第2話 30秒

『北村くん、一緒に昼飯にしようか。』


店長がにこやかな表情で言ってきた。私が入社初日ということもあり店長なりの気遣いだったのだろう。

 私が以前にアルバイトをしていたガソリンスタンドもそうだったのだが、大抵のガソリンスタンドの休憩室と言えば、表の活気あふれるフィールドとは異なり、狭くて薄暗く、じめっとした空気とタバコの匂いのする部屋というイメージだ。シフト制の為、お昼頃になると出勤した順番に一人ずつ昼食休憩に入るといった具合だ。

 そんな狭い休憩室には薄汚れたテレビがあり、店長はお昼のニュース番組を観ながら愛妻弁当を食べ始めた。ニュースキャスターが読み上げるニュースの声と静かにお弁当箱をつつく箸の音だけが聞こえていた。食事も終わり、しばらくすると店長はタバコに火をつけた。

(ラッキーストライクだな)

タバコの煙ですぐわかった。自分のタバコと同じ匂いがしたからだ。急に親近感が沸き、店長もラッキーストライクなんですねと切り出そうとした瞬間、店長が一瞬早く言葉を発したた為、タバコの煙と一緒に出掛かった言葉を飲み込んだ。


『北村くんはなんでガソリンスタンドで働くことにしたの?』


上司が入社初日の社員に聞きそうなこと というランキングだったら、間違いなくベスト3には入りそうな質問だ。


『学生時代・・・』


店長は私の話をかき消すように言った。


『この業界に未来はないよ。悪いことは言わない、別の仕事の方がいいと思うよ。』


ニュースキャスターは、地方で行われたお祭りの様子を伝えている。店長はテレビの画面を見つめたままそれ以上は何も話さなかった。返す言葉が見つからなかった私は、同じように画面を見つめながら無言でタバコに火をつけていた。



『北村君、入るよ!』


その声にハッとして目が覚めた。ついつい昼食後ウトウトしてしまっていてようだ。灰皿のタバコが燃え尽きようとしていた。短くなったラッキーストライクをひと吸いして灰皿に力強く押し付けた。部屋の中はあの時と同じ匂いがしていた。


『はーい。』


返事をすると同時に休憩室のドアが開き、オーナーが立っていた。1日に2度オーナーがガソリンスタンドを訪れることなんて滅多になかった。

(そうだった、新しい上司がやって来るんだった。)

ようやく頭の中が現実に追い付いてきたようだ。

 すると、オーナーの陰から一人の男性が現れた。髪はオールバック、どちらかというと小柄だが、がっちりとした体つきをしている。随分と前から入社するのが決まっていたことが嫌でも伝わってくる、サイズがピッタリの新品の制服を身に着けている。


『今日からお世話になります。斎藤です。』

『北村と言います。よろしくお願いします。』


低く重みのある声。言葉にはできない独特の威圧感に負けて、自己紹介が精一杯だった。


『若い子の方が元気があるし、自分が逆にいろいろ教えてもらわないといけないかもしれないですね。』


斎藤さんは笑いながら冗談を言い、オーナーと一緒になって笑いながら、休憩室をあとにした。笑顔の奥で、斎藤さんの目は全く笑っていなかった。たった30秒ほどの時間だったが、力のある人だということはすぐにわかった。今の自分が全く敵わない相手だと感じた。しかし、だからこそ“やってやろう”という気分になっていた。

どんなに実績のある人とはいえ、ガソリンスタンドの中の話。たかが1年とはいえ、自分は他のスタッフには負けない努力をしてきたという自信があったからだ。

 しかし、その後この時の決心さえも後悔するような日々が待っているなんて、この時の私は“30秒”では感じ取ることはできていなかった。


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