4-6

 その日もひどい雨だった。六月も後半に入ったと言うのに、一向に梅雨が明ける気配がない。朝から空が真っ暗で、何となく不吉な感じがした。

 しかし放課後には久々にライブができるということもあり、足取りはいつもより軽かった。今週はずっと練習と楽曲制作に集中していたので、仕上がりもかなり上々だ。今からすでにいいライブになる予感がしていた。

 ライブのことで頭がいっぱいなせいで、授業は全然頭に入ってこなかったが、それでもボーっと座っていれば授業は終わる。僕はギターを担いで学校を飛び出し、水たまりを蹴り上げながらスタジオへと向かう。

「うん、いい感じかもです」

「そうか、よかったよ」

 スタジオに着くと、すでにキョウとアマネが来ていた。二人は肩を寄せ合ってパソコンの画面を見つめていて、アマネはヘッドホンをして何かを聴いているようだった。こうして少し遠目から見ると、仲睦まじいカップルのようにも見える。僕は二人の邪魔をしないようにそっとスタジオの奥へ向かうが、足音ですぐに気付かれてしまった。

「やあ。外はどうだい?」

 キョウは特に取り繕う様子もなく、普段通りのトーンで僕に話しかけてきた。僕が変な風に見てしまっただけで、単純に二人で何かを聴いていただけみたいだ。よく考えてみれば、こんなのはそこまで珍しいことでもない。

「雨はすごいよ。もう地面がちょっとした川みたいになってる」

 僕は冷静になろうと呼吸を落ち着ける。

「おいおい、ずいぶんとお前ら仲良しじゃねえの。俺はてっきり、キョウはアマネじゃなくてイツが好きなんだと思ってたんだけどな」

 ちょうどミヅキが遅れてやってきて、寄り添う二人を見るや否や、勢いよくいじり始めた。彼のこういうずけずけしたところはもはや尊敬に値する。

「うーん、まあ確かにアマネよりはイツの方が好きかな。イツが好きだからこのバンドに入ったっていう部分は多分にあるしね。それにアマネは少しコミュニケーションが取りづらいところもあるから」

 対してキョウはキョウでかなりズレたところがあるので、噛み合わない返答をする。そしてとばっちりで悪口を言われたアマネは結構ダメージを受けたらしく、凹んだ様子で肩を落として体育座りをしている。

「それ、もしかして新しい曲?」

「そうだよ。まあこれはアニーとは関係ない曲だけどね」

 彼は個人名義の曲を作っているところだったらしい。それをアマネに聴いてもらっていたのか。そういえばよく彼はアマネと曲の話をしている気がする。もしかしたら、曲のギターをアマネに弾いてもらっているのかもしれない。

「へえ、僕にも聴かせてよ」

 思い返してみると、あまり彼の曲を聴く機会がなかったので、僕も聴いてみたかった。一番初めに聴いた僕の足音を入れた曲を思い出す。あれは今でもたまに家で聴くくらいには気に入っていた。

「いや、まだ完成してないから。完成したら聴かせるよ」

 彼はそう言って僕には聴かせてくれなかった。アマネは聴いていたのに、と食い下がっても、頑として聴かせてはくれない。彼は変に頑固なところがあるから、こうなったらたぶん絶対に聴かせないだろう。僕は諦めて完成を待つことにした。

「今日は久々に『CLUB246』だよね?」

「そうだな。あのライブ以来か」

 今日のライブは僕らが初めてライブをした『CLUB246』だった。規模的には僕らがやるにはまだ大きすぎる場所だったので敬遠していたが、そろそろファンも増えてきたところなので、一度出てみてもいいだろうと今回初ライブぶりに出演することが決まった。

「今回は対バンも結構知り合いが多いみたいだよ」

 普段は大抵周りは知らないバンドで、たまに一つか二つ知り合いがいる程度なのだが、今回は対バンのほとんどが知っているバンドらしい。ミヅキが以前在籍していたラディウスや、初ライブで一緒だったヌルズも出るようだ。

 そして僕が一番気になったのは、今日のトリを飾るバンドの『Yurei-Hei』だ。彼らもヌルズと同じく初ライブで一緒にやったバンドだが、あのときの演奏は今でも忘れられなかった。

「幽霊兵に持ってかれないように気合入れないとな」

 彼らが演奏を始めると、会場の空気が一気に彼らの創る世界に引きずり込まれてしまう。彼らにはそんな魅惑的な力があった。

 僕は彼らの音楽がとても好きだった。音楽的には僕らと近しい部分があるし、メロディセンスも僕が好きなタイプだ。しかし彼らの音楽はあまりに悲しく、どうしても受け入れがたいものがあった。どんなに音楽的に魅力的で優れていても、何故か拒否反応が働いてしまう。それはきっと、彼らの音楽が兄のことを想起させるからだ。

 いずれにせよ、どんなバンドが出るにしても、結局僕らは僕らのロックを奏でるしかない。余計なことは考えずに、まずは自分の演奏に集中しようと心に決める。

「やっぱり改めて見ると結構広いね」

 箱に着いて一番最初に感じたのがそれだった。普段やっているどの箱よりも断然大きい。初ライブをここでやったなんて、今考えるととても恐ろしい。

 リハーサルを終え、食事を取ったりしているうちに、気付けばライブが始まった。今日は合計五バンドが出演するライブで、僕らは四バンド目だ。トップバッターは出演者の中で最も勢いとパワーのあるヌルズだった。

「ナゴヤからやってきました最強のバンドです。どうぞよろしく」

 そう言って始まった彼らの演奏は、そんなビッグマウスも様になってしまうかっこよかった。黒いリッケンバッカーを抉るように弾きながら咆哮するボーカル、チェリーサンバーストのレスポールをぶんぶんと振り回すギター、雷撃のような激しい炸裂音を奏でるドラム。三人とは思えない音圧と、身体から溢れ出る気迫によって、強烈で凄まじい迫力を生み出している。

 彼らは駆け抜けるようにあっという間に演奏を終え、息を切らしながらステージを降りる。その姿は何とも刹那的で、僕らには決して真似できない命を燃やすロックだった。袖から漏れてくる音を聴いていただけなのに、身体がじんじんと熱くなっている。

 二バンド目は『Zero to Ichi』というバンドで、僕らは一緒にやるのは初めてだった。ピアノ、ギター、ベース、ドラムという四人編成で、ボーカルのいないインストバンドのようだ。クリーム色のシンライン、木目のはっきりした渋いワーウィックの五弦、赤い筐体の目立つノードステージ、眩く光るカノウプスのアクリルドラムと、楽器も独特のチョイスだ。

 メンバーがステージに上がってからしばしの間があり、張り詰めた沈黙が会場を覆う。

 そして演奏はその沈黙を引き裂くように唐突に始まった。複雑なリズムが絡み合い、曲を見失いそうになったところで、ぴたりと音が合って、観客の意識を一気に惹きつける。緻密に考えられた緩急のある構成によって、僕らは右へ左へと忙しなく揺られていく。

 僕は深い森に迷い込んだ感覚に陥る。濃い霧に視界を閉ざされ、自分がどこにいるのかもわからない。けれど森には木々のざわめき、小川のせせらぎ、小鳥の囀りや風の足音が聴こえ、不思議と恐怖は感じない。そして靄の隙間から差し込む朝焼けの光が、薄暗い森を神秘的に照らしている。

 まるでメトロノームのように正確なギター、ベース、ドラムの上に、敢えて浮遊感のある不思議なピアノのメロディを乗せることで、曲全体の不安定さが増し、幻想的な雰囲気を醸し出している。一音一音が入念に考えられていて、極限まで安定を欠くことで、一瞬訪れる安定がより際立つ。

 あまり詳しくないが、ポストロック、あるいはマスロックというジャンルだろうか。拍子やリズムが複雑で、コード感も不協和音を混ぜた独特の音使いだ。同じロックと言っても、ここまで違ったものが出来上がるということに驚いた。親しみのない音楽ではあったが、その分衝撃も大きかった。

 ゼロトイチが終わると、次の三バンド目はラディウスだった。彼らは結構僕らのことを気にかけてくれていて、たまにどこかで会ったりすると必ず声をかけてくれる。特にボーカルのハジメさんはライブに差し入れを持ってきてくれることもあって、本当によくしてもらっていた。ミヅキが滅茶苦茶したというのに、そうやって仲良くしてくれるのは、彼らの人柄がいい証拠だ。比較的歳が近いこともあって、彼らは僕らからするといい先輩と言った感じだった。

 しかしいざライブとなると、偶然一緒にやる機会がなくて、実は今日が初めてだった。最近正式なドラマーが見つかったらしく、サポート無しのライブを見るのも初めてなので、期待感が募る。

「さあ、一緒に夢の旅に出かけよう」

 彼らがステージに上がると、やはり見た目が華やかになる。新しいドラマーはミヅキと違ってちゃんとヴィジュアル系らしい恰好をしていて、しっかりバンドに馴染んでいる。以前見たときよりも服装やメイクがより派手になっていて、一層ビジュアル系の良さが出ているように感じる。

 曲もこれまでとは見違えるほど変わっていて、演奏は重くパワフルに、歌は繊細で感情的になっていた。特にドラマーが正式加入したのが大きいのだろう。重心の低いヘヴィなドラムは曲の土台をしっかりと支え、音の厚みを増している。その分自由になったギターとキーボードは歌に寄り添う演奏をしていて、曲の世界観がより明確に仕上がっていた。

 そして何より印象的だったのは、彼らが心底楽しそうに演奏をしていることだった。以前は少し個々の演奏に集中しすぎていて、余裕のない感じがあった。しかし今はメンバー同士で目を合わせたりしながら、グルーブ感のある演奏をしている。バンドのカラーがあるので、基本はクールに澄ましていて、あからさまに笑顔を見せることはなかったが、それでも音に演奏を楽しむ様子が滲み出ていた。

 彼らの演奏はまるでサーカスに来たみたいだ。魅せるために訓練された曲たちは、僕らの五感をいっぱいに刺激して、ショーの中へと招き入れる。そして観客と一体になって一大スペクタクルを作り上げ、興奮と感動と夢を残したまま幕が下りていく。

「すごくいいバンドになったね」

 隣にいたミヅキに声をかけると、彼は黙って頷くだけで、何かを考えるように腕を組み、ずっとステージの方を見つめていた。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る