2、贈り物

(お願い、繋がって……!)


 ハルは桃色の御守りごとスマホを握りしめる。

灰色の何かはグニャリグニャリとハルと北本の周りを回り始めていた。


(近いし、歩きにくい……)


 長いコール音が耳に痛い。

北本は涙目でハルの右腕にしがみついたまま電話が繋がるのをひたすら祈っている。

右手に北本、近くでは灰色の何かが動き回るという非常に歩きにくい状況にも関わらず、何故か立ち止まるという選択肢は湧いてこなかった。


 電話はなかなか繋がらない。

もう駄目かと諦めかけた時、待ち望んだ声が左耳に届いた。


──も……もし……


「り、竜太君っ!」


 悲鳴に近い声で名前を呼ぶと、向こうも異常を察知したのか声色が変わる。


──……ルさ……、今……こに…… るの……


 ハルは途切れ途切れの通話をもどかしく思いながらも声を張り上げた。


「も、もしもし! 今、前に会った神社の通りにいるの!」


──どっ……の方……向か……て……るの?


「七里さん家方面に向かってる! 道が変なの! 友達もいるし、どうしよう!」


 竜太の声を聞いた途端に弱音が溢れ出てしまい、慌てて口を閉じる。

それまで半泣きでいた北本が目を丸くしてハルを見つめた。


──もっ……詳し……説明……て……


(落ち着かなきゃ、私がちゃんとしなきゃ……!)


 ハルは友人と二人でいる事、道がループしていて抜け出せない事、何かがいる気がするという事を何度も繰り返し伝える。

北本がいる手前、灰色の何かがグルグルと周りを回っているとは言えなかった。

だが勘の良い彼なら何らかのモノが近くにいることを察してくれるだろうと期待する。


──目立……とこ……で…………って…………


「え、何? 聞こえない!」


──………立つ……ころ……止まっ……いて!



 どうにか「目立つところで止まっていて」だと聞き取り、ハルは北本と顔を見合わせた。

何故かは分からないが、足を止めるのが無性に恐ろしいのだ。


「目立つ所って言っても……」


「あ、あれは?」


 北本が震える指で前方に見える漢方薬局のポスターを指す。

今日だけでもう何度も見た横幅五十センチ程の古びたポスターだ。

色褪せたオレンジ色で、確かにこの辺りでは一番目立っている。

ハルはすぐに電話口に向かってオレンジ色の漢方薬局のポスターの前だと伝えた。


──そこ……前……立って……


「そこに立っていれば良いの?」


──……そう……


(大丈夫。きっと、何とかなる)


 二人はポスターの前に差し掛かると気合いを入れて立ち止まった。

灰色の何かがグニョンと北本の前で立ち止まる。

生理的に受け付けない不快な動きのそれは、少しだけ前屈みになり彼女の顔をじっと覗き込む。


(顔がないのに、睨んでるみたい。嫌な感じがする……どうしよう……)


 逃げ出したい衝動に駆られるが、竜太はここで立っていろと言っていた。

電話はまだ繋がっており風の音やガサゴソ音ばかりが聞こえている。

音の感じからして、彼は走っているのかもしれない。


(今は、待つしかない)


 ハルはギュッと北本の手を握り返す。

北本も何らかの気配だけは感じているようだ。

真っ青な顔で俯いてはいたが、もう泣いてはいなかった。


『じ……ま…………ま……ゃ……じ』


(え?)


 灰色の塊が低音を発する。

すぐに言葉だとは気付かず、ハルはスマホから耳を離し灰色の声に意識を向けた。


『じゃ……ま……』


「ひっ……!」


 その言葉が「邪魔」だと理解すると同時に、凄まじい憎悪と拒絶の意志を感じ取った。


(これは、私に言ってるの?)


 それは体をグニョンと大きく揺らし、何をするでもなく濃い悪意を振り撒いている。


(もしかして、私が居るからアカリちゃんに手を出せないでいる……?)


 そう気付いたからにはますます離れる訳にはいかない。

ハルは歯の奥がカチカチと鳴るのを食い縛って堪える。

北本の手を強く握り直せば彼女もそれに応えた。


「……ごめんね、ハル。私泣いてるだけで……怖いのはハルだって一緒なのに」


「あ、いや、これは仕方ないよ……」


 怪異に慣れているハルですらこの有り様なのだ。

無理もないと思いながら、何とか北本を安心させる方法はないかと思案する。

しかしいくら考えても何も思い付かない。


(私は、竜太君みたいには出来ない……)


「邪魔邪魔邪魔」と苛立ったように繰り返される声が無力感に拍車をかける。


 パンッ


「っ!」


「きゃあっ!?」


 突然、何かが弾けるような乾いた音が響き渡った。

顔や体に何かがパチパチと当たり、二人は反射的に目を瞑る。


「見つけた」


 恐々目を開けると目の前には竜太が立っていた。

左手にスマホと粗塩の袋を持っている。

顔に当たった物は彼がぶち撒けた粗塩だったようだ。

灰色の何かは忽然と姿を消しており、先程まで感じていた嫌な感覚は無くなっている。


「りゅ、た君……」


 緊張の糸が切れたハルは北本ごとフラフラとポスターの塀にもたれかかった。

彼の背後に見える電柱の文字が普通の文字に戻っている。

やっと帰って来られたのだと実感し、ハルと北本は抱き合って喜んだ。


「こわっ怖かったぁ~! 戻れて良かったよぉ~!」


「うん、怖かった……っ」


 ワァワァ泣く北本の背を擦りつつ、ハルもそっと目元を拭う。

しかし彼は喜びの余韻に浸らせる気はないらしく、険しい顔で北本を睨み付けた。


「お姉さん、前に神社の前で一度会ったよね」


「んぅ? ん~……? あっ、あの時の可愛い少年君!?」


 ズビビと鼻を啜りながらも、彼女は以前神社の前で竜太と出会った時の事を思い出したらしい。


(随分背が伸びたのによく思い出せるなぁ……)


 妙な所で感心していると竜太は北本の鞄を指差した。


「……最近誰かに、何かを貰わなかった?」


「最、近……? ……あぁ、ならこれかな。このマスコット。先週、いや、もうちょい前かな? に貰ったの」


 北本は鞄についている一際大きなマスコット人形を二人に見えるように向けた。

毛足の長いまん丸な白猫だ。

青い瞳が大変愛らしい。

何のキャラクターだろうかと思っていると、竜太は「それ、手作りだよね」と言ってのけた。


「わぁ、すごい、よく分かったね!」


「……誰から貰ったの」


 淡々と話す竜太に、二人は何故そんな事を聞くのかと首を傾げる。

竜太はハルに目配せすると「呪具」と声を出さずに呟いた。


(呪具……? この、可愛い猫ちゃんが!?)


 彼の呟きが聞こえなかった北本は嬉しそうに猫をつつく。


「これはねぇ、友達が作ってくれたの。私、誕生日はバタバタしちゃっててね。お祝い出来なかったからって。遅めの誕生日プレゼントだってさ」


(それが呪具なら、やっぱり呪われてたのはアカリちゃんで……え、じゃあ、それをあげた人が……)


 聞きたくないのに、聞かなければならない。

ハルは矛盾する思いで手の汗をしきりにスカートで拭った。

落ち着きのないハルに構わず、竜太は無情にも核心に迫る。


「何て人? ハルさんも知ってる?」


(聞きたく、ない……)


 北本は彼を恩人だと判断したらしくにこやかに答える。


「もちろん! これくれたのは──」


 告げられた名前にハルの思考が停止する。


「…………は?」



(……何で? だって、え? どうして……)


「ハル? どうしたの?」


「…………」


 言葉が出てこないハルを無視して竜太は猫のマスコットに触れる。

静電気のようなパチリとした音が鳴り響き、全員が猫のマスコットに注目した。

彼は嫌な顔を浮かべたがすぐに無表情に戻る。


「ねぇ、お姉さん。この猫、俺にちょーだい」


「えぇ!? 私は別に構わないけど……でも、くれた子に悪いしなぁ……」


(竜太君、呪具を回収する気だ……!)


 謎の現象から助けられたお礼として竜太に渡すか否か、北本は決めかねている。

ハルは迷いながらも「渡した方が良いと思う」と声を振り絞った。

少し渋っていた北本が小さく頷く。


「ハルが言うなら、そうしよっかな。その子には家に飾ってるって言えば良いだけだしねぇ」


 彼女はあっさりと「はい、どーぞ!」と鞄から外した猫マスコットを竜太に差し出した。


「ありがと」


 竜太は人形を受け取ると、それを容赦なく粗塩の袋の中に突っ込んだ。

「えぇえぇ!?」とすっとんきょうな声を上げる二人に構わず、彼は袋の口を縛る。


「な、何してんの竜太君!?」


 せめて北本の居ない所でやって欲しかったと焦るハルだったが、竜太の態度は冷めきったままだ。


「何って、こうでもしなきゃこのお姉さん、今すぐにでも同じ目に遭うよ」


 突き放すような言い方に北本の肩がビクリと震える。

恐怖はまだ体に根強く残っていた。


「これ、強い。御守り持ってるハルさんが居てもギリギリだった」


 どういう事かとハルは手元のスマホに目を向け、驚きの声を上げる。

スマホに付けていた桃色の御守りが焼け焦げたように黒ずんでいた。


「なにこれ! やだ、何で?」


「これって、すす? どうしてこんな……」


 騒ぐ二人の横を自転車に乗った主婦が邪魔そうに通りすぎていく。

竜太は当然のように「何って、守ってくれたんでしょ」と塩の袋を揺すった。


「……そっか……」


 ハルは感謝しながら御守りをスマホから外す。

確かに御守りとしての役目を果たしてくれたのだろう。

しかし気に入っていただけにハルのショックは大きい。

見るからに落胆するハルを気遣いつつ、北本は「え~っと」と頬をかいた。


「よく分かんないんだけどさ。助けてくれたんだよね。その猫ちゃんは陰陽師少年を信じて、全部任せるよ」


「俺陰陽師じゃない」


「バカらしい」と口を尖らせる彼が可笑しかったらしく、北本がケラケラと笑う。

少しだけ場の空気が和むが、竜太は眉一つ動かさずにハルに向き直った。

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