5-8

「すみません、ここは今通れなくなっていて……」

 メインステージに向かう途中、道の真ん中に運営委員会の腕章をつけた警備員たちが立って道を塞いでいた。周囲には野次馬らしき人だかりができていて、彼らはみな遠巻きに何かを眺めている。

「どうしたんですか?」

 道の先を見てみると、何やら揉め事が起きているようだった。何十人もの人がもみくちゃになりながら、取っ組み合いをしている。中にはリストバンドをつけていない人もいるので、どうやら入り込んだロック排斥派といざこざになったみたいだ。

「実は秘密警察が入り込んでいたみたいで、それを見つけた人の一人が、逆に襲い掛かってしまって……」

 最初は少数だったが、両者とも徐々に人が増え、いつの間にか大事になってしまったらしい。巻き込まれると危険なので、今は応急処置としてここを通行止めにし、運営委員会の人が仲裁を試みているようだった。

「困ったな」

 途中で色々と回ってはしゃぎすぎてしまったせいで、かなり出番の時間が迫っていた。しかも人がごった返していてなかなか移動できず、交通整理のための通行止めも多いので、移動には普段の何倍も時間がかかる。ここが通れないとなると、おそらくかなり迂回して行かなくてはならないため、出番に間に合わなくなってしまう。

 端をこそこそと通っていけば大丈夫なようにも思うが、生憎僕たちは楽器を背負っている。こっちに気付かれたら、僕たちも標的となりかねないだろう。安全を考えれば、迂回路を探すしかない。

 観客というのは案外シビアだ。開始の時間を過ぎてもいつまでもバンドが現れなければ、諦めて違うところへ行ってしまう人もいるだろう。何より僕たちの出番が押してしまうことで、そのあとのサナ子さんたちにも影響が出かねない。

「イツ、あれを見て」

 困惑の中で立ち尽くしていると、キョウが何かに気付いたようにもと来た道を指さす。ちょうど僕らを挟んで反対側でも、前方のものと同じような人だかりができていた。どうやらそちらでも何か揉め事が起きているらしい。

「あっちこっちで小さいいざこざがあって、スタッフの人たちはてんやわんやみたいです。一部ではロック排斥派の人たちの暴動みたいなことも起こっているとか。もしかすると別の道を行っても、また足止めになっちゃうかもしれません……」

 詳しい事情を聞きに行ってくれたアマネが、よくない知らせを持って戻ってきた。ただでさえ挟み撃ちになって身動きが取れなくなっているというのに、もはやどこが安全なルートなのかわからない状況だった。

「このままだと、僕たちの出番どころか、このフェス自体が危ういかもね」

 必死の形相で相手に掴みかかり、激しく罵声を浴びせ合っている人たちを見ていると、僕は何だか悲しくなった。すぐ隣であんなに素晴らしい音楽がたくさん流れているのに、そのどれもが彼らの耳には届かない。当然僕らにだって何もできない。音楽によって争う彼らには、音楽はあまりにも無力だった。

「おや、少年たちじゃないか」

 僕たちが来た道を引き返そうと身体を反転させたところで、ちょうどこちらに向かってくるツヅライさんに出くわした。彼はこのフェスには出演しないが、観客としてすっかり楽しんでいるようだった。右手にはりんご飴、左手にはイカ焼きを持っていて、服装も相まって、一人だけ夏祭りに来ているようになっている。緊迫した空気の中に現れた彼を見ると、少し気が抜けてしまう。

「何か困っているのかな?」

 周囲の様子と僕らの表情から、彼は何かを察したみたいだたった。簡単に状況を説明すると、彼はなるほどと頷き、手に持っていたものを僕らに渡す。

「私が何とかしよう」

 彼はそう言って、背負っていたアコースティックギターをケースから取り出す。そしてそのまま人の波を避けながら、まるで縫い目に沿う糸のようにしなやかな動きで進んでいく。警備の人たちも不思議と彼には気付かず、誰の目にも映っていないようだった。

 道の端に置かれたスピーカーや看板の上を伝って、器用に建物の屋根に飛び移ると、その小高い場所をステージと決めたというように、ギターを構えて仁王立つ。彼の前にはいつの間にかマイクが置かれていて、どこからともなく照明が当てられている。

 叩きつけるように弦を弾き、ほんの一瞬だけコードを鳴らす。その音はまるでこちらを向けと言わんばかりの主張の強い音だった。それに反応して人々がみな彼の方を向いた瞬間に、彼は歌を歌い始める。

 少し素っ頓狂でとぼけたような歌い方ながら、その雰囲気にそぐわぬ感情的で鬼気迫る演奏をする。人の耳に残る独特のメロディとシンプルなコードワークが特徴的だった。元々はロックをやっていたらしいが、今はアコースティックギター一本ということもあって、どちらかというとフォークソング的な印象が強い。

 たちまち彼は歌の力によって場を支配した。道行く人も、集まっていた野次馬も、立っていた警備員も、そして道の向こうで争っていた人たちも、全員が彼の歌に釘付けになっていた。あんなに賑わっていた空間に、突然コンサートホールのような静けさが訪れる。

 ところどころに置かれたスピーカーから、彼の声が流れていた。そうやってゆっくりと、その温かい歌が路地を通り抜けていく。次第に彼の周りには人が集まってきて、ただの路地がステージに変わった。

 あまりに素晴らしい彼の歌に、僕らも思わず聞き惚れてしまう。すると動かない僕たちに気付いて、彼はこちらに目で合図を送ってきた。さらに口を大きく動かして、「行け」と、僕らの背中を思い切り押すように、抱えたギターを打ち鳴らす。

「そうだ、行かなきゃ」

 僕たちも彼と同じミュージシャンなのだ。僕たちは僕たちのステージに向かわなくてはいけない。他の三人と目を見合わせると、各々微笑みながら頷き返してくれた。

「ありがとうございます」

 彼の歌を惜しみながら、人々が気を取られているうちに素早く道の端を駆け抜ける。

「音楽は確かに世界を変えられる」

 僕は彼の音楽でそれを確信した。音楽は無力なんかじゃない。もちろん僕たちの音楽にあれほどの、そしてあれ以上の力があるのかどうかはわからない。けれど、音楽で世界を変えることは、音楽で人を変えることは、決して不可能じゃない。

 人ごみの中を駆けながら、僕は思わず笑みをこぼす。ワクワクする気持ちが抑えきれなかった。横を見ると、他の三人も口を大きく開けて笑っていた。吹き抜ける風と、燦々と降り注ぐ太陽が心地いい。

 あのとき、キョウとミヅキと夕陽を見に行ったときと同じ感覚だ。


 そう。僕らはきっとどこまでだって行ける。


 呼吸の速度が次第に速くなる。身体は軽く、足が前へ前へと止まらない。思い切り叫び出したかった。堪え切れない感情が、ふつふつと音を立てて煮えたぎっている。ファンファーレのような胸の鼓動が、激しく耳に響いていた。

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