3-2

「ギターも入って、アレンジもいい感じに固まってきたな。あ、と、は、誰かさんが曲を書いてくれさえすればばっちりなんだけどなー」

 僕に鋭い眼差しを向けながら、無駄に大きな声で言う。どうやらミヅキはとうとう痺れを切らしたみたいだ。それもそのはず、もうライブまで二週間を切ったというのに、未だにワンフレーズも曲ができていない。

「もう諦めてキョウさんがもう一曲書く方が無難なんじゃないですか?」

 ギターに寄り掛かるように抱きつきながら、アマネがしれっと残酷なことを言う。しかし確かにそれが一番合理的なのは間違いなかった。

「あとちょっとだけ待って。何とかして仕上げるから……」

 とは言ってみたものの、まるで完成するあてもない。コード進行やリフはちらほらと思いつくのだが、肝心の歌が降りてこないせいで、それらが上手く繋がってくれなかった。『夕陽の沈む音を探して』のときは、あの夕陽やキョウの思い出といった明確なイメージがあったから作れたが、今回はまずその題材が決まらないために一向に筆が進まない。

「題材かテーマさえ決まれば何とかなると思うんだけど……」

 歌いたいことはたくさんあるはずなのに、いざ曲に起こしてみようとすると、どうしてこんなにも上手く出てきてくれないのだろう。

「題材にテーマ、ねえ……」

 ミヅキはつまらなそうに呟いて、何かを探すように辺りを見回す。

「お前はなんかいちいち考えすぎなんじゃねえの? 題材とかテーマ、そういうガワは大した問題じゃない。大事なのは音楽的なこととかそういう根幹の部分だろ」

 彼の言うことも確かだった。あれこれと悩んでいるばかりでは、いつまでも曲などできはしない。ましてや僕みたいなペーペーがテーマだ題材だなんて騒ぐのは百年早い。今はとにかく曲を作って、経験を積んでいくことが必要なのだということは、自分でも十分わかっていた。

「じゃあ俺が決めてやるよ。ほら、あれ、ラムネなんてどうだ?」

 そう言って彼が指さす先を見ると、サナ子さんが差し入れで買ってきてくれたラムネの瓶が置かれていた。何でも近くに屋台が出ていて、面白半分で買ってきたらしい。この街はたまにそういう変なことがある。

「ラムネって、今は冬だよ。全く季節感ないなあ」

 そこのすぐ近くにいたキョウが呆れたように首を振りながら、その瓶を一本手に取る。水色に透き通ったガラスの瓶は、祭りなんかで見かけるいわゆるラムネだ。最近は祭りに行くことなんかほとんどなかったので、何だか久しぶりに見たような気がする。

「そういえば私、ラムネって飲んだことないかもです」

 アマネもキョウに続いて取った瓶を、興味津々といった様子でまじまじと見つめている。

「あ、ちゃんと中にビー玉も入ってる」

 瓶を振るカラカラという音が涼やかに響く。冬に聴くこの音もなかなか乙だ。

「その中に入ってるのは、ビー玉じゃなくて『エー玉』っていうらしいぜ。ラムネの瓶に入れるのは形のいい『A玉』で、おもちゃとして売られるのが少し質の悪い『B玉』ってわかれてるんだと。知らなかったろ」

 たぶん最近テレビか何かで知ったのだろう。ミヅキが自慢げにうんちくを語る。彼はこういうミーハーなところがあった。

「残念ながらその話は嘘だよ。『ビードロ玉』が略して『ビー玉』になったというのが有力な説だ。そもそもラムネの瓶に入れるガラス玉は、歪んでいても特に問題ないらしい。それに元々はラムネの瓶から取り出したガラス玉を『ビー玉』と呼んで遊んでいたわけだから、君の言う『A玉』と『B玉』に元々違いなんてないんだよ」

 ミヅキがここぞとばかりに語った話をキョウが鮮やかに斬り捨てる。流石はキョウといった感じで、彼はこういう雑学にも明るいのだった。ミヅキは当然何も言い返せず、ただばつの悪そうな顔でキョウが持っていたラムネを奪う。

「あー、美味い」

 そのラムネを一気に飲み干すと、彼はさも興味を失くしたようにドラムの方に戻っていった。何とも可哀想なので、そっとしておいてあげるとしよう。

「わっ、思ったよりしゅわしゅわしますね」

 ミヅキの真似をして勢いよくラムネを口に流し込んだアマネは、どうやら炭酸がダメだったらしく、舌を突き出して苦い顔をする。

「もうずいぶん飲んでないけど、小さい頃は僕も苦手だったなあ」

 いつだったか、兄と夏祭りに行ったときのことを思い出す。彼はラムネが大好きで、その日も真っ先にラムネの屋台に向かった。僕は何となくそれを大人の飲み物みたいに思って一度も飲んだことがなく、いつも美味しそうに喉の奥へと流し込む彼を憧れの眼差しで見つめていた。

 ――一口飲んでみるか?

 僕があまりにいつも見ているからだろう。その日、彼はそう言って半分ほど残った瓶を僕にくれた。その瓶はとても透き通っていて、中を覗くと、ぱちぱちとはじけては消える火花のような気泡が綺麗に光っている。

 しかし期待に胸を膨らませて飲んだその味は妙に酸っぱくて、喉に絡みつく炭酸にむせ返ってしまった。

 ――ダメだったか。

 笑いながら残りを飲み干す兄の横顔を見ながら、僕はいつかこれを平然と飲めるようになるのかと不安になった。すぐ隣にいるはずの兄が急に遠ざかったように感じて、蒸した生暖かい夏の風と祭りでごった返す人々の雑踏が身体に張り付き、それが不快で仕方なかった。

「飲むとむせちゃうんだよね」

 僕は兄との懐かしい記憶に浸りながら、余っている瓶を手に取る。蓋を開けると中に溜まっていた空気が勢いよく吹き出してきて、まるで息をするような音を立てている。兄にもらったラムネの味を重ねながら、僕はゆっくりと瓶に口をつけた。

「なんだ、全然美味しいや」

 久しぶりに飲んだその味は、記憶にあったあの顔を歪ませるような変な味とは全く違っていて、すっきりとして飲みやすかった。喉を伝う炭酸もその爽快感が心地良く、不快感などまるでない。

「昔はあんなに不味く感じたのになあ……」

「意外とそういうものですよね」

 僕はあの頃よりも幾分か大人になったことを実感する。それがどこか寂しくもあり、同時に嬉しくもあった。

「そうか」

 舌に残った後味を噛み締めながら、頭の中で微かに音楽が流れていた。こういうことを音楽にすればいい、こういうことこそ音楽にしたいと思った。

「もう一本もらうね」

 余っていた最後の一本を攫って、僕はギターを担いでスタジオを飛び出す。

「ちょっと曲作ってくる」

 今ならいい歌が歌える。そういう確信があった。

「それ、僕のなんだけどな……」

 少し悲しそうにキョウが呟く。彼には曲ができたあとで、新しいのを一本買ってあげよう。

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