最終章、異世界

1、壁

 生霊事件から数日が経過したある日。


 ハルは図書館の裏手にある古びたベンチに座って竜太を待っていた。

助けて貰った礼をどうしてもしたいと伝えた所、指定されたのがこの場所だった。

風が吹き抜けて寒い場所だが人通りは少ない。

こんな穴場があったのかと感心しながら、彼女はお礼の品であるチョコレートの入った鞄を抱え直す。


(バレンタインより少し早いけど、これはただのお礼だし、別に変じゃない……よね? 時期的にいっぱい売ってたからって言えば、問題ない……よね?)


 自分に言い聞かせるようにそわそわと前髪を整える。

間違っても彼に胸の内を悟られる訳にはいかないのだ。

彼女はゆっくりと深呼吸して平静の仮面を貼り付ける。

竜太は約束の時間ギリギリに現れた。


 無表情で歩み寄りながら「お待たせ」と言う姿は、いつもの彼に比べ輪をかけていているように感じられる。

入試前で彼も色々と都合があったのかもしれない。

雰囲気に飲まれたハルは慌てたように口を開く。


「あ、あのね。前にも言ったけど、これ、生霊から助けてくれたお礼とお詫び。バレンタインも兼ねて、良かったらどうぞ」


 ハルはおずおずと両手でチョコレートの包みを差し出し、「大事な時期に怪我させちゃって、ごめんなさい」と頭を下げた。

気負っていない、手頃な価格の市販品だ。

自然に振る舞えているのか不安に駆られる彼女をよそに、竜太は包みを数秒見つめてから「お礼?」と首を傾げた。


「う、うん。本当にありがとうね」


 決して他意はないという風に微笑むと、彼はさして興味無さそうにふーんと鼻を鳴らす。


「これ、チョコなの?」


「うん。ほら、今、時期的にいっぱい売ってるし……あ、嫌いだった?」


「普通」


(普通なのか……)


 少しガッカリする彼女の手から、ヒョイとチョコレートが取り上げられる。


、貰う。わざわざありがと」


 どこか引っ掛かる物言いだ。

その言葉の意味を考えてしまった彼女の心臓がヒヤリと氷水を掛けられたように冷たくなった。

以前彼が言っていた言葉が脳裏をよぎる。


──俺、返せそうにない物は受け取れない。


(それって「ただのお礼」じゃなかったら、受け取れないって意味、なのかな)


 竜太はチョコレートの包みをしげしげと眺めながら「何で女子ってこーゆーの好きなんだろね」と呟いている。

バレンタインに浮かれるその他大勢の女子と同一に見られた事がただただ悲しく、ハルはぎこちない笑顔で取り繕う。


「まぁ……気持ちというか、なんというか……人によるんじゃない、かな?」


「ふーん。……俺、よく分かんないんだよね。好きだの付き合うだのって奴。いちいち気にして、面倒くさくないのかなって思う」


(……やっぱり、竜太君は鋭い……)


 やんわりとした拒絶──

少なくともハルにはそう感じられた。

思いを直接伝えた訳ではないし、もしかしたらただの考えすぎかもしれない。

それでも竜太の口振りは一線を引いた、壁とも言えるものだった。


 怪異で鍛えられたポーカーフェイスで泣きたい気持ちを隠し、彼女は無理やり話題を逸らす。


「えっと…………入試は、大丈夫そう?」


「普通、受験目前の人にそういう事聞く?」


 半目で返されてしまい、しまったと口をつぐむ。

その迂闊さが面白かったのか、竜太は特に気を悪くした風でもなくからかうように口元を歪ませた。


「まぁ、それなりに勉強してたから余裕。俺には『先生』が多いしね」


「そ、そっか。それなら安心だね」


 先生とは地元の老人達の事だろう。

中には元教員や元塾講師の者もいた筈だ。

地元の大人達からやたらと可愛がられている彼ならではの勉強法である。


 他愛ない世間話を少しだけ交わすと、竜太はおもむろに「それじゃ」とベンチから立ち上がった。

余裕だと話してはいたが、やはり彼なりに忙しいのかもしれない。


 邪魔をするつもりは毛頭ない。

ハルは冷たいベンチに座ったまま「頑張ってね」と帰っていく彼に手を振った。


(……恋愛って、本当に難しいんだなぁ……何かする前に、終わっちゃったよ……)


 恋愛など、自分には全く縁のない遠い世界の夢物語だと思っていた。

いざ当事者になった気分は最悪である。

まるで告白する前に振られた気分だった。


(仕方ないよね。竜太君だって、私なんかに好かれてるって知ったら、困るだろうし……)


 むしろ、早めに彼の胸の内を知る事が出来て良かったのかもしれない。

陽の差さない寒空の下、ハルは泣くでもなく、ただ悲しみに暮れるのだった。

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