第42話【別れの予感】B面

 俺の家系はほとんどが医者だ。俺も気付けば医者を目指したいと思うようになっていた。そう思ったのは、小学生の頃だったような気がする。人の心の声が聞こえるのが当たり前ではないことを知った頃だったかもしれない。


両親とも精神科医をしている。俺の目指すものもやはり精神科医だ。漠然と医者になりたいと思っていた頃とは違い、今は、この能力を持って生まれた意味みたいなものを考えるようになり、その結果、精神科医がいいと思っていた。


 夏休みも終わり、後期が始まった。久々に沙希にも逢えた。二人で将来の話をしながら、その話の流れで沙希が、


「私は精神科医なんて無理だけど、でもやっぱり誰かを助けるためにこの力を使いたい。佑希とずっと一緒に居られなくなった時のことを考えたら安易に医者にはなれないけどね」


と言った。

俺とずっと一緒に居られなくなった時…沙希はそんなことを考えていたのかと思ったら、急に不安になった。


「サラッと怖いこと言うんだな」


正直、辛かった。俺の能力を素直に受け入れてくれた沙希の口から、別れることになる可能性があると言われたようだったからだ。


「ごめん…なんでそんな風に思ったのか分からないけど何となく思っちゃって…」


沙希の言葉に嘘はなかったのは分かったが、その言葉にも俺は正直、辛くなっていた。でも沙希が俺を心配していることも伝わって来たから、俺は沙希の言葉を聞いた後、辛い気持ちを封印しようと思って笑って見せた。


 沙希の成績は目に見えて上がって行った。高見沢からもっと上の大学を目指すよう言われたようだったが、沙希は自分でしっかりと調べた大学しか頭になかった。

2年の後期という時期は、まだ受験モードでもなく、かといって高校に入りたての感覚でもなく高校生が一番楽しめる時期だと思っていたが、実際、この高校は楽しめる要素はあまりなかった。


毎日、受験に向けた心の準備だの、勉強法だの、担任だけではなくどの教科担任も伝えてきてピリピリした空気のまま過ごしていた。


 クラスメイト達の心の声も、前期に比べると他人のことを考えることが少なくなってきたような気がする。みんな自分のことで精一杯のようだった。もう誰も俺たちのことを思うやつも居なくなっていた。常に俺に勝とうと俺を意識していた英田すら、もう俺のことなど考えなくなっていた。


 後期の半年間は、俺が想像していた高校生活ではなかったが、沙希にとっては楽しい半年間だったらしい。そして、俺たちは3年に進級した。


 沙希の成績は常に10番以内をキープしていた。3年でもクラスは同じになったが、2年の時より一緒に居る時間は少なくなった。時々、樹液をもらうのに俺の家に寄ることもあったが、長居はしなかった。


沙希の場合は、志望大学を決めたのが遅かったせいか、週末になるとオープンキャンパスや体験授業などへの参加を今の時期にやっていたからだ。学校推薦はない大学だったから、沙希も俺も一般受験のみの挑戦だ。勝負は年明けからだが、試験日当日まで、自分に出来るすべての努力に時間を費やした。


 俺は、2年の夏休みに知り合った志望校の先輩とその後も連絡を取り続け、時々大学に行き、医学部の見学や実習体験授業などにも参加していた。それぞれが出来ることに集中して、沙希と俺が逢う時間はどんどん減っていった。そして、3年の前期が終わり、後期が始まる頃には早い奴は受験本番を迎えるようになっていた。推薦枠での受験組は年内には合否が分かり、合格した奴らは入学の手続きなども済ませた奴も居たようだ。


 暗黙の了解なのか、合格しても特にクラスでその報告をしたりはしなかった。だから、合格した奴のことは本人、担任と沙希、そして俺しか分からない状態だった。まぁ、まだ受験がこれからの奴も、合格出来なくて一般受験になる奴もいるわけだから大っぴらに報告することは出来ないのが現状なのかもしれない。


 俺たちの受験の日も近付いて来た。この頃になると、推薦受験組はほとんど進路が決まっていた。合格出来なかった奴と、もともと一般受験の奴らだけがいまだに神経がピリピリしているのが分かった。


もちろん、沙希も少しナーバスになっていた。万が一受験当日に他の人の声が聞こえて混乱したら今までの努力がすべて無駄になると、少し前から樹液を付けずに生活していた。当然、俺の声も含めて誰の心の声も聞こえない状態の沙希を見ていると、能力をコントロール出来る立場に少しだけ嫉妬に似た感情が湧いていたことが沙希にバレずに済んで本当に良かったと思った。


 そして、受験も俺たちの番になった。


センター試験も無事に終わり、各大学での試験を残すのみとなった頃、俺は何となく今後のことを考えるようになっていた。


このまま俺たちは続けられるのだろうか?

沙希は、将来の希望を見つけても俺のことを考えてくれるのだろうか?

俺は医者になるまでの大変な時期に沙希のことを考えらえるだろうか?


俺の頭の中は不安要素のことしか浮かばなくなっていた。そんな状態では受験だってうまくいかないのは分かっている。だが、センター試験で取れた点数なら本番の受験でも何か重大なミスでもしない限り、合格点は取れる自信はあったせいか、余計なことばかり考えるようになっていた。沙希は俺のことすら考えずに無心に勉強をしていた。そんな沙希を見ているだけで、沙希と俺の未来をネガティブ思考で考えてしまっていた。


 それぞれの大学受験本番も終わり、結果も出た。

俺たちは無事に合格することが出来た。沙希は試験が終わったその瞬間から、また樹液を付けてくれたようだった。試験が終わった後、LINEで試験終了を教えてくれた。


俺がそのLINEを見たのは、帰宅して一段落してからだったが、久しぶりに少しやり取りが出来た。沙希の言葉は以前と何も変わっていなくて安心したが、心のどこかで不安はずっと残ったままだった。


 一般受験の結果が出ると、一気に高校は卒業モードになる。毎日続いていた放課後テストも後期からはなくなった。今までより早く下校が出来るようになっていたが、俺たちは一緒に帰っていても何となく今までのような楽しい雰囲気は出せなくなっていた。沙希が、


『もし会う時間がなくなってから樹液がなくなってしまったら…』

『もし会う時間がなくなってお互い気持ちが離れてしまったら…』

『もし会う時間がなくなって…』


沙希の心の中はこんな不安でいっぱいになっていた。そんなことばかり考えているから肝心な会話もなくなってしまうのだと俺は思った。だから、沙希が不安になるたびに、


『大丈夫だ』

『心配し過ぎだ』


と繰り返した。沙希に伝えていながら同時に自分にも言い聞かせていたのかもしれない。そして、あっという間に卒業式当日になった。


 その帰り道、今まで以上に何も話さないまま並んで歩くだけの俺たち。沙希は相変わらず不安が心を支配していた。俺は、


「沙希、今日、うちに来てくれないか?」


と声に出して伝えた。沙希は突然だったからなのか、一瞬驚いた顔で俺を見たが、黙って頷いてくれた。俺の家に向かって歩く間、沙希は気が重そうだった。


「そんなに不安になるなよ。また妄想大王が復活して俺、沙希を襲う妄想でもしてるのか?」


俺は、何とか沙希を明るくしたくてニヤニヤしながらそう言ってみた。


「そうかも♪久々に聞いたわ、妄想大王」


沙希も俺の気持ちに気付いてくれたのか、笑いながら返してくれた。そこから、沙希の気持ちも少し明るくなったので、俺たちは卒業式の様子を話しながら俺の家へと向かった。


 俺の家に到着すると、俺は出来るだけ今まで通りのトーンで、


「入って」


と促して玄関のドアをゆっくり開けた。

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