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 ライブが始まると、当初の予想通り、決して狭くないフロアが超満員になっていた。他の三バンドの人気もさることながら、『あのサナ子』がプッシュするバンドとして、僕らもかなりの注目を浴びているようだった。

 僕らはステージ裏手の楽屋から、固唾を飲んでライブの様子を見つめていた。リハーサルでの高揚感がまだ抜けておらず、いいテンションで自分たちの出番を迎えられそうだ。

「始まった」

 一バンド目の『シモキタ一番街』の演奏が始まる。ギターボーカル、ベース、ドラム、トランペットという少し変則的なバンドだ。シティポップ寄りの洒落た雰囲気に少し泥臭さの加わった曲を得意としていて、落ち着いたボーカルの伸びやかな歌声が特徴的だった。シンプルながらも印象的なメロディを主体として、それを支える楽器隊の安定感が聴きやすさを担保している。

 シモキタ由来のバンドだからか、決してポップに寄り切らず、ロック色の強いアップテンポな曲も多い。そしてやはり最も目を引くのはスリーピースバンドの上に差し込まれるトランペットで、多すぎず少なすぎず絶妙な塩梅で曲の空気を華やかに変える。シモキタのごった煮感とちょっと寂しげな温かい街並みを見事に表現する素晴らしいバンドだった。

 シモキタ出身者の多い観客たちに響く曲が多い印象だった。実際、バンド名にもなっている最後の『シモキタ一番街』では、その目に涙を溜めて染み入るように聴く人の姿が見受けられ、僕はその光景が目に焼き付いて離れなかった。


  シモキタの街が好きだった

  まるで僕らを映す鏡みたいだから

  シモキタの街が嫌いだった

  まるで僕らを映す鏡みたいだから

  結局世界なんてのは 見たいように見えるだけさ


 ボーカルの歌う儚げで少し投げやりなメロディと、そこに乗る多くを語らない感傷的な歌詞に、僕もじんと胸が熱くなる。同時に、自分がこの街の人間ではないことにちょっぴり悔しく思えた。

「お疲れ、いい演奏だったよ」

 演奏を終えて汗だくでステージを降りた彼らに、真っ先に声をかけたのはサナ子さんだった。ボーカルのタグチさんは彼女の姿を見ると柔らかく頬を緩ませ、軽く頭を下げて会釈をする。

「そりゃあ、サナ子さんに頼まれたライブじゃ、いい演奏するしかないですからね」

 彼は優しい顔をしていたが、そのうちに熱い闘争心を燃やしているのが見て取れた。そして、その闘争心の対象が僕たちであることに気付く。

「君たちがアニーか。おじさんたちの意地、少しは感じてもらえたかな」

 一瞬だけその温かい笑顔を僕たちに向け、ゆっくりと楽屋の奥に戻っていく。その背中は疲れ切っていて、それがとてもかっこよく見えた。

「あの、すごくよかったです。上手く言えないですけど、まるでこの街をそのまま歌にしたみたいな、情景が目に浮かぶ曲でした」

 彼は僕の言葉に何も返さないまま、ギターを置いて静かに楽屋の外に出ていった。すれ違う瞬間に見えたタバコを咥えた口元がほんの少し上がっていて、その笑みがどんな意味を持っていたのか、僕には到底わからなかった。

 今回のバンドは一様にサナ子さんが直々に声をかけたらしい。それも『目にかけているバンドの前座』という言い方をして、あえて焚き付けるように誘ったそうだ。だからどのバンドも気合の入り方が違って、普段以上に本気で臨んでいるのがわかった。

「俺らも、負けねえから」

 二バンド目の『The Nulls』はギター、ベースボーカル、ドラムのスリーピースで、典型的なメロディックパンクバンドだった。全員真っ黒い服装で、冬だと言うのに半袖を肩まで捲り上げて着ている。そしてその肩からは刺青らしき不思議な模様が顔を覗かせていて、僕は思わず目を逸らした。

 彼らは僕らにガンを飛ばして、まるで戦場に出るような面持ちでステージへと上がっていった。そして演奏が始まるとその殺伐とした空気を曲にぶつけ、激しく豪快なエモーションに昇華していく。

 ギターが縦横無尽にステージを動き回り、ドラムは天井に届きそうなくらい大振りでスネアを叩き、ボーカルは透き通った真っ直ぐなメロディを叫ぶように歌う。彼らはみんな楽しそうに目を合わせて笑い、自分の音を相手に向かって投げつける。三人の音は喧嘩するみたいにぶつかり合って、でもいつの間にかじゃれ合うように一つの音にまとまっていく。


  If you have nothing, the sun will rise before long.

  And you have to breathe in many things for a long time.

  Walk slowly on your foot.

  Then a good day will appear along your track.


  (もし君に何もなくたって 太陽はそのうち昇ってくる

  それに君は当分の間 たくさん息を吸わなきゃいけない

  ゆっくり歩きなよ 君自身の足で

  そうすれば君の足跡を追って きっといい日がやってくるから)


 シモキタ一番街がノスタルジーを刺激するのなら、ヌルズはまさに真逆だった。彼らは未来を歌い、明るい光で行く先を照らして、暗い海の底から聴く人を引っ張りあげる。そんなとても力強い曲だった。

ステージを降りて楽屋に戻ってきた彼らは三人とも異常に苛立っていて、先ほどまでとは別種の荒々しさを持っていた。楽器を置いた途端、ボーカルのリキヤさんがギターのシュンさんに激しく掴みかかり、お互いにその状態のまま無言で睨み合っている。少し離れたところに座るドラムのサキさんは「いつものこと」といった様子でそちらには見向きもせず、貧乏ゆすりに苛立ちを滲ませながら、汗まみれの身体を拭いている。

 彼らはたぶんもっとずっと遠くを目指していて、そこに辿り着けていない自分たちに苛立っているのだろう。労いの言葉もなく、ただ次のみを見つめる彼らのストイックな姿勢から、彼らがいかに音楽に命を懸けているということがよくわかった。

 僕はこのときようやく、人それぞれのロックがあるということを実感することができた。それは色も形も一様でなくて、綺麗だったり、いびつだったり、透き通っていたり、泥臭かったり、どこにも正解なんてない。万人に届く音楽なんてなくて、自分たちの音楽が届く人に、自分たちの音楽を届ける。きっとそれがロックミュージックなのだ。

 シモキタ一番街もヌルズもすごくいいバンドで、まだ結成して少ししか経っていない僕らなんかには想像もつかないようなたくさんのことを経験してきたのだろう。つらいことも悲しいことも、楽しいことも嬉しいことも、全部歌に乗せて歌ってきたのだろう。でも彼らは彼らで、僕たちは僕たちだ。彼らが素晴らしかったからこそ、僕は僕にできることをやろうと思う。

 いよいよ僕らの出番も近づいてきて、三バンド目の『Yurei-Hei』が準備を始める。彼らはたぶん僕らと同じくらいか、少し上くらいの年齢で、前の二バンドに比べると若くあどけなさが残る。

 彼らはその名の通りどこか幽霊のようにぼうっとしていて、存在感が異様に希薄だった。視界に入ってから彼らを認識するまでに数秒のラグがあって、それもふとすると意識が別の方に行ってしまう。全員下を向いて音もなくステージに上がっていき、準備を終えてフロアの照明が落ちたところで、観客たちはやっと彼らの存在を見つける。

「『Yurei-Hei』です。よろしくお願いします」

 マイクを通しても聞こえるか聞こえないかの囁くような声に続いて、ゆっくりと曲が始まる。ギターがオルガンに近い不思議な音色でコードを奏で、その音によってこの空間全体が冷ややかな静寂に包まれていく。シモキタ一番街で感情を揺さぶられ、ヌルズで身体を震わせた観客たちが一斉に息を止め、何もない純白の世界に立ち尽くしている。

 ドラムもギターもベースも、バンドが奏でるアンサンブルのすべてが無機質に広がり、世界をただ白く染めていく。僕たちはその音に目を瞑ることも耳を塞ぐこともできず、吸い寄せられるようにしてその音に溶け込んでいく。存在が希薄になり、意味が欠落し、世界からすべてが消える。


  ほら、世界はこんなにも美しい。


 唯一の微かな灯りに照らされ、耳元に語りかけるような声で、ボーカルが言葉を紡ぐ。誰もがその歌に聞き入っていた。何もなくなった世界にぽつりと現れるそのメロディが、僕たちを優しく包み込み、安らかな眠りへと誘う。そうして世界が閉じていく。最初からなかったみたいに、世界が無に回帰していく。

 うねるギターの残響音が空気の上を波打っていく。長い、長い余韻のあと、僕はようやく演奏が終わったことに気付く。フロアの観客たちは心を失ったように茫然と誰もいなくなったステージを見つめ、拍手もないまま、BGMが無意味に鳴り響いている。

 今まで感じたことのないほどの脱力感と、行き場のない虚無感が身体を支配していた。見ていた夢を見失った僕たちは、雪のちらつく荒野に取り残される。

 ――彼はどうしてこんな歌を歌うのだろう。僕は少しずつ思考を取り戻すとともに、重く苦しい悲しみに胸を締め付けられる。

 救いのない音楽だった。救いのないことを伝えることが唯一の救いであると訴えかける音楽だった。皮肉なことに彼らの音楽はどこまでもロックで、それが僕には悲しくて仕方なかった。

「あいつらの音楽は、すごいだろう?」

 サナ子さんが自慢げに、けれどどこか寂しそうに呟く。

「でもきっとあれは間違ってる。音楽に正解なんてないけどさ、人の心に正解はあるんだ。それはそいつによってまちまちで、それを私たちは『ロック』って呼んでる。あいつらはたぶん、まだ自分の中にある本当の『ロック』見つけられてないんだ」

 遠くを見つめる彼女の目には涙が滲んでいた。彼女は何かを思い出しながら、その漠然とした思いを言葉に変換していく。

「みんないつも迷っていて、自分なんて、世界なんて、本当は何も意味なんてないんじゃないかって不安を抱えながら毎日を生きてる。あいつらはそこに勝手に結論を見つけて、それを真理みたいに歌ってる。それはとても魅力的で、だけどあまりに危うい。あたしたちはこんな救いのない世界でも、何か一つでも救いを見つけなくちゃいけない。それができるのがロックだし、それをしなくちゃいけないのがロックなんだ」

 彼らの演奏を見て、何となく兄のことを思い出した。彼はたぶんずっとその救いを探していて、それを求めて知らないところへと旅に出ていった。どこかで彼もこの世界に『ロック』を見つけることができたのだろうか。

 僕らの出番を告げる声が聞こえる。キョウと、ミヅキと、アマネが、僕のことを待っていた。

「行け。あんたたちの音をこの世界に聴かせてこい」

 少し重いジャズマスターと、小さく頼もしいブルースドライバーを抱えて、僕はステージに上がる。

 『Any』の初めてのステージが幕を開けた。

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