3-3

「いいね」

「いいじゃんか」

「うん、いいと思います」

 四人で肩を寄せ合い、小さなスピーカーから流れる音を聴く。何度も何度も流しながら、感慨深く頷く。

「長かったね」

「遅すぎだっての」

「でもできてよかったです」

 ライブまであと十日と迫ったところで、ようやく僕の初めての曲が完成した。

「曲名はシンプルに『ラムネ』にしようと思う」

 結局あのあと一晩中ギターを弾きながらあれこれとこねくり回して、丸々一晩かかって曲を書き上げることができた。疾走感のある曲調に、ポップながら感情的でロックなメロディ。今の僕の精一杯を込めた、最高の曲に仕上がったと思う。ここにアマネのギターと、キョウのベースと、ミヅキのドラムが加わったらと思うと、今からわくわくが止まらない。

「これであとはもうライブに向けて突っ走るだけだな」

 残りの時間は死ぬ気で練習して、初ライブを最高の形で迎えよう。僕は全身に響く武者震いを感じながら、自分がステージに立って歌っている姿を想像する。

 正直僕はあの澱み切った雑多な街で独り音楽を聴いていたときには、こんなことになるなんて想像もしていなかった。ずっと居場所がなくて、世界に息苦しさを感じていたのに、今はこうして仲間がいて、明確な目標があって、それに向かって全力で生きている。

 ――兄さん。僕はロックに出会えて本当によかったよ。

 最初はただ兄さんの後ろを追いかけて始めただけだった。でも今は少し違っていて、僕自身が行きたい場所が見えている気がした。彼は「知らないところ」へ行きたいと言ったけれど、僕は知っている場所も知らない場所も、見慣れた景色も聴き慣れない音も、その全部を音楽に乗せて歌ってみたい。だからどこまでも、そしてどこへでも行きたいと思った。

「おいおい、あんたら大事なことを忘れてるんじゃないのか?」

 僕らがしみじみと感傷に浸っているのを蹴り飛ばすように、サナ子さんが悪戯っぽい声で入ってくる。

「忘れてる……?」

 メンバーも揃って、曲もできて、他に何が必要だと言うのか。僕は彼女の言葉の意味を考え、一つ、まだ足りていないことに思い当たる。

「バンド名、か」

「ま、そういうこと」

 彼女は指をパチンと鳴らし、僕の方を指さした。そしてどこからともなくホワイトボードを持ち出してきて僕らの目の前に置き、ペンを僕の方に投げる。

「名は体を表す、ってね。バンド名はバンドのイメージを決める大事なファクターだ。名前がダサいとそれだけで観客は悪い印象を持っちまう。そしてちゃんと自分たちの音楽に合った名前をつけるってのは、当たり前のようでいてなかなか難しい」

「正直すっかり忘れてました……」

 まあ忘れていたというより、メンバーが足りていなかったり曲ができなかったりと、そこまで辿り着けていなかったというのが大きい。しかし流石に名無しの権兵衛では格好がつかないし、曲は必死に考えたのにバンド名だけ適当というのも変な話だ。一番最初に観客が得る情報はバンド名なわけで、彼女の言うように良くも悪くもバンドのイメージを決定づけてしまう。つまり、最後にして最大の難関が残っていたわけだ。

「ちなみに明日までに箱の方に提出しなきゃいけないから、今日中に決めてくれな」

 サナ子さんは去り際にさらっととんでもないことを言い残していった。だったらもっと早く言ってくれればよかったのに……。せめて今日ここに来る前に一人で少し考えていれば、幾分か状況はマシになったはずだ。

「そっか、バンド名ねえ……」

 メンバーは誰一人としてそこに思い至っていなかったようで、腕を組んだまま黙り込んでしまう。しかし唸っていても埒が明かないので、とりあえず話し合いを始めようと、僕はホワイトボードの前に立った。

「まずは方向性を決めるのはどうかな? 例えば英語か日本語か、とか、どういう感じがいい、とか……」

 漠然とした言い方になってしまったが、要はまずバンド名のタイプを決めよう、ということである。ある程度フォーマットが決まっていた方が、案も考えやすいはずだ。

「じゃあとりあえずどういうパターンがあるか、既存のバンド名を例にとって考えてみよう」

 僕はペンの蓋を取り、メモを取る準備を整える。

「まあオーソドックスなパターンとしては、一単語でシンプルにいくとか、『The 〇〇』みたいないわゆるバンド名っぽいやつ。造語を作ってそれをバンド名にしたり、単語をアナグラムするのもあるね。あとはバンドの雰囲気にあった短いフレーズをつけたりとか、かな」

 キョウがすらすらと出してくれたパターンを簡単にホワイトボードに書き写していく。どれも具体的なバンド名がすぐに頭に思い浮かんだ。

「私は日本語だったら『○○の××』みたいなバンド名が結構好きかもです。あとは日本語をそのままローマ字表記にしたりとか? あ、最近は短い文章をそのままバンド名にするのも多いですよね」

 アマネもべたなパターンを色々出してくれる。こうして考えてみると、結構多種多様なやり方があるのだなと感心する。しかも思い出されるバンド名は大抵曲の雰囲気とマッチしていて、やっぱりよく考えてつけられているのだということを感じた。

「もう何でもいいだろ。『ナカムラバンド』にしよう」

 他の二人は真剣に考えてくれているというのに、ミヅキだけはまるでやる気がない。まあ元々こういう音楽外の部分には興味の薄い奴なので、最初から戦力として数えてはいない。一応無視するのは可哀想なので、ホワイトボードには『ナカムラバンド』も書いておいた。

「僕が書くのは日本語歌詞ばかりだし、オルタナバンド感を出すなら日本語の名前も結構ありだと思うな。英語にしても一瞬意味を考えさせるようなバンド名にしたい」

「イツさんの曲が持ってるノスタルジックな感じとか、あったかいけど少し切ないような雰囲気を出せたらいいですね」

 何となく気になったワードをメモしつつ、三人で議論を進めていく。こういう感じがいい、という漠然としたイメージは湧いてくるけれど、なかなか具体的な案が出てこなかった。実際にすでにあるバンドに引きずられてしまって、なかなかオリジナルなものが考えつかない。

「これは思った以上に難しいな……」

 ホワイトボードは一面文字で埋め尽くされたが、依然としていい案が出ない。時計を見ると話し合いを始めてからすでに二時間近く経過していて、ミヅキはいつの間にか飽きて寝てしまっていた。

「こうなったら好きなバンド名とか曲名から一部もらうっていうのはどうでしょう? 例えば、カバーしてる『Good-bye For Anyone』から取って、『Anyone』とか……」

 確かに、先駆者から名前を借りるというのも一つの手だった。あんまり露骨だとつまらないしダサくなってしまうが、やりようによっては自分たちのことを表現しやすい。

「うーん、今一つ語呂がよくないなあ」

 しかしアマネの言う名前はあと一歩のところで引っ掛かる。呼びにくいというのは、観客以前に僕ら自身にとって微妙だ。それと意味合いが固定しすぎていて、逆にイメージを想起させづらくなってしまっている。何とかもう少し語呂をよく、イメージを固定しすぎない名前にできたら……。

 僕はそうして一ついいバンド名を思いつく。

その名前は自分で言うのは恥ずかしいし、ちょっと独りよがりなバンド名かもしれない。けれど一度頭に浮かんだらもうそれしか考えられないほど、僕はすごく気に入ってしまった。

「『Any』っていうのはどうかな? AnyoneのAnyを取って、読み方は『アニー』」

 これは英語のAnyの意味合いに加えて、兄への歌を歌う僕のことを表した、ちょっぴり駄洒落チックなバンド名だ。でも語呂もいいし曲のイメージとも合っていて、色んな意味に取りやすい名前だ。英語の読み方としては正しくないかもしれないが、それはまあご愛敬だろう。

「いいと思います」

 アマネはそう言ってくれて、キョウも黙って頷いてくれていた。ミヅキ、はいびきをかいて寝ているので、このいびきを肯定の返事と取ることにしよう。

「じゃあ決まりだ」

 僕はホワイトボードを一度全部消して、目いっぱい大きくそのバンド名を書く。

「『Any』」

 改めて口に出すとちょっぴりむず痒かったけれど、すごくしっくり来る気がした。シンプルだけど僕ららしさの詰まった、いいバンド名だと思った。これで今度こそ、ステージに立つ準備が整った。

「よし、やろう」

 僕はギターを抱え、マイクの前に立つ。左右にはアマネとキョウ、後ろにはいつの間にか起き上がったミヅキが、僕を支えるように立っている。肩にかけたギターがずっしりと重く感じた。汗ばんだ手を握り直し、ギターの弦に手を触れる。

 色んな感情がぐちゃぐちゃに入り混じって、とにかく心臓の音が耳にこだましている。その音が鳴り止まないうちに、僕らは僕らの音を思い切りかき鳴らした。

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