トラック3 ラムネ
3-1
一月の終わりが近づいてきて、街を吹き抜ける渇いた風はその冷たさを増していく。口からもくもくと立ち上る真っ白い息が深まる冬を象徴している。すっかり葉を落とした木々がカサカサと枝をこすらせ、そこに寄り添う小鳥たちは楽しげな歌を歌っていた。
今年の冬は一段と冷え込むらしい。来週には雪がちらつく日もあると、天気予報で言っていた。僕は顔をマフラーに埋め、ポケットに入れた手を軽く握る。たまに冷たい空気がポケットの中まで入り込んできて、ギターを弾いて硬くなった指先に染みた。
「寒くなりましたね」
隣を歩くアマネがしみじみと呟く。彼女はマフラーと前髪で顔が全く見えなくなっていて、ひょこひょこと歩く様子も相まって、そういう架空の生物みたいだった。僕が思わず吹き出して顔を逸らすと、彼女は不思議そうに首を傾げた。
「でも本当にアマネが入ってくれてよかったよ」
アマネが入っていよいよ完全な形になった僕たちは、ライブに向けて気合を入れて練習に打ち込んでいた。やっぱり三人と四人ではできることの幅が全然違う。今までは全体的に簡単なアレンジしかできなかったのが、リードギターの存在によってより様々なアプローチに挑戦することができ、曲の表情を豊かにすることができた。
最初こそ距離感があったが、彼女もすぐに僕らと打ち解け、今では音楽の外でも仲良く会話ができるようになっていた。学校終わりに彼女と待ち合わせをして、二人でシモキタまで歩いていくというのが最近の日課だ。
色々と話をしていくうちに、彼女がちょっと変わっていて、とても面白い子だというのがわかってきた。基本は自信がなく内気で、いつもあたふたと変な動きをしている。それなのに音楽になると人が変わったように荒々しくなり、溢れ出る感情を爆発させ、その美しい音色で多くを語った。
一方で彼女は結構人の話を聞いておらず、突然頓珍漢な受け答えをすることがあった。この間なんて好きな音楽の話をしているときに、「そういえば私、昨日カニカマというものを初めて食べました」なんて言い出して、三人でずっと笑い転げていた。ちなみにそれからしばらく、ミヅキは彼女のことをずっとカニカマと呼んでいた。
初めて一緒に演奏したときも感じたことだが、彼女の中には彼女にしかないリズムが存在する。それは時間の流れや物事の順序が周りとは全く違っていて、だから彼女の中では繋がって見えることも、それが外に出たときには、突然とんでもないところに飛び出してきたように思えるのだ。でも不思議なのは、そのずれきったリズムが僕らのリズムと奇妙に絡まって、一つの音楽として成立する。その感覚は今までにない心地良さがあった。
彼女がギターを始めたのは、なんと小学生の頃だった。シブヤ出身であるにも関わらず、父が隠れロックファンだった関係で、幼いときからロックミュージックに触れていたと言う。おもちゃやゲームよりも父の部屋にあったギターが遊び道具で、毎日夢中で弾いていた。
「このギターは父からの貰い物なんです」
彼女の愛機である水色のジャガーは、十三歳の誕生日のときに父からプレゼントされたものらしい。彼女の父が幼い頃に初めて買ったギターで、年季が入っているもののきちんと整備されているいいギターだった。
「でもその父も最近は全然音楽を聴かなくなってしまって……」
数年前、彼女の父は一度警察に逮捕されてしまった。例の秘密警察に見つかって、『ロック禁止法違反』なんていうアホらしい罪状で牢に入れられた。そのときは罰金と物品の没収だけで事なきを得たらしいが、それ以来すっかり気落ちして、音楽にも手を伸ばさなくなった。
僕は正直本当に捕まる人がいるということに驚きだったが、決してきちんと機能している法律ではなく、実際彼の父は珍しいレアケースだったようだ。しかしそうした半ば忘れられた法律ではあるものの、存在している以上は行使され得る。
「形だけは残っていますけど、今どきあんな法律で捕まる人なんていないんです。事実、私たちも捕まっていませんし、シモキタの街はあんなにもロックが盛んですから。でも今でも根強いロック排斥運動家の人たちがいて、父の友人が偶然その一人だったんです」
その人は彼女の父の音楽仲間で、よく色んな音楽を聴きながらお酒を飲んでいた。そしてある日お酒の勢いのまま、彼はふとロックが好きだということを漏らしてしまった。それを聞いた相手は突如裏切りだと怒り狂い、彼を激しく糾弾した。
「あんな音楽はね、人殺しと同じだ! 見なくていいようなことをあえて歌って、忘れなくちゃいけないことを思い出させる。音楽にそんな権利はないし、そんなことをしてはいけないんだよ。この世界はね、少しぼやけているくらいがちょうどいいんだ」
その人は幼い頃に、ロックミュージシャンである父を亡くしていた。ファンの期待に応えられないことに葛藤し、心をすり減らした末の自殺だったそうだ。そのことをきっかけに彼はロックを憎み、当時の排斥運動にも前線で参加していた人物だった。
「その人の辛さはわかります。でも私たちは好きな音楽を聴きたいだけなのに、どうしてそれが許されないんでしょう」
彼女はただ悲しそうだった。たぶん誰も悪くなくて、単純に歯車が上手く噛み合っていないだけなのだ。だからこそ悲しみは行き場がなく、僕らはどこかやりきれない。
音楽に好き嫌いがあるのは仕方ない。決して万人にロックを受け入れて欲しいわけではない。けれどたぶん僕らのようにロックを求めている人たちがどこかにいて、今も必死に毎日を生きながら、何かをずっと待っている。そんな彼らに出会いを与えられないことが僕はとても悔しかった。
「僕はさ、初めてあの音楽を聴いたとき、灰色だった世界が一気に開けて、救われたような気がしたんだ。ロックっていう音楽は、人を救う音楽だと思う」
上手く言葉が出てこなかったけれど、彼女は少し笑ってくれた。そして、確たる決意を自分に言い聞かせるように言う。
「いつか私たちの音楽で、お父さんの目を覚ましてやります」
彼女は僕と違って、とても強い人だと思った。
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