2、後悔

 カラオケの誘いを断った翌日、ハルは再び北本に誘われた。


「今日皆でゲーセン寄ってくんだけど、良かったら宮原さんもどう?」


 北本の少し離れた後方にいる五、六人の男女がハル達の様子を窺っている。

彼等の好奇の視線に尻込みしてしまったハルは再び頭を下げた。


「ご、ごめんなさい。今日も、ちょっと……」


「そっかぁ。じゃあ、またね」


(……どうして私ってこうなんだろ。もう、誘ってくれないかもな……)


 北本は特に気にするでもなく、手を振って去っていった。

彼女の誘いを断った事を早くも後悔する。


(北本さんと仲良くなりたいんだけどなぁ……)


 じっくり親睦を深めるタイプのハルに対して彼女は社交的すぎた。



 すっかり消沈しながら帰路につく。

夕方と言っていい時間帯だが空はまだまだ明るい。


 ふいに「あらぁ、宮原さんのお孫さんじゃない」という元気の良い声が投げかけられた。

通りがかった家の庭先で、三人の老婦人が立ち話をしている所だった。


「こ、こんにちは……」


 見覚えのある三人だったが、誰がどこのご近所さんかまでは分からない。

ハルが世与に越してきてから知らない地元民に声をかけられる事はよくある事だった。


「お疲れ様。今日は部活ないの?」


「い、いえ、帰宅部です……すみません。急いでいるので……」


「あらぁそうなの? 気を付けて帰ってね」


「勉強頑張ってねぇ」


 賑やかな三人組は引き続き話に華を咲かせている。

ハルは無意識の内に顔をしかめた。


 今年の一月に亡くなったハルの祖父、宮原源一郎げんいちろうは地元の有名人であった。

社交的だった彼は地域興しに協力的で、子供の見守り活動も行っていた。

果てには自宅の庭を開放し、近隣住人や子供達に憩いの場まで提供していたという。


 ハルが祖父に最後に会ったのは十歳の時だ。

父と祖父が不仲だった為、彼女の記憶に祖父との思い出は殆ど無い。


 数年ぶりの再会が葬式だった事──

 祖父がずっと自分に会いたがっていた事を葬儀の際に初めて知った事──


 それらがハルの心に罪悪感となってのし掛かっている。

近所の住人から祖父の話が出る度に、彼女は祖父不孝者だと責められている気分になった。


(早く帰ろう。今は誰にも会いたくない)


 蒸した空気も、遠くに聞こえる工事の音も、全てが彼女を不快にさせた。


「あ、ねぇねぇ」


「はい?」


 またかとうんざりしながら振り返る。


「あれ?」


 振り向いた先には誰も居ない。


(しまった、油断した)


 口をグッと閉ざすが、もう遅い。

嫌な胸騒ぎを覚えたハルは、堪らずその場から走り出した。


(さっきの声、どんなだった? はっきり聞いた筈なのに、男か女か、分からない……!)


 つい先程聞いた声が思い出せない。

しかも声をかけられた時には違和感など微塵も感じなかった。

その異様さが恐怖心にジワジワと火をつける。

髪を振り乱しながら自宅に逃げ込む彼女を、通行人が不思議そうに見ていた。


 勢いよく帰宅したハルの物音を聞きつけ、リビングにいた母が顔を覗かせる。


「どうしたの? そんなに慌てて」


 説明する訳にもいかず、ハルは何でもないとだけ答えて二階に向かう。


「あっ、ねぇねぇ」


 ギクリと体がこわばる。

一瞬、母が発したとも思える自然な声。

しかし、気を張っていた彼女は振り返らない。


(違う……今のは、お母さんじゃ、ない)


 黙ったまま、ゆっくりと自室に入る。

やはりどんな声だったか思い出す事は出来ない。


(無視しよう。いつもみたいに、向こうが諦めるまで)


 チラリと鏡が視界に映ったがおかしな物は映っていなかった。


「ねえ、ねえってば」


(大丈夫、落ち着いて。その内、居なくなるはず)


 しかし彼女の予想は外れ、夜になっても声は定期的にかけられた。

今回のそれは随分としつこいらしい。


 生きた心地のしない入浴を済ませ、さっさとベッドに潜り込む。


(寝てる間に、居なくなってますように)


 切に願いながら、彼女は固く目を閉じた。






(あれ?)


 何故かハルの意識は眠りから引き戻された。

今は何時だと寝ぼけ眼で時計を確認しようとした瞬間、違和感を覚える。

暗いのだ。

部屋の明かりが消えているからではない。

本当に真っ暗闇なのだ。


(え? なに、こ……れ……)


 すぐに違和感の正体に気付き、覚醒する。

何者かの手が彼女の両目を覆っていた。

よく見ると細い指の隙間から自室の天井が見える。


 悲鳴を上げる暇もなく、ハルの意識は途絶えた。




 彼女が次に目覚めた時は朝だった。


(寝坊した……今日、学校休みで良かった……)


 悪夢にしても酷い夢である。

ハルは恐る恐る顔を洗い、何の気なしに洗面台の鏡を見た。


「や、やだ、何これ!?」


 首に長い髪の毛が数本、くくりつけられていた。

急いで爪を引っかけて引きちぎる。

明らかにハルのものとは違う髪質だった。


『お は よ う』


 彼女の右耳に生暖かい吐息がかかり、反射的に飛び退く。

周囲を見渡すが何も居ない。

冷たい汗が彼女の頬を伝う。

感情の読み取れない声が、壊れたラジオのように「ねぇ、ねぇ」と繰り返し始めた。


(怖がるから、駄目なんだ。大丈夫、落ち着いて……)


『何 で 無 視 す る の ?』


 ハルは右耳を押さえながら、これはもう駄目な奴だと観念した。

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