十一章、呪い遊び

1、ループ

 休みが明けると北本は普通に登校して来た。

両手を合わせてひたすら謝り倒す彼女を責める者はいない。


 浦に至っては鼻息荒く彼女に顔を近付け「マジ気にすんなし。また今度どっか行こうぜ」と詰め寄っている。

引き気味に頷く北本を庇うように志木が立ち塞がった。


「ちょっと浦、近い! アカリ困ってんじゃん」


 ギャアギャアと言い合いを始める志木と浦を見て、ハルはコッソリと大和田に話しかける。


「ね、ねぇ。志木さんて、浦君の事……」


 大和田もハル同様手を口の横に当てて声をひそめた。


「個人の自由だけどさ、由羽子も趣味悪いよね」


(やっぱり、そうなんだ……)


 なぜよりによって浦なのかと内心で大和田に激しく同意する。

大和田がやれやれとこめかみを押さえた。


「ハルですら気付いたってのに、浦も相~当鈍いよねぇ」


「……」


 リナに教えて貰うまで全く気付かなかったとは言えず、ハルの視線が泳ぐ。


(アカリちゃんは志木さんが浦君の事好きなの知ってるのかな……それに、志木さんはアカリちゃんの事、本当はどう思ってるんだろう……?)


 気になるのに確認するのが恐ろしい。

やっと出来た友人達の見えない亀裂に危機感を抱き、ハルはすっかり気落ちしてしまった。



 その日の昼休みの事だ。

ハルは運悪く授業で使う教材を運んで来るよう頼まれてしまう。

手伝うと名乗り出た大和田と共に資料室へ行き、目当ての教材を手にする。


 さて戻ろうと歩いていると、屋上に続く階段から男女の言い争う声が聞こえてきた。

聞き覚えのある声だ。

二人は咄嗟に顔を見合わせる。


(この声、もしかして美園さん? もう一人の声は……誰だっけ……?)


 足音を殺しながら階段の前を通過する。

「何で私じゃ駄目なのよ!」という美園の怒声を浴び、相手の男は困惑しているようだった。


 階段から十分に離れると大和田が興奮気味に口を開いた。


「私、生の修羅場って初めて遭遇したわ」


「う、うん……」


(見つからなくて良かった……!)


 ハルは気まずく教材を抱きしめる。

一方大和田は興奮冷めやらぬ様子で「美園さん、川口に未練あるのかなぁ」と呟いた。

男の方は川口だったのかと納得したが、未練の意味が分からない。

ハルがポカンとしていると、大和田は「あ、知らないのか」と苦笑した。


「川口と美園さん、中学の時に付き合ってたらしいよ」


「へ、へー……そう、なんだぁ……」


(それじゃあ美園さんからしたら、元彼の川口君とアカリちゃんが仲良いの、面白くないんじゃないかな……)


 北本と美園の不仲説が真実味を帯びてきた。

もしかしたら北本は想像以上に妬まれ易いタイプなのかもしれない。


(アカリちゃんの体調不良が呪いと関係ない事を祈るしかない……)


 北本が回復すればこんな疑心も心配もなくなるというものだ。

ハルは希望を胸に深く息を吸い込んだ。



 そんな願いも空しく、北本の不調は悪化の一途を辿っていく。

三日も経つと彼女は体育の授業を見学するようになっていた。

竜太に相談するかと迷いもしたが、北本が疑われてしまうのではという気持ちが勝り二の足を踏んでしまう。

そうしている内にただいたずらに時間だけが過ぎてしまった。




「アカリちゃん、大丈夫?」


「う~ん、気持ち的には平気なんだけどね。体が重くてツラいんだよねぇ」


 北本が気だるげな笑みを浮かべる。

この日は他の友人達の都合が合わなかった為、ハル一人で彼女を家まで送る事になっていた。

学校を休もうとしない北本の根性に尊敬の念を抱き、そっと寄り添う。


「まぁ明日は土曜だし、部活もないからゆっくり休むとするよ」


「……うん、それが良いね。鞄、持とうか?」


 ハルが北本のスクールバッグを指す。

何も付けていないハルの鞄とは違い、彼女の鞄はチャームがいくつも付いた賑やかな物だ。

一番大きい物だと握りこぶし大のぬいぐるみマスコットが付いている。

重そうだと思っての気遣いだったのだが、彼女は「平気平気」と弱々しく首を振った。


 雑談する元気も無いらしく互いにほとんど無言で並び歩く。

北本は徒歩通学で家はハルの家からは少し距離がある。

どちらかというとナナサト床屋に近い。

以前竜太と出会った小さな神社を通り過ぎ、二人はゆっくりと北本家を目指した。


「すっかり迷惑かけちゃってごめんねぇ」


「もう、気にしないでってば」


 あまりの心苦しさにハルは唇を噛みしめる。


(やっぱり、このままじゃ駄目だ。アカリちゃんを送ったらすぐにでも竜太君に相談しよう)


 むしろ何故もっと早く相談しなかったのか──

己の優柔不断さに腹を立てていると、はたと違和感と胸騒ぎを覚えた。


(? なにか、変?)


 何が、と言われても分からない。

辺りは小道やわき道が点在する、少し古い民家が建ち並ぶ何の変哲もない住宅地だ。


(人通りがないけど、一方通行の狭い道だし、こんなものなのかな)


 ザッザッと古いアスファルトを歩く音だけが響く。


(いや、やっぱり、何かおかしい)


 違和感の正体が分からず、歩きながらそれとなく周囲を観察する。

やがてその正体に気付いたハルは目を疑った。


(文字が、変……!?)


 電信柱の番地や朽ちた選挙のポスターなど、書かれている全ての字がグチャグチャとした読めない文字になっていた。

その字は呪具を作る為に書いたとされる呪詛の文字に酷似している。


(ヤバい! これは間違いなく、呪い関係の何かだ……!)


 動揺する一方でハルの頭は幾分か冷静であった。

まずは友人を逃がさねばという責任感が恐怖心を抑え込んでいた。


(アカリちゃんを早く家に送って、この現象から逃げないと……)


 そこまで考えた所でハッとする。


(道が……長すぎる……!?)


 いつの間にか先程通った道を再び歩いているように感じた。

そうでなければもう北本の家に着いていてもおかしくない位の時間を歩いている筈だった。

疑問はすぐに確信へと変わる。


(やっぱりそうだ。この漢方薬局のポスター、さっきも見た)


 一体いつからループしていたのかと冷や汗が背中を伝う。

北本もこの異変に気付いたらしく、声を震わせた。


「ね、ねぇ、ハル。何か、おかしくない?」


「……うん」


「私、ちょっとボーッとしてたけどさ。いつの間にかこれ、私達……進んでない、よね?」


「……うん。同じ所歩いてる、よね……」


 何故だか無性に足を止めるのが恐ろしい。

それは北本も同じなのか、具合が悪いにも関わらず立ち止まる様子はなかった。

二人はどちらともなく身を寄せ合って歩き続ける。


(出口も、繋ぎ目も分からない。いっそわき道に曲がる? 戻る? 一体どうしたら……)


 一度相談しようかと北本のいる右側を向いた時だった。


「…………っ!?」


 不安げにハルにしがみつく北本の更に右隣に、灰色の何かが歩いていたのだ。

サッと目を逸らして視界の端でそれを捉える。

それが視える度にジリジリとした胃の痛みに襲われた。

酸っぱいものが込み上げるような吐き気からして、が良くない物であると本能が告げているようである。


 その灰色の何かはハル達と同じ位の大きさでグニョグニョと危うい輪郭をしていた。

人の形を何とか取り繕おうとしている動きのようにも見える。

は北本の顔を覗き込むような仕草をしているが触れる様子はない。

視えていない彼女はその存在に気付く事なく、ただ終わりのない道への恐怖に怯えている。


(マズイ、マズイ、マズイ! は、アカリちゃんの事しか見てない!)


 ハルは震える手でスマホを取り出し竜太に助けを求めようとした。


「嘘……」


 言ってからしまったと思うが、時すでに遅し。

北本はハルのスマホの画面を見て悲鳴を上げた。


「や、やだ、なにそれ!? 何で文字化けしてるの!?」


「わ、分からない、けど、とりあえず助けを呼ばなきゃ」


 パニックになる北本をなんとか宥める。

スマホの文字は時計の数字も含めて字がおかしくなっていた。

それもよくある文字化けではなく、あの呪詛に似たグチャグチャの筆跡の文字である。

アイコンも歪んでしまっていてどれがどれだか分からなくなっていた。


(これじゃ、どれが竜太君の番号か分からない……!)


 記憶を頼りになんとか電話帳を開き竜太の電話番号を探す。


(確か、朝霞あさかさんの次が、竜太君だった筈……!)


 五十音順の登録者を思い出しながら、ハルは先頭から二番目の天沼竜太と思われる番号を発信した。

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