5、吊る

 目的地のバス停を降りるとすぐ前方に中規模の公園があった。

周囲は古い民家ばかりで、のどかとも寂れたとも言える雰囲気の場所である。

人通りも少なくネットの印象とは大分違う。

リナも同じ事を思ったのか「うひゃ~、思った以上に何もねぇ~」と微妙な顔を浮かべている。


「で、でも、折角ここまで来たんだし、行くだけ行ってみようよ」


「う~ん、ラジャー……」


 拍子抜けしながらも公園に入り、目当ての桜の木を探す。

花壇や木々を楽しむ散歩道がメインの公園のようで遊具などは見当たらない。

つまらない匂いを察知したのか、リナは「駅に戻ったら美味しいもの食べようねー」と早くも次の予定を立てている。


 その切り替えの速さに舌を巻いていると遊歩道の先に大きな木が見えてきた。

恐らくあの木が桜なのだろう。

リナが「お、発見~!」と木に向かって駆け出した。


「待ってリナちゃん! 駄目……っ」


 制止をかけるが間に合わず、慌てて後を追う。

ハルは押し寄せる重圧に耐えながら懸命に足を踏み出した。


(そっちは、行っちゃ駄目……!)


 桜の木の下に三十代位のスーツ姿の男が立っていたのだ。

男の首は不自然に長く、骨が折れているのか右手で髪を掴んで頭を支えていた。

彼の頭上の枝には輪になったロープがぶら下がっている。


 ここで何があったのか容易に想像がつき、ハルの頭に警鐘が鳴り響く。

何も知らないリナは周りのイチョウと桜の木を見比べている。

「お花見には良いかもねぇ」と話す彼女に向かって男がジリ、と動いた。


(まずい!)


 ハルは無我夢中でリナの手を引っ張り男から引き離した。


「うわっ! 何? ハル」


「あ……」


 リナ越しに男と目が合ってしまった。


(気付かれた!)


 そう思うが早いか、男の左手が伸びてくる。

咄嗟の判断でリナを横に押しやると、ハルの身体がズンッと重くなった。


(ヤバ、掴まれ──)


 今にも沈みそうな意識の中、なんとかその場に踏みとどまる。

リナの驚く声がやけに遠くこもって聞こえた。

昼間だというのに視界が異常に暗い。


「ちょっとハル? どうしたの!?」


(何……? あぁ、リナちゃんか……何か、言ってる……)


 ぼんやりした頭を働かせ、何とか「大丈夫」と掠れた声を発する。


「その顔色、全然大丈夫じゃないっしょ! え、ヤダ、どうしよ。タクる? それとも救急車!?」


「本当、へーき、だから。ちょっと目眩がしただけ。バスで帰れる、よ……」


「そ、そう……?」


 大騒ぎする友人を手で制し、おぼつかない足取りでバス停に向かう。


(体、重い。息が上手く出来ない。苦しい……)


「ねぇ、ホントのホントに平気?」


「平気。でも、帰る」


 リナの肩を借りながらバスを待つ。

ハルの目は明らかに焦点が定まっていない。


(早くここから、リナちゃんから、離れなきゃ……迷惑、かけられない……)



 なんとか駅まで戻り、フラつきながら自宅へ向かって歩き出す。


「ちょちょ、待って待って! ホントどうしたの!? 私、家まで送るよ!?」


「一人で帰れるから……ごめん」


 再び肩を貸そうと付いてくるリナには目もくれず、ハルは静かに首を振った。


「で、でも……」


「じゃあね」


「……うーん……じゃあ……家に帰ったら連絡してよね?」


 強引に手を振り払い、重い足を引きずって家に向かう。

これ以上リナが付いてくる事はなかった。


(早く、リナちゃんから、離れなきゃ。早く、帰らなきゃ。早く、一人にならないと。あぁ、でも、帰っても誰も居ないか……どうせ一人だ)


 視界がどんどん暗くなっていく。

それに比例するようにハルの意識も朦朧としていった。


(早く、帰って、やらなきゃ。私は、一人だ。どうせ家には誰も居ない。彼女は何処にも居ない。どうせあいつと一緒に居るんだ。一人なのは私だけ)


 ドス黒い感情がハルの胸中を暴れ狂う。

人目をはばからずブツブツと呟きながら歩く彼女を通行人が気味悪そうに避けて歩く。


(急いで帰っても、何もない。一人だ。裏切られた。一人だけ。俺だけ、一人だけ)


 息が上手く吸えずヒューヒューと掠れた音が漏れる。

ハルは歩道の真ん中で立ち止まりくうを見た。


(息が、苦しい。辛い。首も、胸も、痛い。憎い。全部俺だけ、苦しい。一人、苦しい。俺だけ──いや、)


 彼女の唇がニタリと弧を描く。



『お嬢ちゃんが一緒に居てくれるのか』



 ハルはクルリと方向を変えると、しっかりした足取りでコンビニへと向かった。

店に入り脇目も振らずに荷造り用のビニール紐と鋏を購入する。

虚ろな目の彼女を客も店員も不審がっていたが、咎める者は誰もいない。


 次に彼女は近所の空き地へと向かった。


「早く早く早く早く早く早く早く早く早く……」


 彼女は薄笑いを浮かべながら抑揚のない声で呟き続ける。

手頃な太さの枝がある木を目敏く見つけ、先程購入したビニール紐を適当な長さで数本束ねて鋏で切った。


(あとはこれを輪にして、木にくくりつける。そうすれば、もう一人じゃない。苦しくなくなる。俺は一人じゃない。楽になれる。全部終わる)


 足がかりになる物を探そうと顔を上げた時、彼女の背後で何者かが手を叩いた。


「はい、そこまでー」


 パァンと乾いた音が響き渡ると、紐を結ぶ手が僅かに止まる。


(うるさいなぁ、誰? 私の邪魔したの)


 ハルは苛立ちながら再び紐を結び始めた。


「こら、そこまでっつってんだろーが」


 バシンと固い物で背中を叩かれ、ハルは顔をしかめる。

抑揚の無い、若い男の声だった。

手元のビニール紐しか見えていなかった彼女の視野が少しだけ広がり、暗かった世界に金色が映り込む。


(金色の……髪……? 何なの、さっきから。ウザいなぁ、私、早く吊らなきゃいけないのに)


 ほどけないよう何度も練習した特殊な結び方で、頭がギリギリ通る大きさの輪っかが完成する。

ホッとひと息ついていると金髪の何者かがハルの両手首を強く掴んだ。


「しっかりしろっつの。ちゃんと俺の言うこと聞け。君は、誰っスか?」


「うるさい」


「お前じゃない。に聞いてんス」


 声がこもって聞こえるのが不快で、ハルは手を振りほどこうとした。

しかし彼は手首をガッチリと掴んだまま離さない。


(な、に? 何て、言ってるの?)


 ハルはギロリと目を剥き、憎々しげに歯を食い縛ってみせる。


「うるさい、クソガキが」


「うるさいのはお前だ。君、俺の言葉、聞こえる? 俺の言ってる事が分かったら、何でも良いから反応してみ」


(うるさいうるさい、何この人、さっきから私の邪魔して……あれ。私、何しようとしてたんだっけ?)


 彼の声に引き上げられるように、意識が少しずつ浮上していく。

ハルの目が僅かに揺れた。

彼はその些細な変化を見逃さなかった。


「君、名前言える?」


「…………みや、……はら……ハ……ル…………」


「そうスか」


 それだけ呟くと声の主はハルの手首を掴んだまま淡々と話す。


「ハルちゃん。自分をしっかり持つっス。は、君のやるべき事じゃない」


「…………やる、事……?」


(あれ、何をやろうとしたんだっけ……私、吊らなきゃ、吊る? 何を?)


「……私、私は……」


 生じた疑問は少しずつ膨れ上がり、虚ろだった彼女の目に光が戻っていく。

もう大丈夫そうだと判断したのか、声の主は急に手を離し「ちょっと失礼」とハルの背中を固い何かで強く叩きだした。


 バシバシと数回叩かれた所でようやく痛みを感じ始める。

ハルが「痛っ……」と呻いたのを合図に彼は叩くのを止めた。


(私……どうしたんだっけ。よく、思い出せない……)


 ハルは呆けた頭で先程までの自分の行動を振り返る。

何かとんでもなく恐ろしい事をしようとしていた気がしていた。

いつの間にか声の主は何事かを呟きながら、何かを彼女の背に押し当てているようだった。


(なに? 聞こえないよ。なんて、言ってるんだろう……)


 考えている内に声がだんだんクリアに聞こえだす。

風や車の音も、視界の明るさも、肌寒い空気も感じられるようになっていく。

五感が戻ってくる不思議な感覚だ。

彼女の目に涙が止めどなく溢れる。

息苦しさや首の痛みはもう感じず、よく分からないが助かったのだと理解した。


「はい、おつかれさま」


 背後の呟きが止まり、ハルの肩がポンと叩かれる。

落ち着き払った穏やかな声だ。

張り詰めていた思考と感情の波が一気に引いていく。


(……だれ……? なにか、いわなきゃ……)


 振り返ろうとした彼女だったが、それは叶わなかった。

体はグラリと傾き、そのまま彼女の意識は沈んでいった。

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