3-7
歌い終わったあとのことは、正直あまり覚えていない。何だか夢の中をふらふらと彷徨っているような気分で、気付くと朝になっていた。全部夢だったんじゃないかと思ったけれど、指先に残る弦の感覚と、微かな喉のざらつきが昨日の夜のことを証明してくれていた。
時計を見るともう学校に向かう時間で、僕は手早く準備を済ませて家を出る。外は風もなく澄み渡る快晴で、肌を撫でる冷たい空気がいつもより清々しく感じる。草花の香りが混じった透明な空気を吸って、白い息を吐きながら、僕は見慣れた景色を歩く。
昨日の耳鳴りがまだ残っている。そのせいだろうか。周りの音が妙に遠く聞こえて、世界がとても静かに思える。まるで誰もいない海の底を歩いているみたいで、音がなく、穏やかで、時間がゆっくりと進んでいる。
登校中も、授業中も、休み時間も、下校中も、僕だけが違う世界にいるようだった。僕を追い去って、世界だけが流れていく。白昼夢から向こう側を覗く僕には、世界がひどく他人事に思えた。
不思議と音楽も聴きたくなかった。輪郭を失って微かに聞こえてくる世界の音に耳を傾けていたかった。僕は揺り籠でまどろむ赤子のように、瞳を閉じて周りに身を委ねる。
学校が終わり、校門を跨いだ僕の足は帰り道と逆方向へ向いていた。今日はライブ明けだから練習はなしにしようと言っていたのに、結局僕はギターを担いでスタジオに向かってしまう。もしかしたら僕以外誰も来ていないかもしれない。けれど、その奥に淡い期待があったのも確かだ。
帰り道よりも歩き慣れた道。生まれた街よりも懐かしい街並み。そして、すべてが始まったこの場所。
その風景の色さえも、どこか遠くに感じてしまう。この寂しさに似た優しい気持ちを表す言葉を僕は持っていない。まだまだ世界には僕の知らないことがたくさんある。
スタジオの二重扉はいつもよりほんのちょっとだけ重たくて、ひんやりと冷たい。僕は体重をかけてそのドアを押し開け、静かに中を覗いた。
「待ってたよ」
視線の先には楽器とともに待ち構えているキョウとミヅキの姿があった。
「すみません、遅くなりました」
そしてわずかに遅れて、息を切らしたアマネが入ってくる。
「じゃあやろうぜ」
僕は浮足立つ心を必死に抑え、こぼれ出そうな涙を噛み締めて、静かにギターを構える。
こうして僕たちはまた旅に出る。この世界に溢れる新しい音を求めて。
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