は四階だと手すりを掴んだその時、彼女のものではない別の足音がコツコツと聞こえてきた。

すぐに足を止め、息をひそめる。


(誰? もしかして、こっちに向かって来てる……!?)


 冷たい壁に背を預けて耳を澄ます。

足音は五階の通路から聞こえており、ゆっくりと階段の方へ近付いて来ていた。


 コツ、コツ……


 隠れる場所などない。

いっそ階段を勢いよく駆け降りるかとも考えたが、この震える足では上手く走れる自信は無かった。


 コツ……コツ……


(来た……!)


 せめて恐ろしい物を見ずに済むよう、ハルはギュッと目を瞑る。

しかし彼女の耳に届いたのは、何よりも頼もしい、一番聞きたかった声だった。


「良かった、ここにいたんだ」


「…………え?」


 怖々と目を開くと、竜太が通路から階段に向かってひょこりと顔を覗かせていた。

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