6、孫

 体を揺さぶられる感覚に顔をしかめる。

誰かが自分を起こしているのだと感じた。


(お母さん……? もう少し、寝かせてよ……)


 微睡みの心地よさに負けてゴロリと寝返りをうつ。

それでもしつこく揺さぶられた彼女の意識は嫌でも目覚めに向かってしまった。


「……んー……もう少し……」


「……何寝ぼけてんの、ハルさん」


「っ!?」


 側にいるのが母親じゃないと分かった瞬間、ハルはガバリと飛び起きた。

その動きは流石に予想外だったのか、起こしていた人物が目を丸くする。


「……おそよう」


「あ、え? 竜太君? どうして……ここは?」


「七里さん家」


 竜太はすぐにいつものポーカーフェイスに戻り布団から離れた。

周囲を見回すと、そこは六畳程の広さの和室だった。

箪笥や化粧台などに囲まれ、段ボール箱や一斗缶等が雑に積まれている。

お世辞にも綺麗とは言えない年季を感じる物置のような部屋である。


 竜太は襖を開けると「ハルさん起きたー」と声を上げながら出て行ってしまった。

状況の把握に脳の処理が追いつかず、彼女は掛け布団を握る。

壁の振り子時計は三時十分を指していた。


(何が起きたの……? 確か私、皆と別れて、リナちゃんと出掛けて……そうだ、公園! 公園の桜の木!)


 今朝からの記憶を辿っていると日焼けした襖がスッと開く。

部屋に入って来たのは竜太と背の高い細身の男だった。

男は二十代前半だろうか。

目が覚めるような金色の短髪でシルバーの細フレーム眼鏡をかけている。

四角いレンズの奥の目は鋭く険しい。

両耳の複数のピアスやミリタリー調の服も相まって、まるでインテリ系の不良かチンピラである。


 ハルが初めて関わるタイプの人種だ。

会釈も忘れて硬直していると、男は布団の横に胡座をかいた。

竜太も少し離れた所に座っているが、彼女はすっかり怯えきってしまった。


「で、体調はどうスか?」


 見た目に反して落ち着いた口調で話す彼の声には聞き覚えがあった。

この目付きの悪い男の声こそが彼女が意識を失う直前に聞いたものだった。

ハルはガチガチに強張りながら口を開く。


「平気、です……あの、私、一体何が……」


「あぁ、覚えてねんスね」


 無表情で淡々と話す様は竜太とよく似ている。

彼は中指で眼鏡を上げると眉間に皺を寄せた。


「君、男にたぶらかされて首を吊ろうとしてたんスよ」


「………………えぇ!?」


 彼女自身薄々そんな気はしていたものの、改めて言われると実感が違う。

もう少しで自らの手で生涯を終える所だったなど、たとえ終わった話でも笑えない。


 血の気が引いているハルに、男は「奴はもう居ないから心配ねっスよ」とニヤリと口元を歪ませた。

悪い笑みにしか見えず、彼女の肩がビクリと震える。

見かねた竜太が口を挟んだ。


しのぶさん、顔怖い。ハルさんビビってる」


「あ゛ぁ? 何でっスか。こんなに紳士的なのに」


「ハルさん、この悪人面、七里さんの孫の七里ななさとしのぶ。あの人形預かった人」


 あの人形とは首無し人形の事だろう。

年上の彼を悪人面呼ばわりする竜太に焦りつつ、ハルは深々とお辞儀をした。


「えっと、助けてくれたみたいで、ありがとうございました」


「良んスよ。これも仕事なんで」


(仕事って、テレビで観るような霊能力者ってやつ?)


 彼女の知識はどこまでもテレビ基準である。

大した事ないと無表情で手を振る彼は、どう見ても七里には似ていない。

人当たりの良い七里老人がこの場に居ない事が非常に悔やまれた。


 忍は「さて」と姿勢を正す。


「たまたま俺がコンビニに入ったら、男に首を絞められた君が紐を買う所でね」


「え、首を? あ、そういや息苦しかった、ような……?」


 首もとを押さえておぼろ気な記憶を探る。

その時は苦しさばかりで怖いなどとは露程も感じていなかった。


「君は運が良い。もし俺が居合わせなかったら、あの男の新しい女として取り込まれてたス」


「え、えぇ!? な、なん、何で!?」


「彼は友人に恋人を取られて自殺。一人が嫌で道連れ探し、そんな所っス」


 あっけらかんと話され怖さが半減したのは良いが、どこか腑に落ちない。

複雑な思いで頭を抱える彼女に向かって竜太が足を崩した。


「で、ハルさんはそんな危ない奴と、どこで出会っちゃった訳」


「えっと……」


 表情の乏しい二人に見つめられ、ハルは萎縮しきりで公園に行ったと告げる。

場所を聞いた彼らは何でそんな田舎方面に、と顔を見合わせた。


「噂好きな友達がネットで見つけて……なんか、スピリチュアルサイト? で、公園の桜の木がパワースポットだって書き込みがあって、それで……」


 叱られた子供のように一連の流れを説明すると、竜太は頭を抱えて盛大なため息をつく。

忍は話の途中からスマホを取り出し、適当な相槌を打ちながら調べ物をしていた。


「……あった。複数のオカルトサイトやスピリチュアルサイトに、同じ書き込みが」


 忍がスマホを睨みつける。

竜太も自身のスマホで検索し始め、すぐに険しい顔つきになった。


「あの、どうしたの?」


「これ、全部同じ奴の書き込みじゃん」


「……スね。ハルちゃんとそのお友達とやら、騙されたな、こりゃ」


 それぞれの掲示板で、同じIDからの書き込みがなされていた。

どの文面も全く同じである。

恐らく一人の人物があの公園の桜がパワースポットだと触れ回っているのだろう。

ネットに疎いハルには少し難しい話だったが、要はデマに踊らされて危ない目に遭ったという事だけ把握した。


「それで、そのお友達は何でこんなマイナーサイトの情報を選んだと?」


「最近教えて貰ったって言ってました。誰かまでは聞いてません……」


 竜太は「またこのパターンか」と忌々しげに舌打ちをする。

何の話かピンと来ないハルだったが、忍は理解したらしい。


「あぁ、噂を流す手口の話か。でも鏡の噂……ひいては呪い云々の犯人と、この書き込みの主が同じとは限らないスよ」


 既に竜太から聞いているのか、忍は人形の件以外の呪いの話も知っているらしい。

ここでようやく彼女の理解が追い付いた。


 確かに地元で危ない霊の居る場所におまじない的な噂をばら蒔くという点は鏡の時と似ている。

しかし近隣の子供の噂話と広いネットの情報とでは規模が違う。

忍の言うように書き込みの主と呪いを行っている人物が同じだと考えるのは無理があるように感じられた。


「それはそうだけど……何となく、犯人はその噂好きな友達の性格を上手く利用した気がする」


「そんな……」


 まさか自分を嵌める為だけに掲示板に書き込みをし、リナにサイトを教えたと言うのだろうか。

流石に考えすぎだとハルは頭を振った。


 重苦しい空気を和ませるべく、忍は唐突に話題を変える。


「そうだ。もし不安なら特製の御守りあげようか。性能は抜群ス」


 御守りに性能とは? という疑問の前に、ハルは返事に困ってしまった。

御守りは竜太から貰ったとっておきのお気に入りがあるのだ。


「そういえば、前やった御守りはどうしたの」


 答えるより先に竜太に聞かれてしまい、彼女は小さく「学校の鞄……」と答えた。

「持ち歩かなきゃ意味ないね」と呆れる竜太に、忍は目を見開いた。


「あげた? 御守りを? 竜太が? ハルちゃんに? 女の子に?」


「何その反応。ウザいんだけど」


 睨み付ける竜太から目を逸らし、忍は眼鏡を上げて誤魔化す。


「別に。既に持ってるなら良いんスよ。ただし、次はちゃんと持ち歩くように」


「は、はい……」


 忍の悪どい笑顔に引きながら、ハルはコクコクと赤べこのように頷いた。


「まぁ呪い云々の件はもう心配いらないんじゃないスか。鏡の男も首の無い人形女も、恐らくは呪いを行った人物に返ってる筈だから」


「そう、なんですか?」


「悪意集めに失敗したなら、半端に集まった悪意は呼び寄せた制作者に向かう場合が多いんス。人を呪わば穴二つってね」


 忍の説明は分かりやすいが内容は恐ろしい。

あの土気色の男と首の無いツルリとした皮膚の女──同時に対峙するなど想像しただけで生きた心地がしなかった。


「カラスの件もあるし、そいつは他にも色々やってそうだ。普通なら今頃、相当ヤバい状態なんじゃないスかね」


 忍の話を反芻しながら竜太が疑問を溢す。


「最近ハルさんの周りで体調崩してる人とかいないの?」


「…………え?」


 暗にそいつが怪しいと言われているように感じ、彼女の心臓が冷たくなった。

頭に一瞬だけ、本日体調不良でドタキャンした北本の顔がよぎる。


(それは、ない。そんな筈、絶対ない)


「……知らない、分からないよ」


「そう」


 咄嗟に誤魔化してしまったハルに追及する事なく、竜太は再び考え込む。


「ねぇ忍さん。普通ならヤバい状態って言ってたけど、犯人が普通じゃない可能性ってあるの?」


 忍は「ある」とアッサリと答えた。


「例えば、規格外の強さの守りが味方にいるとか。それなら失敗した呪いや集めた悪意が返ってきても、ある程度までは耐えられる」


「守りって何。守護霊とかって奴?」


 胡散臭い物を見る目の二人に、忍は「色々スよ」と肩をすくめた。


「生まれつき耐性のある奴、強い守護霊に護られてる奴、神憑きの奴。霊験あらたかな御札や御守りを所持してる奴。あとは、俺みたいな奴」


 冗談を言う彼に愛想笑いをする余裕もなく、ハルは多すぎる情報を必死で整理する。


(もう、頭が爆発しそう……)


 まるで漫画のような非現実的な話である。

ハルはトイレを借りたいと告げてフラフラと立ち上がった。

「階段降りて左」と言われ、彼女はそっと部屋を出ていく。


 残された竜太と忍は無言でハルが出ていった襖を見つめた。

たっぷり間を置いてから、沈黙を破ったのは忍だった。


「……正直、意外スね。てっきり竜太は宮原のじいさんの孫に嫉妬してると思ってた」


 忍は眼鏡を外し、レンズをシャツの裾で拭く。

表情には出ていないが声が笑っている。

竜太はブスリとしながら「約束したから」とだけ呟いた。

「約束ねぇ」と忍は鋭い目を隠すように眼鏡をかけ直す。


「なら、今後は誰を見捨ててでも危ない物に近付かないよう釘を刺すのをオススメするっス。勿論お前にも言える事だけど」


「はいはい」


 心のこもってない返事に小言を言いかける忍だったが、無駄だと判断したのか別の言葉を口にした。


「……俺、今日中に東京戻るし、もしヤバい目に遭っても助けてやれねっスよ。俺、宮原のじいさんに竜太を頼むって言われてんだけど」


「知らないよそんな事」


 竜太はそっけない態度を崩さない。

可愛いげの欠片もない彼に、忍は長いため息を吐いた。


「まぁハルちゃんの事は程々に。あくまでもお前は視えるだけって事を忘れちゃ駄目スよ」


 竜太が口を開きかけると同時に襖が開く。


「も、戻りました……」


 トイレから戻ったハルが縮こまりながら部屋に入る。

布団をどうしようかと迷う彼女を、忍は彼なりの笑顔で制止した。


「そのままで良いスよ」


「あ、はい。……あの、色々と、ありがとうございました。私そろそろ……」


「あぁ、そうスね。気を付けて帰んなよ」


 胡座をかいたまま片手を振る忍に向き直り、ハルは深々と礼をする。

再び部屋を出ようとする彼女に続いて竜太も立ち上がった。


「俺も帰る。ハルさん送る」


「あっそ」


 手すら振らない短いやり取りだが険悪な様子はない。

二人の独特な距離感を不思議に思いながら、ハルは竜太と共に七里の家を後にした。

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