第4話 光と陰

 斎藤さんが店にやってきて5日が経った。


店長を始めスタッフはみなシフト制で出勤している、当たり前だが。しかし、斎藤さんは違う。店を立て直すという目的でヘッドハンティングされているので、それも当たり前と言えば当たり前である。お店の営業時間は午前7時~午後9時。店開けを担当するスタッフは6時半ごろに出社し、だいたい9時までに全スタッフが揃うのだ。

 斎藤さんは朝が弱いのか、およそ9時を過ぎたあたりになるととても不機嫌そうな顔をして不意に現れる。低血圧なのか、朝はとても負のオーラがすごい。しかし、オールバックの髪はキッチリとセットされ、制服のシャツはズボンにインして、重たそうな黒光りした安全靴を履いている。見た目に几帳面な雰囲気が出ている。A型なのか。。


出勤してきた斎藤さんは、スタッフの『おはようございます』という声に対し、右手を少しだけ上げて、低めの声で『おぅ。』とだけ応える。そのままフィールド内を通り過ぎ、休憩室に入ると椅子に座りどこか遠くを見つめるような表情でタバコをふかす。これが朝からの一連の流れだ。よっぽどの急用でもない限りこの時間に声を掛けることはできない。たった5日で全スタッフが悟るほどのオーラと毎日同じルーティンなのだ。この、存在だけで空気を変えてしまう斎藤さんの威圧感というかオーラによって、たった5日でガソリンスタンドとそこで働くスタッフ達の雰囲気は大きく変わっていた。そしてその変化は同時に、この小さなガソリンスタンドの中に、まぎれもなく『光』と『陰』を作り出していったのだ。


『いらっしゃいませ-』

今日も朝からスタンドにはスタッフの大きな声が響く。初日に齋藤さんの指示で始まった“空に向かって大きな声で叫ぶ、いらっしゃいませ”は毎日全スタッフが揃い、齋藤さんが出社すると自動的に始まる。それぞれ順番にひとりずつ行い、齋藤さんの『OK』サインが出るまでは終わらない。5回以内で終わるスタッフはまだいない。ただ、年長者である店長だけはこの“儀式”を免除されていた。

『じゃあ、次は副店長!』

齋藤さんは副店長を呼んだ。副店長の富永くんは私より4つ年下だ。整備士の資格も持っており、愛想もよくお客さんにもスタッフにも好かれている。

『・・はい。。。。いらっしゃいませぇ~』

副店長の力ない声に齋藤さんの表情は冴えない。そう、この副店長は急に始まった齋藤さんの独壇場に明らかに不満を持っていた。それまで店のムードメーカー的存在で仕事もバリバリこなしていた副店長は影を潜めていた。

『ダメ。もう1回だ。』

『・・・いらっしゃいませぇ~』

『はい、ダメ。おまえやる気あんのか』

こんなやりとりが毎日の様に続いている。その度にスタッフ全員がヒヤヒヤしていた。副店長の態度は明らかに齋藤さんへの反抗だった。無理もない。これまでみなが自分を慕い、自分の好きなように仕事が出来ていた環境が、ある日突然180度変わってしまったのだから。

 すると、お客さんとの電話を終えた店長が現れた。“儀式”を免除されているだけあってなんだか足取りも軽く、これまでと変わらない笑顔だ。

『店長、こいつダメですね。』

齋藤さんが店長に言った。

『まあまあ、そう言わずに。副店長も元気出していこう、ね。』

まだこの時点では、自分自身に矛先が向かっていないからなのか店長はどこか他人事のような言葉を掛ける。


『もう、いいや。じゃあ次は北村。』

『はい!。』

私の番がやってきた。雰囲気は最悪だったが、やるしかない。“日本一のスタンドマン”を目指す事にした以上、こんなところで終われないのだ。


『いらっしゃいませー!』

精一杯の声で少しどんよりした空に向かって叫ぶ。5日目ともなると、初めは違和感のあったこの儀式にも慣れてきた。なにせ、この5日間で斎藤さんが私たちスタッフに指示したことはこの声出しだけである。それ以外のことについては、私たちのやり方を見ているだけで、全く注意したり、指示を出すこともない。

『いらっしゃいませー!』

『おぉ、なかなかいいねー』

斎藤さんはにやりと笑みを浮かべながら私の方を見ている。普段の威圧感とたまに見せる笑顔のギャップにはまだ慣れない。不気味さを感じてしまう。

『いらっしゃいませー!』

『よし、OK!じゃあ次・・・』

今日は3回でOKが出た。最短記録だ。なんだか嬉しくて笑いをこらえきれなかった自分が少し恥ずかしかった。


 “儀式”を終え、喉を潤そうと休憩室に入ると、副店長が暗い顔でタバコを吸っていた。こちらからは声を掛けられず、静かに水を飲んだ。すると、タバコの火を消した副店長は部屋を出る直前、小さな力ない声で言った。

『俺、やっぱ無理だわ・・・』

私は何も言葉を返すことができず、部屋を出る副店長の背中を見ていた。悲しいでも寂しいでも悔しいでもない、複雑な感情が僕の中でぐるぐると渦を巻いていた。

 すると、直後に斎藤さんが入ってきた。私は緊張で背筋がビッと伸びた。

『お、今日は早々合格したからさぼってんな。』

斎藤さんはちょこちょこそんな冗談を挟んでくるが、本気なのか冗談なのかまだ見極めが難しので、笑えない。

『いや、さぼ・・・』

『お前は、何を目標に仕事してるんだ?』

斎藤さんは私の言葉を遮るように、まじめな表情で聞いてきた。少しためらったが、

『に、日本一のスタンドマンになることです!』

自分なりに精一杯背伸びをして言い切った。照れくさいのを隠すのが大変だったが、きっとばれていただろう。

『無理だよ。バカ。』

斎藤さんはいつものようににやりと笑いながら言った。相変わらず口が悪い。ただ自分としても照れ臭かったので、そう言ってもらった方が気持ちは楽だった。すると急にまじめな顔をして斎藤さんが切り出した。

『まぁな、今は200%無理だな。』

『はぁ、、、』

うつむきながら、力なく返事をすると、斎藤さんはまじめな顔で続けた。

『ただな、一般的な人間はな、“一流”を目指して頑張ってもせいぜい“二流”か“三流”

で終わるんだよ。ということは、“一流”になるやつはどんな奴だ?』

『・・・えぇ・・・』


『“超一流”を目指したやつだよ。』


斎藤さんのすごいところは、決め台詞のあともドヤ顔をしないことだ。今のところそこだけは尊敬できる。ただ、今回は初めて少し認められたような気分だった。

 この日『日本一のスタンドマン』になるという目標にほんの少しだけ、小さな小さな明るい光が見えたような気がしていた。しかし、同時に少しづつ大きくなる“陰”の存在も見過ごすことができなくなっていた。まだまだ戦いは始まったばかりだ。

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