第18話 不思議な香り④A面
「ありがとうございます!私も欲しいです!」
私は即答した。お母さんはそんな私を見て嬉しそうに、
「ちょっと待ってて♪今、持って来るから。沙希ちゃんはまだ新村の人間じゃないから地下には行けないのよ。なんか色々ルールがあるみたいでね♪なくなったら祐希に言えばすぐに渡せるから安心して」
そう言うとリビングから出て行った。新村と二人でそれを見送るとふと二人きりがとても恥ずかしくなってしまった。
「何?なんでそんな照れてんの?」
最初に口を開いたのは新村だった。
「いや…なんとなく…」
ホントは全然『なんとなく』なんかじゃなかった。さっき自分で言い切った言葉が今頃恥ずかしくなっていた。
「俺さ、今回知らなかったことをたくさん知ることが出来た。時期が来れば分かるって言われてずっと今日まで来たけど、改めて物事には順序があって、時期があるんだなぁって思った。沙希がずっと母さんの話を真剣に聞いてくれてた間、ずっと嬉しかった。ホントにバカにしたり疑ったりしないで聞いてくれるんだな」
『いやいや、新村くん!私の心の中が分かってて普通に話さないでよ』
とツッコみたかったが、新村も照れていることを必死に隠していたのが分かったからツッコむのはやめた。それより新村の言葉に、何となく違和感があった。
『ん?今、【沙希】って言った?』
私の違和感に新村も素早く気付いたらしく、
「あ、いや、ほら、母さんがずっと沙希ちゃん、沙希ちゃんって言ってたから・・・つい・・・って言うか、なんて言うか・・・つられた感じ?」
新村は慌てていた。心の中も態度も顔まで真っ赤で分かりやす過ぎて思わず声に出して笑ってしまった。
「えっ?そこ、笑うとこ?呼び捨てにされて怒ったんじゃないの?」
新村は私が笑うとは思っていなかったらしく意表を突かれていた。
「笑うとこでしょ?なんでそんなに呼び捨てしたくらいで動揺してるの?ピュアかよ!って思っちゃった」
「いいのか?下の名前で呼んでも」
「いいに決まってるでしょ?嬉しかったし。ただ、急だったから違和感があっただけ」
「そっか。…じゃあさ…」
新村は言葉に詰まっていた。もちろん言葉に詰まっていても心の声は駄々洩れだったから私もちょっと照れたけれど、
「私もいいの?祐希って呼んでも」
と出来るだけ自然な声のトーンを意識して伝えた。新村はその言葉にさらに動揺しているのを感じた。それがまた可愛く感じて私は楽しくなってしまった。私が楽しんでいることは新村にはバレているのは分かったが、この感情は抑えられなかった。
「いいよ…と言うかなんか俺も嬉しい。家族以外に下の名前で呼ばれたことがなかったから変な感じはするけど。でも嬉しい」
新村は必要以上にあちこち見まわしたり頭を掻いたりしながら言った。
普通、恋人同士はいつから呼び方が変わるのだろう?
付き合おうと言った時?
好きだと言った時?
付き合っている間に自然に?
残念ながら経験はないし妄想大王も私にそんな知識がないもんだからそこまでのシチュエーションは考えたこともなかった。でもきっと正解なんてないんだと思った。その二人の自然な流れでいつの間にか…と言う感じなんだと思った。私たちの場合はたまたま今なんだと、そう感じた。
今まで勉強以外にこんなに集中したことがなかった私としては何年人生を無駄にしていたのだろうかと後悔したくなるほど今のこの時が大切に思えた。
好きな人が居て、その人と一緒に頑張れる勉強があって、そんな高校生活だってありなんだと思うと、勉強も今まで以上に頑張れる気がしてきた。もちろん、他の人の心の声が聞こえてしまうのは私を動揺させるだろう。
それでもうまくやるべきことに集中すればもしかしたら何とかなるかもしれないとなぜか自信も出て来た。実際昨日の放課後テストだって一昨日のような動揺はなく、集中することが出来たのだから。この先、自分の置かれた状況に少しずつ慣れて行くだろうと漠然とではあったが思えるようにもなった。
「おまたせ~♪」
そんなことを考えていたらお母さんが戻って来た。
「これね♪私が独身の頃に使っていた小瓶なんだけど良かったらこれ使って。小瓶って言えるか分からないけど」
お母さんはそう言ってお世辞にも小瓶とは言えない大きさの瓶に樹液を入れて持って来てくれた。
「お借りしてもいいんですか?」
私がそう言うと、
「お借りするのはダメね。プレゼントしたいのに返されちゃうのは悲しいわ」
お母さんはそう言って悪戯っぽく笑った。
「えっ?もらっちゃっていいんですか?」
私は正直驚いた。独身の頃のものと言えば、新村のお父さんと付き合っていた頃のものだ。大切な思い出もあるであろう物をもらってもいいのか心配になった。
「いいのよぉ。沙希ちゃんに使ってもらいたいの。私ね、小瓶を持って来いって言われたのにすっごく不安でこの瓶を持って来たのね。そしたらお義母さんに大笑いされちゃって。『そんなに大きなもの持って来るなんて、しばらくこの家に来ないつもりなの?』って」
お母さんは、当時を思い出して声を出して笑いながら教えてくれた。
「でも、あの当時はとにかくこの香りの効果がなくなったら主人ともう逢えないかもしれないとか思っちゃってて。今考えると私も純粋だったんだなぁってね♪沙希ちゃん見てるとあの頃の私みたいだなぁって思っちゃうのよ。だから、この瓶は是非沙希ちゃんに使ってもらいたいの。途中で飽きちゃったら別の容器にすればいいし。今はこれを使っててもらいたなぁって思って。どうかしら?」
お母さんの言葉は本当に心にスーッと入って来る。心地良くて、心が穏やかになっていくのを感じる。私は、
「ありがとうございます。大切に使わせていただきます」
と言って受け取った。瓶と言ってもガラスで出来たものではなくプラスチックだった。それは、お母さんが落としたら割れるかもしれないとか、バッグの中で何かにぶつかって割れてしまったら困ると言う不安から考え付いた素材だったということもお母さんの心の声で分かった。本当に素敵な人なんだと感じた。
樹液を受け取った後はお母さんがケーキを焼いてくれていたのでそれをいただきながらいろんな話を聞かせてもらった。
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