第6話 誰の為に “鬼” となるか

 斎藤さんによる『店の掃除と整理整頓』の指示が出てから、以前の店とは見た目にも大きく変わってきた。誰がみても明らかなほど、店の中はすっきり片付いているし、休憩室やトイレもきれいになった。壁や床を始め、ガソリンを給油する計量機なども徹底的に磨き上げ、何日もかけて少しづつ仕上げていった。古いポスターなどはすべて廃棄し、店の中には観葉植物を置いた。店内の分煙の為、新しい分煙機を買うなど経費をかけて模様替えするなど、潔い改革っぷりであった。不思議なもので自分自身できれいにしたり、その状態を維持していくうちに、きれいな状態が気持ちよくなり、掃除するのが習慣になっていったのだ。


 しかし、忘れてはいけないのは、その間もお客さんはどんどんやって来ているし、日常業務はこれまで通り行われている。忙しい毎日は変わらず過ぎているのだ。実際には、雨でも降らない限り、日中に掃除をする時間は殆どない。しかし、少し前までは、お客さんが途切れる度に集まって世間話をしたり、休憩室に入りタバコを吸うスタッフの姿が見られたが、今ではそんな“暇”は全くない。少しでもお客さんが途切れると、一人が店頭に残り、残りのスタッフはトイレ掃除や店の模様替えをしたり、ほうきと塵取りを持ってフィールド内はもちろん目の前の歩道や近くのバス停までゴミを拾う。これが毎日、どんな時間でも行われた。模様替えなどは夜遅くまでかかることもあった。当たり前と言えば当たり前かもしれないが、日中に心の休まる時間は全く無かった。少しでも気を抜いているスタッフがいれば、容赦なく怒号が飛んできた。1日何度も。店の空気は一気に凍り付き、お客さんにその空気が伝わらないように接客するのは一苦労だった。

 

 ただ、少しづつではあるが、店に来たお客さんから『店が明るくなった』や『なんかお店きれいになったんじゃない』などと言う声が出るようになると、スタッフの間でも今やっていることが “間違っていないんだ”と実感できるようにもなっていたのだ。スタッフ同士の“世間話”がほとんど無くなった今、みなが同じような喜びを実感できる出来事というのは、モチベーションを保つ上で非常に重要なものであることを痛感していた。『仲良しクラブ』から『同じ目標を持ったチーム』になりつつあるようだ。

 だが、今はまだチームというよりは、斎藤さんのもとでは “軍隊” といった方が近いかもしれない。“力”でスタッフをまとめ上げている。そのブレないスタイルと、正論。経験と実績に裏打ちされた圧倒的な説得力。みな、反論したくてもできない、だから指示に従うという雰囲気。まだまだ、斎藤さんを信頼してついていく!みたいな状況とはほど遠かった。


『店長、副店長、ちょっときてください!』

斎藤さんが大きな声で二人を呼ぶ。また二人が絞られるんだと、みなが伏し目がちになる。その様子は見たことがないが、きっとそうだろうと皆が考えていた。店長と副店長に関してはいつも事務所内に入り、3人で話をするのだ。シビアな経営状態や売り上げ、これからのやり方について話しているのだろう。

 そんな時、先日斎藤さんと会話していた業者の担当者がやってきた。

『あれ、今日斎藤さん休みですか?』

『今、店長と話されてます。読んできましょうか。』

『いやいや、大丈夫ですよ。すぐ帰りますので』

ちょうどお客さんもいなかったので、私はほうきと塵取りを持ったまま、ちょっと気になったことを聞きたくて、担当者を呼び止めた。

『ちょっと聞いていいですか?』

『ん、なんですか?』

『斎藤さんて、前の店でも厳しかったんですか?』

どう質問していいのか、あまり整理できてないのがバレバレだった。担当者はしばらく考えて口を開いた。

『そうだねぇ、厳しいと言えば厳しいんだろうね。ただ、前の店ではもっときつい目つきで、今よりギラギラしてた気がしますけどね。なんか、ほんとスタッフ達が“軍隊”みたいな感じで・・・』

(やっぱりそうなのか、、けどこれでも丸くなった方なのか。)

すると、担当者は急にまじめな顔になり、一呼吸ゆっくりと間をおいてまた話始めた。


『北村くん、だったけ。』

『は、はい。』

『斎藤さんはなぜ、あんな“鬼軍曹”みたいな役を買って出てると思う?』

私は、答えに困った。まだまだ、斎藤さんの本質は見ていなかったのだ。

『店の売り上げを上げるため・・・ですか。』


『まぁ、それはもちろんあるんだけどね。あの人も昔は苦労したらしいんだ。なかなか売り上げの上がらない時期を経験して、そこから自分自身で勉強して考えて、自分なりの方法で利益の出る店を作り上げたらしいんだ。』

『斎藤さんにもそんな時期があったんですね・・』

私は複雑な気持ちだった。


『そして仲間にも恵まれない時期があって、苦労して。自分を頼ってくれるお客さんにも迷惑をかけてしまった。そのことがあってから、あの人は自分が嫌われ者になってでも、利益を上げて、来てくれるお客さんに精一杯のサービスができるように努力してきたみたいなんだよ。売り上げが上がれば、一緒に仕事をする仲間、そしてその家族も守ることができるって考えたんだ。』

正直、私は腑に落ちなかった。納得できる部分もあったが、これまでの斎藤さんの振る舞いをみていて、全てを素直に飲み込むことができなかった。


『そうなんですね、でもお店の売り上げを上げるためっていうのは分かりますけど、スタッフのことをそこまで考えてるとは・・・』

店長と副店長、そして斎藤さんのいる事務所の方に目をやりながら、小さな声で言った。

『ほら、今だってそう。斎藤さんは人前で、個人的に叱ることはしないんだ。叱る時はみんなから見えないところで。褒める時は、みんなの前で。これからだんだんわかってくると思うよ。・・・ならそろそろ行きますね。頑張ってくださいね!』

私は何も言えず、黙って頭を下げた。そこまで考えてやってるのかあの人は。本当か・・・

―いろいろ考えていると、事務所のドアの開く音がした。スタッフの背筋がピンと伸びる。

斎藤さんは笑顔だった。もちろん店長と副店長は対照的だ。なんだか担当者の言っていたことが間違ってないような気がした。同時に少しの不安もあった。


『おい、北村!ぼーっとすんな。次はこっちやるぞ』

『はっ、はい!』


もちろん不安もあったが、もう少しこの人を信じてやってみようと思った。

戦いはまだまだこれからのようだ。

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