第3話 空に向かって愛を叫べ!
ガソリンスタンドと言えば、元気なスタッフが車を誘導してくれ、ガソリンの給油をしながら社内のゴミを捨ててくれたり、窓ガラスを拭いてくれる。給油が終わると出口での誘導をし、『ありがとうございました!』と気持ちよく送り出してくれる。それぞれのお店で多少の違いはあれど、たいていこのような流れである。
学生時代に初めてガソリンスタンドでアルバイトをした日。単純なこの一連の流れの仕事に底知れぬ楽しさを感じてしまった。この仕事なら毎日やりたいと。
今の店で働き始めておよそ1年。自分なりに他のスタッフに負けないようにと努力していたつもりだったのだが、現在のこのなんとも言えないメリハリのない環境に慣れてしまい、私もいつしか惰性で仕事をしていたのかもしれない。
だからこそ、これから取り戻すことになるのだ。この仕事への“愛”を!
斎藤さんが店にやってきてから、スタッフはみな、言葉にできない緊張感というか張り詰めた空気を感じていたのか、どこかよそよそしかった。お客さんがいない時間、いわゆる『アイドルタイム』というのは普段であればスタッフ同士がくだらない世間話や彼女の話、車の話をして盛り上がっている。だが、今日はみな言葉少なにフィールド内を歩き回ったりと落ち着かない様子だった。
斎藤さんは、店長と話しをしたり店内を歩き回ったりしながらお店の雰囲気やスタッフの動きを確認しているように見えた。店長と話すときは、先ほど私が見たような営業的な笑顔を浮かべているが、それ以外の時間はほとんど表情を変えることなく険しい顔をしている。何を考えているのか、まだ私にはわからなかった。
そんな時、店に常連のお客さんが入ってきた。週に2度ほど来店し、2千円分の指定給油をしていく。毎日昼間からパチンコにばかり行ってるらしい。とても元気がよく、近所に必ず一人はいそうなノリのいいおばちゃんである。
『いらっしゃいませー』
一番に気づいた自分が対応した。
『こんにちは。いつもみたいに2千円ですか?』
『もちろん。窓拭きもお願いね』
『わかりました!』
ここからはいつもの流れで給油をし、窓ふきに入るのだが・・・
ふいに斎藤さんが車のすぐ近くに立っているのが視界に入った。表情は変わらないままだ。一瞬全身に緊張が走ったのだが、いつもように窓拭きをするだけ、と自分に言い聞かせておばちゃんの愛車である傷だらけの青いセダンの窓を拭いた。週に2回は来店しているおばちゃんの車だ、窓はそんなに汚れていない。
いつも通りの流れで給油を終え、おばちゃんにとっての戦場であろうパチンコ屋のある方向へと送り出す。『ありがとー』と言いながら出ていくおばちゃんが、最後に一言付け加えた。
『今日はなんだかみんな表情が固いねぇ、頑張って!』
原因は分かっている。スタッフの背中に斎藤さんの鋭い視線が刺さっているからだ。おばちゃんの車がカーブを曲がると、斎藤さんが始めてスタッフを集めた。
『ちょっと集まってもらっていいかな。』
その声とトーンだけで、空気が張り詰め、無意識に心拍数が上がっていた。
『先ほどから、お店とみなさん仕事ぶりを見せてもらいました。』
褒められることは100%無いと思わせる空気だった。すると突然、斎藤さんは私の方を見て言った。
『北村くん、、だったかな?』
『はい』
『君は“マクドナルド”には行ったことがあるか?』
『あっ、はい。あります。』 あまりに不意を突く質問におどおどしてしまった。
『じゃあ、マクドナルドで“スマイル”はいくらですか?』
『・・・えぇ、0円だと思います。』
『ですよね。お客さんは笑顔にはお金は払わないんですよ。つまり、“笑顔で、いらっしゃいませと言う”だけでは、お店の利益は上がらないんです。』
何かが私の胸に静かに刺さった。さっきまで激しかった私の鼓動は一瞬止まった気がした。同時に周囲の風景が真っ暗になった気がして。何人のスタッフに刺さったかは分からない。それは問題ではないのかもしれない。
ただただ悔しかったが言葉が出なかった。一呼吸おいて、斎藤さんは続けた。
『今の段階でみなさんには、“できてないこと”しかないですから。0からのスタートです。まずは、0円で買えるはずのものから始めましょう。』
斎藤さんは右手で青くきれいに晴れ渡った空を指さして言った。
『あの空に向かって、精一杯の笑顔と声で“いらっしゃいませ”と言ってください。』
斎藤さんは全く表情を変えなかったが、みな私以外はスタンドマンとして働いて5年以上のキャリアがある。『今更、そんなことやるのか』という心の中の声が聞こえてきそうな、冷ややかであきれた表情をみなが浮かべていた。その気持ちもわかる気がした。今時そんな中学生の部活動みたいなことしている会社見たことない。しかし、今や私たちスタッフに選択の余地はなかったのだ。
無言で立ち尽くすスタッフを横目に、
『ガソリンスタンドの中心で、お客様への愛を叫びましょう!』
『いらっしゃいませー!』
斎藤さんはこれまでにない大きな声でそう言うと、『ハッハッハァー』と先ほどの表情からは想像もつかない笑顔を浮かべていた。だが、さすがにこの冗談には誰もついていけず、全員の表情は引きつったままだった。
(この人は天才・・・なのか。それとも・・・)
そんなことを考えていた私の腕を掴んだ斎藤さんは、みんなの前に私を引っ張っていき、隣で笑顔を浮かべ『どうぞ』というジェスチャーをしている。さすがにムカッとした。その作られた笑顔とジェスチャーにムカッとした。しかし、そんな自分に必死に言い聞かせた、“日本一のスタンドマンになるんだ!”
そう、この時私は決心したのだ。 本物のスタンドマンになる為に・・・
『い゛ーーーらっしゃいませーーー!!』
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