2-9
「ちょっと待っててください」
そう言って外へ出ていった彼女は、しばらくして自分のギターを担いで戻ってきた。どうやらサナ子さんに連れられてきたときに、ギターを置いてきてしまっていたらしい。いつもは三人で並んでいるステージが、彼女が加わったことで何だか少し狭く感じる。
「へえ、ジャガーか。ジャガーとジャズマスが並ぶと少し野暮ったいけど、まあ案外悪くないな」
サナ子さんが興味深そうに彼女のギターを見つめている。海と空を混ぜたような鮮やかな水色のボディが光沢を持って輝き、ところどころ塗装の剥げた外観とまばらに貼られた色とりどりのステッカーたちがいい味を出している。見るからに弾き込まれたいいギターだ。
足元にはまるでパズルのように敷き詰められた、音を変化させるための大量のエフェクターが並んでいた。ブースター、オーバードライブ、ディストーション、ファズ、リバーブ、ディレイ、その他諸々。今まで会ったギタリストでも、ここまでたくさん並べている人は見たことがない。これにはサナ子さんも驚いているようだった。
「シューゲイズか、いいね」
どうやら彼女はいわゆるシューゲイザーを得意とするギタリストのようだ。シューゲイザーという音楽は『靴を見る人』というその名の通り、足元に並べたエフェクターを見つめ、また陰鬱な曲調が特徴的なことから、下を向く演奏者たちを揶揄してそう呼ばれている。前髪で顔を隠して俯く彼女の姿は、まさにその名にふさわしかった。
「曲はどうする?」
「いつも聴いていたので、皆さんの曲なら弾けると思います」
彼女がそう言うので、『夕陽の沈む音を探して』を合わせてみることになった。軽く各自の音量とイコライジングを調整し、全員の準備が整う。
「お前、ソロ取れるのか?」
ミヅキが試すような口調で尋ねる。彼女は何も言わず無言で頷く。それに彼も頷き返して、演奏を始めようと僕に目で合図を送った。
僕がギターを構えて前を向くと、いつものようにミヅキの乾いたフォーカウントが聞こえ、僕のアルペジオリフから曲が始まる。そしてドラムとベースが入る瞬間、そこに今まではなかったメロディが加わった。僕のアルペジオに寄り添うような優しいフレーズで、残響が強い遠鳴りの音が曲の持つ空間を三次元的に拡張していく。
彼女のギターは決して主張しすぎず、けれど一度聴けばなくてはならないと感じさせる不思議な音だった。曲が持つ浮遊感を増幅させつつ、ポップに寄り過ぎないキャッチ―さを保っている。身体の奥にじんわりと浸透するような心地良さがあり、曲に乗ってゆらゆらと揺らめく奔放さが面白い。
ちらりと彼女の方を見ると、サイファーの中にいたときのように、妙な乗り方で身体を揺らしていた。それを見て彼女の音に納得する。彼女の中には、彼女なりのリズムがあるのだ。しかしそれはあくまで僕らの音の上に乗ったリズムで、曲から外れることはない。ミヅキの正確無比なリズムと、彼女の自由で流動的なリズム、対象的な二つのリズムが見事に合致し、曲の不思議な空気感を作り出している。
彼女のギターは海に浮かぶクラゲのようだ。大きな海の流れの中で、ぽつんと浮かんで気ままにそこかしこへと移動していく。透明で、不確定で、曖昧であるのに、ゆったりと揺れめくその姿はどこか僕たちを安心させる。
サビの最後のフレーズを歌い終え、ギターソロが入る間奏の部分にさしかかる。それと同時に彼女は足元のエフェクターを素早く踏み変え、ギターの音色を大きく変化させる。
その音は、まさに轟音と呼ぶにふさわしい叫びだった。倍音に倍音が重なり、壁のような音が僕らの上に重くのしかかってきた。彼女は今までとは別人のように激しく弦をかき鳴らし、唇を強く噛み締めながら、自分のつま先を見つめている。
物理的に身体を震わせるほどの激しい轟音でありながら、彼女の持つ独特のリズムと浮遊感は携えたままで、その音は不快どころかとても優しく美しい。僕らを包み込んでいくそのノスタルジックなメロディは、曲の色を鮮やかに強調していく。
まさに『夕陽の沈む音』だと思った。これは彼女が聴いた夕陽の沈む音だ。轟音の中に、僕らは遠くの夕陽を見つける。
彼女のソロはほんの数十秒のはずなのに、まるで長編小説を読んでいるようなゆったりとした時間の経過を感じた。そして最後の一音が伸びていく瞬間、達成感に近い感覚を覚える。最後のサビを歌い始めると、そこはもう僕らが思い描いた夕陽の風景が広がっていた。
同じ景色を、同じ時間を、同じ音を共有することは、こんなにも気持ちいいのか。
「決まりだな」
演奏を終え、一番彼女の加入に懐疑的だったミヅキが言った。僕はもうこのメンバー以外は考えられなかった。
こうしてようやく、僕らのバンドが結成した。
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