第16話 不思議な香り②A面

 母親が心配しているのは本当のことだったが、別に元気アピールなどしなくてもいいと思っていた。むしろする気はなかった。いつも通り「ただいま」と言ってすぐに自室に行くだろう。


 案の定、私は帰宅して母親に「ただいま」を伝えるとすぐに自室へと向かった。母親も特に何も言わなかったし、いつも通りだった。自室に入ると何となくすぐに机に向かった。いつものようにクッションに横になる気にはなれなかった。


勉強のこと、テストのこと、そして新村のことが次から次へと頭に浮かんで来たがまずはいつも通り復習と予習を片付けようと思った。色々考えるのはそれからでもいいと自分に言い聞かせて教科書を開いた。


色々考えたかったことに蓋をして黙々とノートをまとめ、来週の授業の予習を済ませた。

 どれくらい時間が経っただろうか?母親が夕飯だと声を掛けて来た。私は返事をしてリビングに向かおうとした。


その時、LINEが鳴った。相手は新村だった。


【明日、母親が家に居るって言うんだけど来れる?】


ロック画面に出た内容だけ読んで開かずにそのままリビングに向かった。

 食卓にはいつも通り父親がビールを飲んで待っていた。私に気付くと、


「体調はもういいのか?」


と声を掛けてくれた。


「うん。もう大丈夫。おかえりなさい。お待たせしました」


と私は答えて席に着いた。そしていつも通り無言での食事が始まった。今日はなぜか二人の心の声が聞こえなかった。心の声が聞こえるようになったのはつい最近なのに、聞こえないことに何となく不安な気持ちになった。


 この能力は新村家の人が好きになってくれて自分も相手を好きになった時に身につく能力だと聞いていた。心の声が聞こえなくなったことで、言いようのない不安な気持ちでいっぱいになってしまった。私はすぐに新村のLINEに返信したいと思い、いつもより急いで食事を済ませ席を立った。


母親が、


「まだ本調子じゃないの?」


と聞いてきてくれた。


「ううん。もう大丈夫。勉強の続きが気になってて。ごちそうさまでした」


そう答えるとすぐに自室へと戻った。


 新村からのLINEを開くとすぐに、


【食事してた。ごめん。明日、行く!】


と返信した。新村からはすぐに返信が来た。


【じゃあ明日、一〇時に迎えに行く】

【大丈夫だよ。私から行くから。】

【分かった。何時頃来れる?】

【一〇時には行く!】

【分かった。母親に伝えておく】

【よろしく!じゃあ明日ね。】


新村からは【よろしく】のスタンプが送られてきた。私も【よろしく】のスタンプで返した。本当は両親の心の声が聞こえなくなってしまったことを伝えたかったが、何となく怖くて伝えられなかった。明日、新村に逢えば何かが分かるのではないかと思うようにして今の不安な気持ちを抑え込んだ。


 翌日、私は約束通り新村の家に向かっていた。今朝も両親の心の声は聞こえなかった。不安な気持ちで歩いていたからか、なかなか新村家に辿り着かない気がして、さらに不安な気持ちが襲って来た。それでも一歩一歩前に進み、なんとか新村家が見える場所まで辿り着いた。何度見ても大きなお屋敷に自然と口がぽかんと開いてしまっていた。


「虫入るぞ!」


前から声がして慌てて口を閉じ、声の方を見た。新村だった。


「は?入らないし!てか、口なんか開いてないし!」

「俺、口の中に・・・なんて言ってないけど?」


新村は笑いながら言った。


「あ・・・意地悪だなぁ」


私もそう言いながら笑った。そして、


「おはよう。お母さん、忙しいのに大丈夫だったの?」


と言った。


「うん。なんか、どうしても話したいらしくて。古村のことが気になるらしい」

「私のことが?何だろう?」

「さあな。時々、母親の心の声が聞こえなくなるんだよ。ていうか、心の中もいつもハイテンションでそれが本音なのかすら分からない時がある」

「そうなんだ…」


私はなんだかとても不安になった。さっきから新村は声に出してばかり話している。そして、私は新村の心の声を聞くチャンスがなかったのだ。


「心配しなくていいよ。怖い人じゃないのはこの前分かっただろ?」


新村は私の心の不安を見抜いてそう言ってくれた。私は返事が出来なかった。正確には新村の心の声を聞こうと思っていて、結果黙ってしまったのだが。


「古村?」


私が黙っている意味が分かっているだろうに、なおも新村は声に出して私を覗き込んだ。


「…分かってるんだよね?」


私は下を向きながら言った。新村はしばらく私を見ていたが、


「…なんとなく。でもそれも含めて母親が何か教えてくれると思う。だから、そんなに不安にならないで欲しい」


やはり新村は私が心の声が聞こえないことを分かっていた。だから声に出してくれていたのだ。


 私は泣きそうなくらい不安になった。

新村のことが好きなのは変わりない。なのにどうして聞こえないのか。理由は新村の気持ちが変わったからではないか。そんな不安な気持ちで心が張り裂けそうになっていた。そんな私を察してか、新村は黙って私の手を取り家に向かって歩き出した。私は黙ってそのまま連れて行かれるように歩き出した。


 新村の家に着くと玄関でお母さんが待っていてくれた。


「もぉ~、どれだけ二人で居たかったのぉ?近くまで来てるなら早く来てくれたらいいのにぃ。沙希ちゃん、おはよう」


お母さんはニコニコして出迎えてくれた。


「おはようございます。お時間作っていただきありがとうございます」


私は一礼して伝えた。


「また会いたかったから嬉しいのよ。さぁ、入って」


お母さんはそう言うと私の後ろに回って背中を押してくれた。お母さんは何を教えてくれるのだろうと怖くて仕方なかった私に、


「大丈夫よ。別に超難問を解いてくれとか言わないから。そんなに怖がらないでぇ」


と言ってくれた。お母さんにはすべてお見通しなのだと痛感した。

 部屋に入ると、いい香りがした。前に新村の家に来た時にはなかった香り。その香りがとても心地良く、気持ちが落ち着いていくのを感じた。そして、


『どぉ?私の声、聞こえてるかしら?』


とお母さんの声が聞こえて来た。


「はい。えっ?」


私は思わず声に出して答えたが、明らかにお母さんは声に出していなかった。


「良かった。沙希ちゃん、ものすごく不安そうだったから心配だったのよ。ちゃんと聞こえるでしょ?」


今度は声に出して言ってくれた。私は何が何だかさっぱり分からずに混乱していた。


「とにかく座って。ちゃんと説明するから」


お母さんに促され、私はふかふかのソファーに腰を下ろした。新村は私の隣に座ってくれた。お母さんは対面に座った。そして、


「私たちはね。もともとはその力はなかったでしょ?その力を継続させるのには条件があるのよ」


とまだ心の準備も出来ていない私のことなどお構いなしに話し始めた。


「あのね。私たちがその能力を保っていられるには、この香りが必要なの。この家の人間に好意を持ってその人の心の声が聞こえるようになるのに最初だけはこの香りは必要ないみたいなんだけどね」


そう言いながら、お母さんは新村の方を見てニコニコ…いや、ちょっとおもしろがっているような顔をした。

そんなお母さんを見て、私はちょっと恥ずかしくなったが、事実なのだから何も言えない。


さらにお母さんは続けた。


「沙希ちゃんが急にみんなの心の声が聞こえるようになった時はこの家に来た直後だったでしょ?あの時もこの家はこの香りの中にあったのよ。能力のない人にはあまり感じられない香りだけどね。そして、この香りの効果も人それぞれみたいだけど、効果が切れてしまえば心の声も聞こえなくなるの。沙希ちゃんが聞こえなくなったのは効果が切れたからであって、祐希の気持ちが沙希ちゃんから離れたわけじゃないのよ。むしろ前よりもっともっと好きになってるから安心して♪」


お母さん、最後サラッと恥ずかしいこと言いましたけど…


と私は思い、思わず下を向いてしまった。その横で、


『馬鹿か、母さん。俺、いるんだけど…』


と思いきり照れている新村の心の声もしっかりと聞こえてしまい、さらに恥ずかしくなってしまった。

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