ばけぎつね? 後編

 蓮原がメグミさんを指名し、いそいそと事務所を出て行ってから3日が経った。

 以来、あの男は昼間の事務所にはまったく顔を出さず、音信不通状態だったのだが、今日になっていきなり連絡があった。


「ふじみ駅に来てくれ。これから解決編に突入だ」

 ――とのこと。


 しかし、お姉ちゃんとエロい事をするのに、事務所の金を使う人間を信用できるだろうか。私はできない。断じてできない。

 だけど、この事務所は上司と部下の二人きりだし、「解決編に突入した」と言われれば、仕方がないところではある(金田一先生の時代から、推理は関係者全員の前で行うのがフォーマルなのだ)。

 私は食べかけのフォンダンショコラを、ラップして冷蔵庫へ突っ込んだ。

 ちなみに、現在時刻は午後4時を回ったところ。小学生がウロウロしていても、補導されない時間帯である(意外や意外、平日に小学生風の女が歩いてOKの時間帯は少ない)。


「冴子、こっちだ」

 

 南口改札で蓮原と落ち合う。

 この男の外観は、今日も今日とて系。

 ハット、コート、マフラーと、そつのないファッションなのだが、どっからどうみても任侠団体様役員である(狙ってんのか?)。

 肩をぶつけてしまった大学生が、泣きそうな顔で謝っている。可哀想だから、不自然な笑顔で「大丈夫だよ」と言うのはやめなさい。一周回って脅しているようにしか見えないから……。


「どこで何をやっていたか知りませんけど、残業続きで大変だったみたいですね」


 私は精一杯の皮肉を込めて、久方ぶりの挨拶をする。しかし、どうやら当の本人には届かなかったようだ。


「おお、色んな所に許可をとるのが面倒くさくてな」


 本当に「まいった」という顔をしながら、ハッカパイプを咥える蓮原。皮膚を泳ぐ鯉が、す~っと首元へと流れて行った。

 くやしいけど、きれい。


「アパートが男性立入禁止だからですか?」

「そっちはテッちゃんに頼んだら簡単だった。面倒くさかったのは、五課に出す事前承認の方。あいつら、何にもやらねえくせに、難癖ばっかつけてきやがる」


 近年、警視庁公安部第五課に設立された「未承認科学捜査課」は、積極的な捜査よりも、私達のような存在を監督して、間接的な治安維持を目指すきらいがある。


「申請は大事ですよ。じゃないと、営業許可が取り消されちゃう」

「システムに文句を言ってるつもりはねえよ。ワケのわからんものに、ワケのわからん問題を解決させようってんだから、許可制度は必要だろう。判明している範囲での事前承認も分かる。でもさ、仮にも我々は一国民だぜ?もうちょっと、態度ってもんがあると思うぞ」

「そんなに酷かったんですか?」

「『出来る範囲で構わないから科学的に説明しろ』って、馬鹿なのか?それが分かれば、お前も俺もいらんだろって話じゃねえか」

「それ、どうやって説明したんですか」

「一応、がんばったさ。そしたらなんて言われたと思う?」

「さあ」

「『よく分かんないですね』だと。俺の時間を返してくれよ」


 私もなんどか「荒事」の申請をしたことがあったが、確かに、担当者によっては見当違いの質問をしてくることがある。

 彼等も彼等なりに実体を把握しようとしてくれているのだが、そこは常識の権化たる国家公務員。我々の話は荒唐無稽に聞こえるだろう。

 私だって、この身にコナン的な事が降りかからなければ、彼等と変わらなかった。


「それより、今日のことですよ。算段を付けるために、私と駅で落ち合ったんでしょう。どういう作戦でいくんですか?」

「ああ、それな。まあ、ちょっと面倒な感じになりそうなんだ……」


 そういって、蓮原はハッカパイプをカリカリと噛む。こんな見た目だが、荒事は好きじゃないのだ。ストレスで胃が痛くなるらしい。


「今日、カオリちゃん依頼人の部屋には、メグミちゃん本人を呼んである。一応、オーナーであるテッちゃんにも同席を頼んだ」

「テツオさんも来てくれるんですね」

「あんなんでも一応はヤ〇ザだからな、後でタチの悪い請求されても面倒臭いだろう。それと、立会人ということで役所も出張ってくるみたいだ」

「区役所?」

「防衛省まで来るかもしれなかったんだぞ?」

「嘘でしょう?」

「通常の弾なんて役に立たないって言ったら、今回は報告だけでいいってよ。あいつら、妖怪大戦争に備えて経験値を貯めておきたいのさ」

「それ、本気で言ってます?」

「こんなところで嘘ついてどうする。まあ、国防ってのはそういう思考回路がなくちゃあやってけねえんだろう。ご苦労な事じゃねえか」


 そういって笑う蓮原。私は笑えない。もし、本当にそんな事が起きたら、私と蓮原は妖怪側の人間とみなされるかもしれない。

 いや、リアルな話で。

 

「おっと、話が脱線したな。いや、今回は冴子にやってもらいたい事があるんだ」

「危ないのはイヤですよ」

「こんな仕事をしてるんだから、まったく危険がないっていうのは無理だろうが。でも、まあ、お前なら大丈夫さ」

 

 ――。

 こういうところが人心掌握のコツなのだろうか。悪い気はしない。

 

「カオリちゃんを守ってくれ」


 そう言って、蓮原はたい焼き屋の紙袋を押し付けてきた。受け取ると、ずっしりとした重さが伝わる。


「う……これって『侘助』ですか?」

「そうだ」

「それで五課に許可を?」

「そう」


 私は紙袋の中身をそうっと覗く。

 中身はやっぱり、黒地に銀色のラインが入った小型の拳銃。どことなく和装の匂いがするそのフォルムは、それ相応に美しいと思うが、殺人兵器はやっぱり好きになれない。


「嫌なんですけど」

「撃つことはないだろうよ。だけど、お前は守る側の人間だ。最悪の場合は躊躇しないで欲しい。使い方は大丈夫だろう?」

「まあ、『侘助』なら。でも、今回の相手ってそんなに危険なんですか?前の『狐』の時は『冷凍ねずみ』だけでしたよね」


 冷凍ねずみも勘弁してもらいたいが、拳銃よりはましだ。


「前回とは違うよ。敵意が無い分だけ、やっかいなんだ」


 そういって蓮原は横断歩道を渡った。

 話は変わるが、この一見そっち系のおっさんは、車が通っていなくても信号無視をしない。ルールに対して厳格というより、社会秩序とか、そういったものを意識しているらしい。

 不便な人だ。





てふてふてふてふてふ………





 徒歩25分。

 やっとこさ「シャルマンデ平成」という、コメントしがたい名称を持ったアパートに着いた。3階建の小綺麗な共同住宅。オートロックは一応ついているが、管理会社が任侠団体とくれば空き巣もケツをまくって逃げ出すだろう。ある意味、警察の寮より安全かもしれない。

 それにしても、この辺りは緑が多い。最近、ベッドタウンとして人気が出てきているって聞いたけど、分かる気がする。

 人は、危険なものと緑には、抗しがたい引力を感じてしまうものなのだ。


「あ、蓮原さん、こっちです」


 細身のスーツをバッチリ着こなした男性が、アパートの前で私達を呼んだ。びっくりするだろうけど、この人が倖田組のテツオさんだ。まるで見た目は青年実業家――堅気のくせに、勘違いされ続ける蓮原が不憫に思えてくる。

 


「すみません、蓮原さん。なんだかウチの従業員がご迷惑をおかけしたみたいで」

「いや、ぜんぜんそんな事ないな。むしろメシのタネを持ってきてくれて、感謝してるぐらいだ」


 紳士的で低姿勢なテツオさんの挨拶に対して、下品な冗談で返す蓮原。これじゃあ、どっちが本職なのか分からない。本当にやめてほしい。


「もう公安の方達は来ていますよ。さ、どうぞ」


 テツオさんに促されてエントランスに入ると、さらに二人の男性がいた。公安部五課の水谷さんと、区役所員の増川さんだ。公務員というと、もっと芋っぽい人が来るのかと思ったのに、二人ともナイスミドル。ただ、私の事を好奇の目でジロジロ見るのは止めて欲しい。気持ちは分かるけど、失礼です。

 その点、テツオさんの私に対する態度はスマートそのもの。「冴子さんは今日もキュートだね。アイドルみたいだ」だって。

 ちょっと、聞いてんのかおっさん二人。いや、蓮原も入れて三人か。


「それじゃあ、テッちゃん、案内を頼む」


 仮にも本職の人を、顎で使わないでほしいと思うのだが、テツオさんは嫌な顔ひとつせずに先に立つ。

 できた人だ。


「カオリの部屋は、この階の突き当たりです。暗いですから足元に気を付けて」


 目的地は2階の角部屋らしい。テツオさんが言う様に、アパートの裏手が林(これ、もはや森じゃね?)になっていて、昼間だというのに薄暗い。まあ、注意して歩く必要があるほどではないが、これから起きる事を考えると、なんだかオドロオドロしく感じる……。


「今、呼び出しますから、少しだけお待ちください」


 部屋の前で、カオリさんに電話をかけるテツオさん。

 すぐに玄関のドアが開き、カオリさんが出て来た。戦闘モードバッチリメイクなのを見ると、今日は仕事だったのだろう。


「あ、どうも……」


 後ろ手にドアを閉めるカオリさん。見知らぬ男性が二人いることで、警戒心がマックスになっている。さしずめ、子猫を守る母猫ってところか。

 すかさずテツオさんが、説明に入る。


「カオリ、この人達は蓮原さんに協力してくれる人だ。心配しなくていい」


 怪訝そうな顔をしながらも、テツオさんに言われれば、頷くしかない。警戒態勢をしいたままドアから離れ、私達の傍に来る。


「冴子ちゃん……蓮原さん……」


 すがるような視線が、こちらに向けられる。私はこれから起きるであろうことを知っていながら、微笑んで見せた。

 ああ、大人ってイヤ。


「電話でも話したけど、今日は調査結果を伝えに来たんだ。いろいろと、辛い事を聞かなくちゃいけなくなるかもだけど、頑張ってくれるかい?」


 蓮原が前に出た。

 罪悪感から「もんもん」とする私を隠すように。いや、庇ったのか?


「……メグミを助けてくれるんですよね」


 何かを予感しているのだろう。

 不安げな彼女だったが、蓮原はあえてはっきりと伝えた。


「正直に言うけど、メグミさんを救う事はできない。助けを求めていない人のことは、助けられないんだ」

「そんな!」


 一歩前に出るカオリさん。

 その肩を蓮原が受け止めた。


「大事なのはメグミさんじゃない。彼女のために心を砕いていたカオリさんの方が重要なんだ」

「でも、あの子は!!」

「分かってる。でも、それでもだ。君が全てを、ありのままに見ようとしなければ、この問題は何も解決しない」

「何を言ってるのか、分からないんですけど!」

「何を言ってるのか、分からなくてもいい。でも、これから起きることを、君は見ように見てはいけない。見ままに見なくちゃダメなんだ。ありのままを受け入れる覚悟を持ってくれ。それだけでいい……」

「どういうこと……」


 困惑するカオリさんを尻目に、蓮原は私に合図を出す。

 コクリとうなずく私――。


「メグミさんは中にいるね?」

「何をするつもりなの!?」


 もし、彼女が庇うつもりだったのなら、その言い方はまずかった。「知らない」と答えるべきだったのだ。


「冴子、頼んだぞ」


 蓮原が、カオリさんの脇を「ぬるり」と滑るように通り過ぎると、玄関ドアを開け放った。そして、土足のまま飛び込む。

 私は、後を追おうとするカオリさんに「侘助」を押し付けて、留まらせる。

 ここまでは予定どおり。


「冴子ちゃん、何で!?」


 向けられた銃口というよりも、私の行動に対する驚きと悲しみで動けなくなるカオリさん。部屋の奥では、蓮原が上着の懐から「寂助」を取り出していた。

 「寂助」は「侘助」と対になっている銃だが、圧倒的に口径が違う。道具自体が死を象徴しているかのような代物だ。


「ウソ!やめて!逃げて、メグミ!!!」


 に気が付いたカオリさんが、悲壮な声を上げる。

 途端に始まる部屋の中の喧騒。モノがひっくり返る音と、人のモノとは思えない唸り声。


「ウゴオオオオオおおお!!!!」

 

 しかし、蓮原は一瞬の躊躇もなく「寂助」を向けて引金を引く。続けざまに二発。ひどく無遠慮な乾いた音が聞こえてきた。それ以上、音が続かないから、おそらくそういうことなんだろう。


「いやあああああ!!」

「動かないで!!」


 私は体をグイとドア側に差し込んで、カオリさんを食い止める。こんなもので人の行動を制限するなんて最低だけど、今は、カオリさんにとって最も重要な段階になっているのだ。

 通すわけにはいかない。


「冴子ちゃん!!」

「ちゃん付けはやめてって言ったでしょう」

「なんで、こんな事するの!?ねえ、メグミは!!死んじゃう!!」

「……メグミさんは死んではないわ」

「うそ!!だって、あそこに足が見えてるじゃない!!」

「そうね。確かに死んでる」

「なんでそんな事をするの!!彼女が何をしたっていうの!!」


 半狂乱。

 無理もない。

 だから、敢えて私は冷静になろうと努めた。そして、あの男を見習って、はっきりと告げた。


「何をしたっていうのなら、人を喰い殺したわ。少なくとも3人以上」


 私は「侘助」を構えながら、片手で携帯端末を操作する。


「カオリさん、ニュースとか見ないでしょう?もし、これを見てたら、駆け込む場所はウチじゃなくて、警察だったかもね」


 液晶画面に表示されていたのは、大手検索サイトのニュースページ。そこには会社員が行方不明になっているという記事が写真付きで載せられていた。


「あ……この人……」

「そう、この人は前にカオリさんを指名した人よ。他にもいるわ」

「……どういうこと……なの……」


 こめかみを抑えながら、困惑の目を向けるカオリさん。そこへ、蓮原の声が届いた。


「そういうことなんだよ――」


 振り返ると、懐に「寂助」をしまいながら、蓮原は悲しそうな顔をこちらに向けていた。

 鯉が頬を上る。

 きれい。


「メグミさんは憑かれてなんかいなかった。憑かれていたはカオリさん、あなただったんだ」


 遠くで「愛のメロディ」が流れ始めた。

 輪郭が曖昧になる時間――逢魔時が始まる。







てんてろりんてんてん……







「事の発端は、たぶん、ソレだろうな」


 蓮原が指したのは、ドアの下部に設置された猫用の通り穴。テツオさん曰く、入居者からの希望が多かったから、リフォームの際に設置したらしい。


「資料を読んだけど、カオリさんは猫を飼っていたんだろう?だから、外からの侵入者に対してガードが甘かった。夜中に、ガタんと音がしても、『ああ、猫が帰ってきたんだな』程度にしか考えていなかった。たとえ、もう自分の猫がいなくなった後だとしても……」


 たった今、カオリさんは自分の愛猫がいなくなっていた事に気が付いたらしい。いや、思い出したというべきか……。


「テッちゃんに聞いたよ。若い衆に協力させて、捜索の看板を作ったんだって?でも、それは随分と前の話なんだろう?」

「去年……いや、もっと前かも……」

「そうか……。それじゃあ、最後に君が『猫が帰ってきた』と思ったのはいつ頃かな。夜中に、扉がカタンと開いたのは?」

「分からない……でも、最近もあった気がする……」


 蓮原は優しくうなづいた。そして、そっとカオリさんの肩を抱いてあげる。


「……そういうことだ。君はこれから、事実を事実として受け入れて行かなくちゃならん。つらいだろうが、きっと平気。あるがままを、あるがままに見ればいいんだ。その力は皆が持ってる」


 カオリさんは虚ろな目をしたままだ。返事もしない。

 しかし、蓮原はかまわず尋ねた。


「なあ、カオリさん……。今、メグミさんはどこにいると思う?」

「……部屋の中……あなたが撃った……」


 蓮原は首を振る。


「俺はメグミさんを撃ってないんだよ。冴子も言っていただろう?メグミさんは死んでないんだ」


 蓮原が合図を出すと、テツオさんが隣戸の扉をおもむろに開けた。出て来たのは、ぽっちゃり系美人な女性――カオリさん。この健康そうなほっぺを見て、幽霊じゃないかと疑う人間はいないだろう。


「彼女がメグミさんだ。このアパートに住んでいて、君と同じ場所で働いているけど、君とは同居していない。もちろん、他に同じ名前の子はいないぞ。指名の時にかぶっちゃうからな」

「でも、事務所の人が、メグミちゃんと一緒に住めって……」

「ダメだよ、カオリさん。自分の記憶を自分の意志で曲げちゃあダメだ。君は、事務所の人間に同居を頼まれたんじゃない。本人から、そう言われただけ」

「……そんな……ウソじゃない……」

「頑張ってくれよ?記憶ってのはとっても優しいんだ。優しいから、なんでも都合よく形を変えちまう。でも、それじゃあ、いつまでたっても憑き物は落ちない。君はウチの事務所ではっきりと言ってるんだ。『事務所の人に言われて来たと、彼女が言った』って。それって、ようするに彼女が一人で君の部屋を訪れたってことだろう?」

「あ……」

「よし、次だ」


 蓮原は自分の後ろ――部屋の奥に横たわる死体の一部を指す。


「なあ、カオリさん。一度、深呼吸をして、もう一度見て欲しい。あそこに見えるのはなに?」

「あれは……なんだろう……」

「よく見るんだ。その答えは、自分で出さなくちゃだめなんだよ」


 カオリさんが目を細める。

 そして、おずおずと口を開く。


「動物の……足?」


 蓮原は満足そうに微笑む。


「ようやく希望が見えてきた。そう。あれは、動物の足だ。もうちょっというと、ハクビシンってヤツ。おそらく、裏の林に住んでいたんだろう」

「でも……なんだろう……すごく大きい……」

「そうだな。でも、もうすぐ経つと縮むと思うぞ。ちょっと、中に入ろうか」


 蓮原とカオリさんを先頭に、私達は中へと進む。部屋はそれ相応に散らかっており、それ相応に汚れていた。


「これはデカい……」


 死体を見て、びっくりしたのは区役所職員の増川さんだ。「環境保全課動物管理担当」だけに、その異常なサイズに言葉を失っている。

 確かに、そこへうずくまっている獣は大型犬よりも二回りくらい大きい。よく分からないけど、ハクビシンだとしたらメガトン級なんだろう。っていうか、こんな野生動物と丸腰で鉢合わせたら死ぬ。


「確かに大きいんですが、学術的価値はゼロですよ。もうちょっとすると――ホラ、縮んてきた……」


 蓮原が言うように、みるみるメガトンハクビシンが縮んでいった。もう、イメージどおりのサイズ感におさまっている。業界では死後収縮といわれているヤツだ。

 増川さんが、思わず身を乗り出す。


「これは!?」

「びっくりでしょう?『死後収縮』って呼ばれている現象なんですが、科学的説明はぜんぜん追いついていません。まあ、だからってことなんでしょう」

「妖怪……すごい業界ですね……」

「この仕事に重要なのは、分からない事を、分からないと認識しながら答えを探す事なんです。無用な想像は、かえって事実を遠ざけてしまうんですよ」


 興味津々の増川さんに対して、五課の水谷さんは腕を組んで唸っている。


「しかし、何度もこうしてコイツ等を目の当たりにしても、いまいち現実のモノとは思えないな。いや、信じなくちゃいけないんだろうが……」

「信じられないという事も、受け入れちまえばいいんですよ。それも事実でしょう?」

「そうはいってもだ、この年齢になると柔軟に物事を理解できないんだよ。そもそも、この獣――ハクビシンだっけか――の目的はなんだったんだ?」

「野生動物の目的なんて、喰う事と、ヤル事以外に何があるんですか」


 なんて言いぐさだ。

 動物愛護団体の人が効いたら、鉈で襲い掛かって来るだろう。

 

「ちょっとお伺いしたいのですが、今後、似たような事案があった場合に役所ウチから猟友会に連絡して処分してもらうことはできるんですか?」


 水谷さんの質問に答えたのは増川さん。眉間に皺が寄っているのは、自分の説明に納得がいってないからだろう。


「法令上は、なんら問題はありませんが、あまり意味が無い様なんです。こいつら――つまり、妖怪ってヤツは、さっき体を大きくしていたモノが全体を覆っていて、刃物や銃弾が通りづらいそうなんです」

「そうなんですか。でも、蓮原さんは普通に仕留めていましたよね?」

「蓮原さんは特別な技術を持っていて、奴らのソレを中和しているらしいんですよ」

「中和……ですか?」

「私も詳しくはわかりません。っていうか、蓮原さん、あんたが説明してくれよ」

「いや、増川さんが言ったとおりですって。今回、私は弾丸そのものに逆ベクトルの力を込めただけです」

「はあ……」


 そりゃそうだ。

 そういう反応を取らざるを得ないよね。だって、働いている私ですら、戸惑ってるんだもん。

 でも、オッサンたち。ちょっと、依頼者の存在を忘れてやいませんかい?

 私が肘で突くと、蓮原はハッと我に返って、カオリさんの方に向かい直した。もうちょっと、支払者――改め、依頼者に敬意を持ってほしい。


「それじゃあ、カオリさんの獣憑きもなんとかなりそうだし、この時点で分かっている事をまとめておきましょうか。水谷さんも、裏付け捜査に必要でしょう?」

「ああ、頼むよ」

「カオリさんも大丈夫だね?」


 頷くカオリさんを見てから、ハクビシンにさっと両手を合わせ、蓮原は話し始めた。

 あらためまして、解決編である――。


「こいつの手口は、いたってシンプル。カオリさんに付きまとって、彼女にサービスを受けた男を喰い殺すだけ。隠蔽工作も何もあったもんじゃない」

「その割には捜査は進展していなかったみたいだが?」

「『ホテルロンドン』には、入口にしか監視カメラがないんです。だから、このサイズの獣が出入りしても、なかなか気が付かれなかった。もしかしたら、利用客が目撃したことがあったかもしれませんが、あそこの利用客は、デリヘル客か不倫カップルが8割。見ても黙っていたでしょうね」

「でも、これだけ大型の獣が街中を勝手に移動していたら、ホテル内じゃなくても、話題になりそうですよ」

「それも大丈夫。このアパートとホテルロンドンは、この後ろの林を介して接してるんです(「そうだろう?テっちゃん」)。区が違うからピンとこないかもしれませんけど、たとえライオンが移動していたとしても、バレません。なんてったって、この裏は旧海軍の所有地なんですから」


 なるほど、だから防衛省が出てくるなんて話しがあったのか。


「こいつは、カオリさんが客と別れた後、ホテルから出てくる男達に声をかけます。彼女の服を着た、彼女と同じ匂いのする姿――男達は目の前の獣をカオリさんと信じて林の中へ付いていき、そこで食い殺される……」


 ピクリと身体を硬直させるカオリさん。

 きっと、どこまでも愚かで優しい彼女は、自分を責めているんだろう。


「しかし、人間に変化して騙すなんて、妖怪ってのはすごい力を持ってますね」

「増川さん、それは違います。狐だろうが、狸だろうが、姿を変えることなんてできませんよ」

「え?でも、現に彼等はだまされたんでしょう?」

「ええ。でも、獣は獣のままです。妖怪化で体は大きくなりますが、姿までは変えられない。さっき見たじゃないですか。あれが、全てですよ」

「そんな!暗闇とはいえ、獣と女性を間違えますか!?」

「普通はね、間違いませんよね。でも、多くの人間が間違えちまった。それが事実です」


 聞いた事がある。

 人は、臭いや、仕草、声など、さまざまな要素で相手を識別している。もしかしたら外観の違いなど、肌を合わせた者同士では、大した問題ではないのかもしれない。

 そして、この獣はそれを本能的に知っていた。だから、体を売る商売をしているカオリさんに近付き――というのは考えすぎだろうか……


「さあ、カオリさん、これが全ての調査結果だ。種を明かしてみれば、あっけない話だろう?君の隙間――優しさっていってもいいのかもな――そこへ、飛び込んで来た獣が、好き勝手に餌をあさっていただけの話。悪意なんてどこにも落ちてない。純粋な食欲と、庇護欲、性欲が、上手くまとまっただけだ」


 蓮原が両手を広げた。

 もう何も持ってないってポーズ。「終わり、ちゃん、ちゃん」のポーズ。

 でも、どろりと漂う空気が、終わりを連想させなかった……。なにか、奇妙な圧迫感が、蓮原の方から湧き出て来る。


「だけどね、カオリさん」


 彼女がピクリと跳ねた。

 今度は恐怖から……。


「君の憑き物は、半分しか落ちてない。獣は落ちたが、獣が憑いちまった一番の原因――人の方がまだ落ちてないみたいだ」


 いつのまにか蓮原の鯉が口を開けている。

 こわい。

 

「君は、あえて物事の境界線を曖昧にしている。他人との距離、自分の仕事、挙句の果てには生死すらもだ。他者を誰でも受け入れ、人の問題を自分の事の様に悩む。それは一見、美しい人間愛にも感じられるが、君のソレは違う。意思なき許容は、ただの『穴』に過ぎない……」


 足元から池に飲み込まれるような感覚。錯覚じゃあ無いのは、周りの人達を見ればわかる。

 メグミさんなんて、訳も分からず顔が真っ青だ……。


「君の『穴』はなんだ?あえて輪郭を曖昧にしているのは何故だ?誰を受け入れようとしている?そして……その人間は………」



 ――



 蓮原は広げた手を静かにカオリさんの両頬へ添えた。

 なんだろう。

 「ごぷり」とにぶい咀嚼音が聞こえた気がした……。






 ごぷごぷごぷごぷごぷ……。

 

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