第29話【真逆の親子】B面

 俺は、この幸せな時間の終了を告げられたように現実へと引き戻された。古村から離れ、倒れている古村の横に慌てて座り、古村をゆっくりと抱き起した。


「どうしたの?」


古村は不思議そうな顔をしていた。そりゃそうだ。


「母さんが帰って来た」


俺は、多分、母親に対して、なんてタイミングで帰って来やがるとか文句を心の中で叫んでいただろう。古村はそのことについては何も言わずにいてくれたが。もしかしたら俺の心の声を聞いている余裕がなかったのかもしれない。


古村の心の中と言えば、俺の心の声しか聞こえないから母親が帰ってきたことには気付かなかったとか、急に現実に戻り、キスが恥ずかしくなったとか、俺以上に叫んでいたのだから。


「大丈夫だよ。家に入った瞬間にはこの部屋に俺だけじゃないってことはバレてるから急に開けたりはしないから。とは言っても俺も急に照れ臭くなった。母親に会ってく?会うの、気まずかったらうまく誘導するけど」


と言った。古村は、


「新村がいいならちゃんと挨拶するよ。帰って来てるの分かってて黙って帰れないもん」


と俺の目の前に座った状態で答えた。


「…ヤバい。そういうのサラッと言うのやめようぜ。嬉しくてニヤける。これ、母親に全部伝わってるからきっと面白がられてる…」


俺は、頭を掻いたり床に顔を伏せたりしながら言った。


「えっ?お母さんに全部バレてるの?どこから?」


古村は急に四つん這いの格好で俺の目の前に顔を近づけて聞いて来た。


「どこからとか言わない!どこからかは正直分からないけど…あるいは全部の可能性も…」


俺の声はどんどん小さくなっていった。


「えっ…全部の可能性って…それ言われちゃうと挨拶するの照れるんだけど」

「だよな。どうしようか?」

「でも私が居るのは分かってるんだもんね。やっぱり黙って帰ることは出来ないよ。ちゃんと挨拶して帰る」

「うん…分かった。今日は本当に来てくれてありがとう。あと、これからもよろしくな。」


俺は古村をもう一度抱きしめて言ったあと、軽くキスをした。どうせ母親にはバレているんだか我慢する必要はないと開き直ったのかもしれない。古村はすぐに下を向いてしまったが、心の中では喜んでくれていた。


母親には二人の心の中が丸見えだったが、この家では当たり前の光景。古村には不快に感じないでほしいと願わずにはいられなかった。


 部屋を出て階段を降りようとした瞬間、母親は階段のすぐ下で含みを持った笑顔でこちらを見ていた。


「えっ?何してんだよ、部屋に居ればいいのに…」


俺の言い方に古村が可愛いだの照れてるだの言ってるのに気づき、俺は急に恥ずかしくなってしまった。


「こんばんはぁ♪佑希の母です。古村さん、下のお名前は?佑希から全然聞こえて来ないんだもの」


母親は俺たちが階段を半分以上降りたあたりで古村に向かって階段の下から言った。古村は俺の後ろから顔を出すと母親に会釈をしていた。そして急いで階段を降りると、


「初めまして。古村沙希です。佑希くんとはクラスメイトで仲良くしてもらっています。今日はお留守の間にお邪魔してしまいすみませんでした」


と丁寧に答えて深くお辞儀をした。俺は正直、感心した。こんな大人びた一面もあるのかと改めて古村を見つけてしまった。


「沙希ちゃんって言うのね♪初めまして。

あ~もう、なんて可愛いのぉ♪佑希が初めて連れて来たお友達がこんなに礼儀正しくて可愛いなんてお母さん、嬉しいわ。佑希、見る目あるじゃない」


母親は古村を見て褒めた後、俺を見てニヤリと笑って言った。


『新村はお父さん似なのかな?』


古村の心の声に思わず吹き出しそうになってしまった。まぁ、誰が見ても母親を見ればそう思うだろう。実際俺は父親似だ。こんな性格で生まれて来なくて良かったと小さい頃からずっと思っていたくらいだ。


「そうなのよぉ。佑希は父親似。と言うかこの家の男たちはみんなこんな感じなの。よく言えばクールだけど悪く言えば暗いのよねぇ~。でも男はこのくらいがちょうどいいでしょ?私ね、佑希の父親と初めて会った時には結婚するなんて想像もしてなかったのよ。暗いし、人と関わろうとしないし。佑希もそうでしょ?でも沙希ちゃん、よく付き合ってくれたわね。お母さん、ホントに嬉しいわ」


母親は誰の心の声にも普通に答える性格だ。そして、明るく、自分は目の前の人が何を考えているのか分かっちゃうのよねぇなどとあっけらかんと言える性格。そのおかげか、誰からも気持ち悪がられずに生活が出来ている。


とは言っても、古村は俺たちの能力を知ってるんだから、普通に答えたら古村が後悔するだろうと俺は母親のテンションの高さに少し怒っていた。


 案の定、古村は父親似かと思ったことを本気で後悔していた。それでも母親の笑顔に救われたと前向きに感じていてくれて安心した。


「母さん、初対面でそのテンションは古村だって困るだろ。もう遅いから送って来る」


俺は二人の間に割って入り、古村の手を引いて玄関に向かった。古村は後ろを振り向きながら母親に、


「あ、あの、お邪魔しました!」


と会釈しながら俺に引っ張られるまま前に進んでいた。どんな行動も可愛く見えてしまうことに俺自身かなり驚いていた。これが恋なのか?とふと思ったが、経験がない以上、いくら考えても答えは出ないと考えるのはやめることにした。


「お母さん、優しそうな人だね。すごく明るい人でビックリしちゃったけど。新村からは想像出来なかった。でも人の留守中に上がり込んで何してたの!とか怒られなくて良かったぁ」


古村は楽しそうに言った。


「あのテンション、最初は引くだろ?悪かったなぁ。あれ、家族だけの時でも誰かが居てもあのまんまなんだ。俺たちは気にならないけど他の人はぶっちゃけ露骨に引いてる人も居たからなぁ」


俺が頭を抱えながら言うと古村は、


「私は羨ましいと思ったよ。ウチの両親は二人とも厳しい人でね。逃げ道がないって言うか、父親と衝突した時には母親は父親側について一緒に私を攻めるし、逆の時もそうなの。なんかの本で逃げ道がない子供は歪んだ性格になり人の顔色を見て過ごすようになるとか書いてあったんだけど、それを両親に伝えたところで何も変わらないと思うから言わなかった。私がしっかりして歪まなければいいだけだって思って。でも人の顔色を見る…ってのはあるかもしれない。そういう家庭だから新村の家が羨ましく思えたよ」


と言ってくれた。


「古村の家、厳しいんだ。俺が遊びに行ったら怒られるかな?」

「う~ん、どうだろう?女の子の友達すら呼んだことないからいきなり男の子連れて行ったらどんな反応するのか想像もつかない。そんな日が来るとかも想像したことなかった。」

「古村…」


俺は思わず真顔で言った。


「ん?」


古村は今自分が言ったことがものすごく悲しいことだと気付かない様子で俺を見ながら言った。


「想像くらいしとけよ。妄想大王はそこまで妄想してくれなかった?いつどうなるか分からないだろ?俺、古村の家にも遊びに行ってみたいぞ」


俺の言葉に古村は驚いた様子で、


「えっ?マジで?」


と言ってきた。


「ダメ?」


俺が聞くと、


「いや、考えてなかった。ハハ・・・」


俺からの予想外の言葉に明らかに動揺していた古村は、取り敢えず笑っておこうみたいな言い方をした。


「今すぐじゃなくてもいつかは…ってことで考えてシミュレーションしといてくれよ。

「頑張る…」

「弱いなぁ…」


俺は笑うしかなかった。


「ごめん…」


古村は小さな声で下を向きながら言った。自分でも弱い決意だと思っていたようで、俺はそれ以上何も言えなくなってしまった。これ以上何か言えば、古村はどんどん落ち込んでしまいそうだと思ったからだ。


 しばらく黙ったまま歩いていると、


「私の家、あの青い屋根の家なの。もうここで大丈夫だよ。ありがとう」


古村は青い屋根の家を指さしながら言った。


「家まで送らせて。何となくそうしたい気分なんだけど。ダメ?誰かに見られたらまずい?」


俺はもう少し古村と一緒に居たいと思っていた。家が見えていて、古村がここでいいと言っているのに強引かとは思ったが、そう言わずにはいられなかった。言ってしまった後は気持ちが動揺しているように落ち着かなくなってしまった。


まったく、恋ってやつは結構厄介に人の心をかき乱すものなんだなぁと思う反面、こういう気持ちもいいものだと思っている自分も居た。


「まずくない。新村が良ければ私は嬉しいっ!」


古村は、俺を見たり下を向いたり身体を左右に動かしたりしながら言った。明らかに照れている姿に俺は身体が熱くなるのを感じた。


『なんだ?この感覚…』


感じたことのない感覚に俺は戸惑いながらも古村の言葉が嬉しかった。もう家は見えているのに、そこまで行く足取りはとにかく遅かった。もう少し一緒に、もう少し一緒に…二人とも同じ思いだった。

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