3-6

 ステージは上がってみると思ったよりも狭くて、照明の熱がこもってサウナのように蒸暑い。汗ばんだ手が気持ち悪く、いくら水を飲んでも喉の渇きがいつまでも取れなかった。

 僕らは目を合わせて頷き合い、お互いの準備ができていることを確認する。

「初めまして。『Any』というバンドです。よろしくお願いします」

 緊張なのか興奮なのか、今にも吐きそうだった。何とか最初の挨拶をすると、急かすような観客のまばらな拍手が続いた。

 一曲目は『夕陽の沈む音を探して』。この曲は僕のアルペジオフレーズから始まる。僕は呼吸を整えるように大きく深呼吸をして、一音一音慎重にアルペジオを奏でていく。

 ――あっ。僕は他の三人が入ってくる直前のところで、ミスタッチをしてしまう。あんなにも手に馴染んだはずのフレーズが、こぼれ落ちるように床に落ちる。曲の進行に影響はなかったものの、歯車がずれたような違和感のまま、リズムを取り戻せずに曲が進んでいく。僕は必死に修正しようと試みるけれど、ほんの微かなずれが噛み合わなかった。

「リズムは敵じゃねえ」

 ミヅキのスネアの音が耳に届いてきて、僕は彼が出会った最初に言っていた言葉を思い出す。臆病になるなと、強く背中を押された気がした。僕は考えるのをやめて、手の動くままギターを弾く。すると不思議とずれがなくなって、ぴたりと音が噛み合う。

 イントロが終わり、綺麗に重なった曲の上に歌を乗せていく。しかし何故か声がうわずって、上手く音を当てられない。言葉とメロディが分離して、曲と歌がどんどんと離れていくのがわかった。追いかけようとすればするほど、いつもどんな風に歌っていたのかわからなくなる。僕は一体何を歌っているんだろう。

「僕のために、歌ってくれないか」

 乖離した曲と歌を繋ぐように、ベースのメロディが溺れる僕に手を差し伸べる。そうだ。僕は彼のためにこの曲を歌うのだ。あの夕陽を思い出すと、自分が向かえばいい方向がはっきりした。僕は少しだけ喉に力を入れて、はっきりと歌を吐き出していく。

「私も変わりたいと思いました」

 そう言っていたアマネは、このステージ上で誰よりも強くはっきりした自分の音を奏でていた。自信なげで自分を卑下する彼女は、実は一番確固たる自分というものを持っている。その証拠に彼女は自分の意志でここへ来て、自分の力でここに居場所を見つけて、自分の足で今ここに立っている。

 すぐ流されてふらふらと自分を見失う僕は、そんな彼女が羨ましく、彼女が隣にいることがとても心強かった。彼女の奏でる緩やかなメロディが僕の隣に寄り添って、そっと手を握ってくれる。

本当に変わらなくちゃいけないのは僕の方だ。だからほんの少しでも前に進むために、僕は歌を歌う。


  夕陽の沈む音を探して

  僕らは歌を口ずさみながら

  鮮やかに光るこの街並みが

  あなたに届く夢を見ている


 このライブが終わったら、また四人であの夕陽を見たいと思った。そのときにはきっと、また違う音が聞こえてくるはずだ。そうやって新しい音を見つけていければ、僕たちはどこまでも歩いていける。

 曲が終わって一瞬間が空いたあと、始まる前はまばらだった拍手が何倍にもなって僕らに降り注いだ。そこで初めてフロアに目を向けると、寿司詰めになった観客が手を上げて僕らの演奏に応えてくれていた。

 ――届いた、のかな。

 自分の演奏に必死で、この人たちに届けるなんてことを全く考えられていなかった。それでも夢中で奏でた僕たちの音は、ほんの少しかもしれないけど、このたくさんの人たちの心を動かすことができたみたいだった。

「ありがとうございます」

 フロアを見回すと、一番奥にペンギンカフェのマスターを見つけた。一人だけ背筋を伸ばして見事にスーツを着こなす彼は、遠くから見てもすぐにわかる。その隣にはケンさんとリョウスケさんがいて、僕の視線に気付いたのか気付かないのか、僕らの演奏を肯定するように頷いてくれていた。

 他にもミヅキを勧誘しに行ったときにお世話になった『軒下』のスタッフや、ラディウスのメンバー、練習終わりによく行ったラーメン屋の店長まで来てくれていた。アマネの前にはラッパー仲間と思われる集団で変な人だかりができていて、彼女は手を振る彼らに困惑気味の笑顔を向けていた。

 僕らを見てくれている人なんて、誰もいないと思っていた。けれどそんなのは失礼な思い上がりで、ちゃんと僕らを応援してくれる優しい人たちがたくさんいる。僕らは四人だけでバンドをやっているんじゃなくて、色んな人に支えられながらバンドをやっていた。そんな当たり前のことに、このステージに立ってみてようやく気付けた。

 そしてステージ袖から、サナ子さんが満足げな顔でこちらを見ていた。僕と目が合うと、親指を立てて笑う。

 メンバーはみんないつも通りだ。キョウは飄々とベースのチューニングをしていて、ミヅキは文句を言いたそうに腕を組み、アマネは下を向いたまま髪の毛で顔を隠していて、でもみんな何となく楽しそうに見えた。

「次は、大好きな人から借りた曲を歌います」

 僕はそう言いながら、フロアの中に兄の姿を探してしまう。いるはずもないのに、もしかしたらと思ってしまう。

 この演奏が彼に届かないことだけが心残りだった。彼は僕らの曲を聴いたらなんて言うだろう。褒めてくれるだろうか。笑ってくれるだろうか。いつか僕らの音が彼に届くまで、僕は歌を歌い続けようと思った。

 だから僕はこの曲をまたこうして歌を歌うために歌おうと思う。きっと彼の歌うこの曲とは違って、解釈としては滅茶苦茶だ。でも彼の曲と彼の言葉を借りて、僕の歌を歌う。僕は彼と違って弱くて寂しがり屋だから、また会えるようにさよならを言おう。

「『Good-bye For Anyone』という曲です」

 ミヅキのカウントに合わせて、四人の音が一斉に重なる。一曲目とは真逆で、疾走感と勢いが曲を形成していく。そこに掴みどころのない揺らめくメロディを重ねて、どことなく寂しげな別れの空気を表現していく。

 元々はたぶんこの曲は孤高の歌だ。さよならという言葉を連れてここを去り、どこか知らないところへ行きたいという兄の想いが込められた歌。でも僕は兄のように独りで歩いていける強い人にはなれない。


  Good-bye for anyone.

  I sing that word.

  Think lasting your thought,

  if you can`t see anything in the future.


  (誰のためでもないさよなら

  僕は小さく口ずさむ

  たとえ行く先に何もなくても

  決して思考を止めてはいけない)


 未練がましい憂いを残した声で僕は歌う。なんて弱々しくて頼りない曲だろう。けれどこれが僕の歌だ。すべての人に届かなくたっていい。誰か一人でも、僕と同じ想いを持っている人がいて、その人に届いてくれればいい。もし誰にも届かなかったとしても、それでも構わない。僕は僕のために、この歌を歌おう。

「さよならという曲を歌ったあとに、こんな曲を歌うのは変かもしれません」

 そして僕の歌は最後の曲へと続く。

「でもこの曲のあとだからこそ歌いたい」

 この瞬間に至るまでの記憶が、走馬燈のようにフラッシュバックしていく。

「再会を願う歌を歌います。『ラムネ』という曲です」


  古着屋で買ったスニーカー履いて

  知らない異国の音楽に浸って

  都会行きの電車と逆ホーム

  今日も日々は過ぎていく


  重たくなった荷物を捨てて

  漫画で見た世界に行けたらな

  そんな都合のいいことはなく

  目に映るのは見慣れた街並み


  風が強くて 夢を諦めた


  透けたラムネの瓶から青い空を覗いて

  まだ夏には早いけど 気付けば僕は君を思い出す。


  流行りものばかり目で追って

  大事なものを見失う

  そんな平凡な僕らはこの街を出れずに


  旅に出よう どこまでも

  音を探しながら


  くすんだガラスの窓には 白い雲が揺れる

  まだ明日は見えないけど 足を止めて少し休もうか


  君が好きだと言った 弾けるラムネ味

  僕はいつもむせ返り 飲み切れなかった

  大人になって飲んでみて 案外飲めちゃって

  もうあの頃は戻ってこないんだ


  消える君のギターの音に耳を塞いで


  透けたラムネの瓶から青い空を覗いて

  まだ夏には早いけど 思わず僕は明日に走り出す


  いつか笑顔で会えるように

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