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 いよいよ今日から夏フェスが始まる。まだ朝早いというのに、街はすでに賑わいを見せていて、普段では考えられないほどの人が街にごった返していた。どうやら各地からフェスの噂を聞きつけた人たちが、この街に押しかけてきているようだ。

 一時は開催が危ぶまれたこのフェスだったが、細かいトラブルはあったものの、おおむね問題なく当日を迎えることができていた。それは各自の警戒と運営委員会の努力のおかげだろう。しかしこのフェス当日こそ、ロック排斥派の人たちが大きく動く恐れがあるので、運営委員会は厳しい警戒態勢を取っているようだった。

 街はこのために大工事が行われ、周りを覆っていた壁が整備された。フェス当日は、街へは決まったゲートからしか出入りができないようになっていて、出入りにはチケット代わりのリストバンドが必要になる。街の住人には事前に色違いのリストバンドが全員に配られているため、リストバンドをつけていない人は観客でも住人でもないということになる。これによって、ロック排斥派の人間や、秘密警察が入ってきても判別できるわけだ。これは彼らへの牽制としても上手く作用しているようだった。

 僕らはこの一週間を使って各曲の確認と新曲のアレンジ、楽器の調整、野外での演奏の練習、通してのリハーサルなど、細かい最終調整を行って、万全の体勢で今日を迎えることができた。これで自分たちの力を余すことなく出し切れるはずだ。

 フェスは基本的にシモキタの街全体を使って行われ、野外ステージが分散して七つ設置されている。それぞれ規模やステージの形が異なるのだが、僕らが演奏するのはシモキタの街のど真ん中に設置されたメインステージである。しかも大トリであるサナ子さんたちの直前という、とても大事な位置を任されてしまった。

「まああんたらなら大丈夫だよ」

 とまあ、サナ子さんは簡単に言ってくれたけれど、僕らにとってはとんでもないプレッシャーだった。シモキタでは少し知名度を得たとは言え、まだまだ全国区で見ればドマイナーなバンドだ。わざわざシモキタにフェスを見に来るような全国の耳の肥えたロックファンたちに、僕たちの演奏がちゃんと届くのかという不安があるのは当然である。

「まあやるしかないか」

 どんな場所で誰の前であろうと、僕たちは僕たちの音楽を奏でるだけだ。何も気負う必要はない。とにかくやり切ろうと、それだけを強く心に誓う。

「出番は夕方だし、それまではせっかくの祭りを楽しもうぜ!」

 ミヅキはやっぱり気楽で、あちこちに出ている屋台や街中から流れてくる音楽に興奮していて、すっかりお祭り気分になっている。しかしこんなことで斜に構えていても仕方ないので、気晴らしも兼ねて僕もフェスを楽しむことにした。

「あ、ラディウスだ」

 ちょうど東の端にあるステージで、ラディウスが演奏しているところだった。客席は満員で盛況を見せていて、しかもそのほとんどが女性のため、黄色い歓声が鳴り止まない。

「僕たちは社会から見たらはぐれ者かもしれない。でもそんな自分を押し殺して、息を潜めて生きていくことが正しいことなんて思えなかった。だから僕たちはこれまでも、そしてこれからも、歌い続けていくよ」

 彼らの音楽は今まで以上に力強かった。嵐に立つ灯台のように、確かな光で周囲を照らしている。どんなに風が吹こうとも、その美しい光は決して揺らぐことがない。あんなにも堅固な芯も持った音楽を作る彼らはとてもかっこよかった。

 ラディウスの演奏を見終えてしばらく歩いていると、今度は隣のステージで、幽霊兵の演奏が始まるところだった。明るいところで見る彼らは新鮮だったが、案外青空も似合うと思った。

 彼らの演奏は本当にあっという間で、その世界観に吸い込まれたかと思うと、気付けば曲が終わっている。しかし以前と違って、彼らの音楽が通ったあとに虚無感はなく、透き通った多幸感に満たされた。

 初めて聴いたときは、聴いている人を連れて海の底へと沈んでいこうとしていた。それが今の彼らは、深く静かな海の底で手を引いて一緒に歩いてくれる。誰も幸せになれない音楽から、誰もが幸せに向かう音楽へと変わっていた。

 僕らは音楽を通じて、少しずつ変わっていく。それは音楽をやることが、まさしく生きることそのものだからだ。そして音楽は僕たちが歩く道しるべでもある。

「ちょっと見たい人がいるんだけど、一緒に行かないか?」

 そう言って手を引くキョウに連れられ、僕らは西の端にあるステージへとやってきた。ここは七つあるステージの中でも最も小規模なステージで、バンドではなくソロのアーティストやDJなんかが中心のちょっと異色の場所だった。僕らが着いたのがちょうど入れ替わりのタイミングだったようで、前のアーティストがはけて次のアーティストが出てきた。

「次はお待ちかね、ラップ界期待の新星が登場。まさに彗星のごとく現れた奇才! 『アマネ a.k.a.女狐』だ!」

 どうやら今はヒップホップのステージをやっているらしく、司会の呼び込みの声と大仰なスモークとともに、一人の女性が檀上に上がってくる。

「あれ、今アマネって言ってなかった……?」

 一瞬聞き間違いかと思ったが、確かにステージに立っているのは僕の知っているアマネだった。目深に帽子をかぶり、服装もぶかぶかのヒップホップスタイルなので、別人のようにも見えるが、長い前髪とおどおどした様子は紛れもなく彼女だ。

『うおー!』

 どうやら彼女はかなり人気があるようで、客席から大歓声が上がる。僕が驚きのあまり固まっていると、キョウが種明かしをしてくれた。

「元々は巻き込まれる形でサイファーに入ったのがきっかけで、それからどんどん色んなところで誘われるようになったらしい。ついにはライブをやるようになって、自分の曲も作ろうと僕にトラックを頼むようになったんだ」

 たまに二人で作業をしていたのはそれだったのか。しかしキョウはともかくアマネがバンド外でも活動していたというのは驚きだった。

「彼女なりの、ロック、だったんじゃないかな。引っ込み思案でおどおどした彼女が、たった一人でステージに立つというのは、ものすごい挑戦だったんだと思う。今ではあんなにも堂々と歌っている。僕は正直かっこいいと思った。だから協力したんだ」

 彼女はいつものちょっと変わったノリ方で、帽子と髪の毛で顔を隠しながらも、真っ直ぐ観客の前に立って歌っている。浮遊感のある独特の歌いまわしと、絶妙な位置で韻を踏むセンス、そしてか細く弱々しいのに決して折れないしなやかな歌声。バンドでギターを弾くときとはまるで違う姿の彼女に、僕は思わず見惚れてしまった。

 拍手の中で楽しそうに微笑む彼女があまりにかっこよくて、僕は少し悔しくなる。ラディウスも、幽霊兵も、アマネも、そして他のたくさんのアーティストたちも、自分たちが持てるすべてをつぎ込んで、最高の演奏をしている。だからこそ、僕も負けたくないと思った。

「そろそろ行こうか」

 戻ってきたアマネも合流し、四人が揃った。もう僕らのステージの時間が近づいている。

 照り付ける日差しが妙に眩しかった。街全体が熱を帯びているのがわかる。僕はそんな街の脈動に呼応して高鳴る胸を抑えながら、ゆっくりと僕たちを待つステージへと向かう。

 兄も今頃澄み切ったこの青空を見ているのだろうか。そうだったらいい。

 同じ空の下にいれば、きっと僕たちの音も届くはずだから。

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