トラック5 この残響をさよならの代わりに
5-1
七月に入り、僕らは夏フェスに向けた本格的な準備期間に入った。
ライブを一時的にやめて、練習のみに心血注ぐ。楽曲はもう潤沢に揃っているので、主に細かなアレンジの調整や技量アップに重点を置いた練習になった。ここ数か月のライブで、曲云々よりも個々の技量(特に僕だが)が圧倒的に足りていないことを思い知ったので、各々かなり気合が入っていた。
フェスが来月に迫って、街も全体的にお祭りムードになりつつあった。
参加アーティストにはロック以外のジャンルからも来ているので、シモキタの音楽シーン全体がものすごい盛り上がりを見せている。フェスに向けた事前イベントを打ったり、フェスと同日に別のライブを敢えてぶつけるなど、どこもかしこもここぞとばかりに力を入れていた。
また音楽界だけでなく、ショップや飲食店なども、そのお祭りにあやかろうと、様々な方法で便乗していた。当日の出店はもちろんだが、今のうちからセールや期間限定メニューなどを打ち出して、街の盛り上げに一役買っている。
個人的に一番面白いと思ったのは、街中のカレーショップが協力して、フェスと同じ日に開催される『カレーフェス』なるものイベントだ。どうやらスタンプラリーの要領でカレーショップを回ると、カレーにまつわるグッズがもらえるらしい。シモキタをカレーの街として売り出したいらしく、確かに言われてみると、シモキタにはやたらカレーショップがあった。何とも謎のイベントだが、僕もいくつか巡ってみようと思っている。
しかしここ数日、そんな熱狂に水を差すような問題が街を襲い始めていた。
「今日集まってもらったのは他でもない。現状はここにいる誰もがよくわかっていると思う」
僕らは今日フェスの打ち合わせということで、『本間劇場』に来ていた。ここは普段は演劇が行われている老舗の劇場で、シモキタにおける、ロックと双璧を成す文化である演劇のメッカである。今日は特別にフェスの運営委員会が借りていて、僕らはその運営委員会に呼ばれてやってきたのだった。
フェスの運営委員会は、主にシモキタの町内会メンバーと周辺のライブハウス関係者、そして一部のミュージシャンたちによって構成されている。檀上に立って話しているのは、運営委員長を担っている『シモキタ一番街』のタグチさんだ。彼は『シモキタ一番街商店街』の商店会長でもあるため、今回の運営委員長に抜擢されている。普段は商店街の一角で楽器店を営みながら、バンド活動をしているらしい。
タグチさんは神妙な面持ちで僕らを見つめる。彼の表情が今の逼迫した状況をよく表していた。
「今週に入って、突然ロックミュージシャン及びそのファンが逮捕されるという事件が相次いでいる。昨日はついに、フェスの参加メンバーでもあった『The Radius』のメンバーが一人被害に遭った。ここにいるみんなも、次は自分に被害が及ぶ番かもしれないということをよく認識していてほしい」
彼の言葉に周囲がざわつく。辺りを見回すと、奥でラディウスのメンバーたちが悔しさを滲ませた表情で檀上に目を向けていた。確かに人数が一人足りず、ベースのタクさんの姿が見当たらない。
「正直、僕らは見かけだけの法と化していた『ロック禁止法』を甘く見ていた。しかしここに来て、その法律が僕たちに牙を向け始めている。原因は現在調査中でわからないが、各自危機感を持って行動してくれ」
アマネの父以外にロック禁止法で逮捕されたという話を聞いたのは初めてだったので、僕はかなり驚いていた。タグチさんの話では、ロック排斥家たちにフェスのことが知られてしまい、本格的な排斥運動を始めたのではないかということだった。
「あの、じゃあフェスはどうなるんですか?」
客席側に座っていた一人がそんな質問を口にする。それは誰もが気になっているところだった。
「運営委員の中では、当然中止という案も出た。僕自身も、みんなの安全を考えるなら、それが一番妥当だと思う」
タグチさんの言葉に会場がざわつく。それを無言で制し、彼は続きを語る。
「しかし、今回のフェスは単なるお祭りとしての意味合い以上に、ロック禁止法の撤廃を訴えるデモ運動としての意味合いも兼ね備えていた。だからこの騒動によって、フェスが中止になるということは絶対にない」
タグチさんの強い言葉に対し、客席側からは再びどよめきが起こる。喜ばしいことではあったが、みんなそのことを喜び切れない様子だ。
「もちろん運営委員会としても、細心の注意を払うと同時に、色々な対策も考えている。ただしそれでも身の危険があることは否定できないので、出演を辞退するということであれば、僕たちは引き留めることはしない」
みんな少し迷っているようだった。僕らは未成年で学生だから実刑はないが、他の人たちはもし逮捕されれば、ロックミュージシャンなら懲役は免れない。しかも一度逮捕されると、その後も秘密裏に監視がつくという噂だ。ロックを貫くために逮捕されてもいい、と言う人もいるかもしれないが、それはすなわちロックを貫けなくなるということである。
「よく考えて結論を出してほしい。考えたうえで、それでも僕たちと戦ってくれるというのであれば、一緒に最高のライブを作り上げよう」
会が終了したあとも、ほとんどの人たちが会場に残ったまま、お互いに情報交換を図っていた。出演について悩んでいるような声もちらほらと聞こえてくる。
僕たちはメンバー四人でラディウスのところへ行った。落ち込んでいるのではないかと心配だったが、意外にも彼らは前向きで、フェスにもサポートメンバーを入れて出演するとのことだった。
「俺たちがちゃんとやってないと、タクが帰ってきたときに怒られちまうからな」
彼らの決意は固く、熟慮の末の結論だということが感じ取れた。彼らのような人たちがいてくれるのはとても頼もしい。
「僕らもちゃんと考えなくちゃいけないね」
子どもだからと許してもらえる可能性も高いが、間違いなく保護者に迷惑がかかるだろう。僕の場合は叔父さんに迷惑がかかるのは忍びないし、アマネは父の件があるからまずい。キョウとミヅキは大丈夫そうだが、だからと言っていいわけではない。
「おい、まさかやめるなんて言わないだろうな?」
突然ミヅキがどすの利いた声で詰め寄ってきた。僕の態度が気に入らなかったようだ。
「いや、別にそういうわけじゃなくて……」
どうやら彼は機嫌が悪いみたいだった。僕が何とか一旦なだめようとすると、それが逆に火に油を注ぐような形になってしまった。
「お前はいっつもそうだよな! イライラするんだよ!」
彼は吐き捨てるようにそう言って、早足でどこかへ行ってしまう。
「ちょっ」
慌てて追いかけようとするが、会場を出たところで見失ってしまった。このまま放っておくわけにもいかないので、僕たちは三人で手分けして彼を探すことにした。
それにしても何をあんなに怒っていたのだろう。僕の曖昧な態度が気に入らなかったのもあるだろうが、それだけではないように思う。彼はときどきこういう癇癪を起こすことがあった。自分の感情をコントロールするのが得意でないのだ。それが彼の良さでもあるのだが、こういうときは困り者だった。
いざ探してみると、彼は案外すぐ見つかった。道の端に座って空を見上げている。僕はそっと近づいて、黙って彼の隣に座った。
「悪い」
僕に気付いた彼は短く謝った。やはり彼がイラついていたのは僕以外に理由があったようだ。それを話そうとしているようだったので、僕は何も言わず、彼が話し始めるのを待った。しばしの沈黙のあと、彼は重たそうに口を開く。
「マスターが捕まったんだ」
驚きで言葉に詰まった。信じられないと彼の顔を見ると、潤んだ目で地面を見つめている。
「俺は目の前で連れていかれるのを見てた。あいつらが無理矢理マスターの腕を引っ張っていくのを、ただ見てることしかできなかった。助けようとしたら、マスターが首を振ったんだ。来るんじゃない、って」
「それで、今マスターは……?」
確かに元はロックバンドのドラマーだが、今はただのカフェのマスターだ。僕らとは違って捕まる理由はないし、すぐに解放されるんじゃないだろうか。
「わからない。ただ俺たちみたいなバンドマンが溜まってたせいで、ロックミュージシャンを匿ってたってことになってるらしい。もし上手く釈明できなければ、それなりの罪になるかもしれない」
「そんな、それじゃあまりにも……」
しかし僕らが理不尽だと声を荒げたところで、状況は何も変わらない。僕らはただの無力な子どもで、社会の大きな波に呑まれるしかない。僕らがマスターを救う術などあるはずもなかった。
「命懸けで音楽をやったって、俺たちは目の前の人一人助けることができない。そんな俺たちの音楽に、一体何があるっていうんだ……」
ミヅキは鼻をすすりながら、上擦った声で弱音を吐いた。
「いや」
一つだけある。僕らが彼を、そして理不尽に押し潰されそうな人たちを救う、唯一の方法。僕たちが持っている、唯一にして最強の武器が。
僕は背中を丸めるミヅキの肩を掴み、真っ直ぐ彼の目を見つめる。
「世界を変えよう。僕たちの音楽で」
馬鹿げた妄想かもしれない。自分たちを過信しすぎているのかもしれない。でも妄想も過信も、ロックには大切な要素だ。それに、理不尽に対抗するんだから、都合のいい見方をしたっていいじゃないか。
ロックが世界を変えるなんてことは、そんなに珍しいことじゃない。
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