トラック4 通り雨

4-1

「次は夏フェスだ!」

 サナ子さんが大声で立ち上がり、貫かんばかりの勢いで机を叩く。この日の彼女はいつも以上にテンションが高かった。一体何事かとよくよく話を聞いてみると、どうやら今年の夏にこのシモキタの街で『夏フェス』をやることが決まったらしい。それで歓喜のあまりこのハイテンションというわけだ。

「当然、あんたたちも参加だ」

 『夏フェス』というのは、夏に行う野外音楽フェスティバルの総称で、野外に作られた特設ステージを舞台として、一日がかりで様々なバンドがライブを行うイベントだ。大きいものだと山の中などの広大な敷地にステージをいくつも設け、各ステージ毎に合計何十組ものアーティストたちが入れ替わりで絶えず演奏を行い、観客がそれらを好きなように移動しながら見るという形を取るものもある。

 大抵の場合は、ライブだけでなく出店や催し物なども隣接し、特にフードやドリンクが充実している。休憩がてら食事やお酒を楽しめるというのが、普通のライブとの違いである。そのため、単なるライブではなく、まさに『フェスティバル』の名を冠するにふさわしいイベントとなっている。

 特にロック最盛期には夏の間毎日のように、数えきれないほどのロックフェスが行われていたらしい。もちろん現代ではロックフェスは存在しないが、ジャズなんかではよく夏フェスと称したイベントが行われている。テレビなどでもその様子が放送されることがあるので、知識としては知っているけれど、僕自身行ったことはなかった。

 だからいざ出演すると言われても、あまりイメージが湧かなかった。そもそも初ライブから一か月しか経っておらず、次のライブすら決まっていないのだから、突然フェスなんて言われても想像ができるはずがない。

 しかし楽しそうだとは思った。何よりどんな形であれ、またライブができるというのが嬉しい。どうせ夏休みで暇を持て余している頃だろうし、断る理由などない。

「今回はシモキタ全体を使って大々的にやる予定だから、すげえ祭りになるはずだよ」

 サナ子さんは鼻を高くして自慢げな顔をする。どうやら主催には彼女も一枚噛んでいるらしい。

「え、でもそんなに大っぴらにやって大丈夫なんですか? そんなことをしたら、流石に取り締まられちゃうんじゃ……」

 半ば形だけになっているロック禁止法だが、全く機能していないわけではない。事実、ロックミュージックは今でも迫害され続けているわけだし、シブヤという大都市の隣でロックフェスなどやったら、大変なことになってしまうのではないだろうか。

「大丈夫、その辺も色々と考えてあるから」

 彼女はそんな心配は無用という風に、さらっと僕の懸念を受け流す。まあ彼女が大丈夫と言うなら大丈夫なのだろう。僕らが心配することでもない。

「そしてなんと、今回はあたしたちも出る」

 サナ子さんを中心として、どこからともなく現れたリョウスケさんとケンさんを含めた三人が、戦隊ヒーローを彷彿とさせる謎のポーズを取る。両サイドの二人が真顔なせいで、異様にシュールな光景になっていた。

「ええ!? マジすか! めっちゃ嬉しいです! もう長らくライブしてなかったから、事実上の活動休止なのかと思ってましたよ!」

 僕が必死に笑いを堪える横で、ミヅキが興奮を爆発させてサナ子さんに詰め寄る。普段から普通に一緒にいるので忘れていたが、そういえば彼はサナ子さんの大ファンだった。久々のライブとあっては、彼が興奮するのも無理はないように思えた。僕も彼女たちのライブを見たことがなかったので、かなり楽しみだ。

「あれ、でもボーカルが……」

 興奮でのたうち回っていた彼が急にばつの悪そうな顔をする。ボーカルはサナ子さんじゃないんだろうか。

「あいつはいないよ。だからあたしたち三人だけ」

 サナ子さんの言葉は何となく相手を突き放すような言い方だった。ミヅキもそれ以上追及しようとはせず黙ってしまう。ボーカルの人には何か事情があって、今はバンドにいないようだ。察するに、たぶんライブをやっていなかったことも、そのことと関係しているのだろう。詳しい事情を知りたくはあったが、それ以上この話をすることがはばかられたので、少し話題を変える。

「そういえば、サナ子さんたちってなんていうバンドなんですか?」

 よく考えてみると、僕は彼女たちのバンド名すら聴いたことがなかった。三人の音楽性から、メロディックパンクやオルタナティブロック寄りの音楽をやっていることは想像していたが、実際に曲を聴いたこともない。今更ながら、僕は彼女たちのことを全然知らなかった。

「おいおい、お前まさかそんなことも知らないでいたのか?」

 ミヅキが呆れたように首を横に振る。そしてありえないと繰り返しぼやきながら、そのバンド名を口にする。

「『Good-bye For Anyone』」

「え?」

 僕はよく聞き取れなくて、思わず聞き返してしまう。いや、聞こえたけれど、その一瞬では理解が及ばなかったのだ。

「だから『Good-bye For Anyone』だよ。俺たちがカバーしてるあの曲の本家。現代シモキタロックの頂点にして、わずか一年で解散した伝説のバンド。ここに住んでる奴らならみんな知ってるよ」

 僕は驚きのあまり声を発することすらできなかった。キョウもアマネも最初から知っていたようで、特に驚いた様子はない。しかしそんな偶然があるものなのか。探していた人たちがこんなに身近にいたなんて……。

 思えば最初にあの曲を合わせたときも、突然僕の提案した曲なのに、彼女たちは当然のように完璧な演奏をしていた。ずっと彼女たちの技量ゆえのことだと思っていたのだが、あれは単に彼女たちの曲だったのか……。

「サナ子さん、兄は……、ナカムラサクはどうしたんですか?」

 当然聞かずにはいられなかった。彼女は僕のことにきっと気付いていたに違いない。僕が自分の名前を名乗ったときの、彼女の奇妙な笑顔が今になって思い出される。どうして何も言ってくれなかったのだろう。

「いや、えーっとな……」

 彼女は言葉を濁して僕から目を逸らす。僕はそんな彼女に誤魔化されないよう、真っ直ぐに彼女の瞳を見つめる。長い沈黙が続く。彼女も、そしてリョウスケさんもケンさんも、どうしても話したくないようだった。それでも僕が諦めないでいると、しばらくして観念したのか、彼女はその重い口を開いた。

「あいつはさ、ある日突然いなくなっちまったんだよ」

 彼女は兄と過ごしたほんの短い物語を語った。

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