2-8

 ミヅキが入ってから、僕らもようやくバンドらしい形になってきた。三人でスタジオに籠りきりになって夜遅くまで練習し、三人の演奏もどんどんまとまってきて、もう十分にライブに足る演奏になった。

 しかし一緒に演奏をすればするほど、僕は自分の力不足を身に染みて感じる。実際ミヅキはいつも僕の演奏に怒りを顕わにしていて、演奏している時間より説教を受けている時間の方が長いときもあるほどだった。ただ彼の指摘は納得することばかりで、必死に言われたことをできるだけ理解し、意識しながら演奏に臨んだ。

 彼は僕たちにだけでなく、自分に対してもそのストイックさを発揮していた。思った通りの演奏ができないときは、まるで自分を責めるみたいに顔をはたき、呪文のようにああでもないこうでもないと演奏に関するあれこれをぶつぶつと繰り返した。そうなった彼はもう何を言っても聞こえないほど集中し、すごいときはそのまま何時間も通してドラムを叩き続けた。

 演奏技術の面でも、彼にはとても驚かされた。初めて聴いたときも上手いとは思ったが、合わせてみると改めてその凄さに気付く。針のように鋭く繊細でありながら、迫力や力強さを兼ね備えていて、その緩急のついたドラムは喜怒哀楽の激しい彼の性格が存分に発揮されているようだった。リズムが完璧であるからこそできるダイナミクスを駆使した音は、華があり聴く人の身体に直接響きつつも、他の音を決して邪魔しなかった。

 彼のドラムは燃え盛る炎だ。色や形を自在に変えながら、その熱と光で音を満たす。僕らの目が届かないところまで明るく照らし、正しい方向へと導いてくれるような安心感があった。

 キョウも最初のうちは彼に色々と指摘を受けていたが、やはりベースの演奏技術や音楽的センスが高いからか、自分で素早く的確な修正を行って、彼の求める演奏に順応していった。そして納得がいかないときはすかさず意見を述べ、二人はそこから議論に発展することが多かった。それは傍から見ると喧嘩をしているようにも見えたが、彼らは真剣に音楽と向き合っているだけで、話が終わると何事もなかったかのように元の二人に戻っている。そんな二人の関係性が何だか不思議で、少し羨ましかった。

 ライブまで一か月を切ったところで、やっと胸を張って演奏できるレベルに達することができた。リードギターがいないため、どうしてもリフやソロなどに限界があったが、曲としては十分に成り立っている。最悪でも三人でライブに臨むことができそうだ。

「まあ肝心のあと一曲がまだ完成してないけどな」

 ミヅキはわざとらしく大きな声で言う。

「たぶん一週間あれば何とか形にはできるから、あと三週間くらいは曲ができなくても大丈夫だと思うよ」

 キョウは冷静な分析で慰めようとしてくれるが、あんまりフォローになっていない。

「がんばります……」

 曲作りは遅々として進んでおらず、未だに二曲しかレパートリーのないままだった。一応デモを何曲か作ってはみたのだが、二人の納得を得られるものは作れていない。何かを掴みかけている気がするのだけれど、なかなかそこに手が届かない。もしかしたらそれは幻影か蜃気楼で、まだまだずっと遠いところにいるのかもしれないし、がむしゃらにもがいてみても状況は一向に進展していなかった。

「そういえばさ、今日ここに来る途中に変な奴を見かけたよ」

 ちょうど練習がひと段落したので、休憩がてら雑談に入る。ミヅキはしみじみと記憶を掘り返しながら、通りすがった女の子の話を始めた。

「いやさ、いつも通り道の端にサイファーの集団がいてよ。何となくそっちに目を向けたら、一人だけ明らかに変な動きをしてる奴がいたんだよ。ちょうど俺の肩くらいの身長で、前髪を鼻の辺りまで伸ばした女だった。ふらふらしてリズムに乗ってねえ奴だなと思って近づいてみたらさ、そいつ、身体はリズムに乗ってないのに、リリックが完璧にハマってるんだよ。言葉数は少ないし、ゆっくり落ち着いたフロウなんだけど、韻も単語のチョイスもすごくて、素人目に見てもやばい奴だったよ」

 変な動きの女の子のラッパーなら、僕も前に見たことがあった気がする。音楽は見かけによらないということか。僕もその子みたいに、道行く人を驚かせて感動させるような歌を歌えるようになれたらいいと思う。

「おい、もしかしてそれってこいつのことか?」

「あ、サナ子さん。って、ちょっと何やってるんですか!?」

 外から帰ってきたサナ子さんは、何故か知らない女の子を連れていた。しかもその子の首根っこを掴んだ状態で、まるで狩りで捕まえた獲物みたいな持ち方をしている。当の女の子は完全に戦意を失っていて、うなだれるように力なく顔を下げ、手足を投げ出したまま、サナ子さんに身体を預けていた。

「あの、その子ちゃんと生きてますよね……?」

 ぴくりともしない女の子の様子を見て心配になり、額に噴く冷や汗を拭いながらおずおずと尋ねる。僕のところからだと、彼女は息をしていないように見えた。重力に負けて不安定に揺れる手足と、時折長い前髪の隙間から覗く光を失った眼球が妙にリアルだ。

「うーん、たぶん?」

 ほれ、と言って、彼女は手に持っていた女の子を雑に放り出す。その身体は投げ出された勢いのまま床に倒れ、固まったまま動く気配がない。僕はゆっくりと近づいて肩を叩いてみるけれど、実際に触れると指先に無機質な硬さが伝わってきた。

「すみません、大丈夫ですか……?」

 僕は軽く身体を揺すりながら、何度か声をかけてみる。すると、一瞬ビクンと痙攣のような反応があって、全身を縛っていた緊張が一気にほどけ、身体に生気が戻っていく。水から上がってきた魚のように大きく息を吸って必死に酸素を取り込みながら、彼女は文字通り息を吹き返す。

「はっ! すっかり死んだふりをしてしまっていました! ご心配をおかけしました。ところでここはどこでしょう……」

 彼女は素っ頓狂な声とともに身体を起こし、僕らの顔を一人ずつまじまじと見つめる。そして驚いたようにあたふたし始めたかと思うと、突然勢いよく立ち上がった。

「申し遅れました! 私、フジモトアマネと申します。えーっと、趣味は読書、特技は死んだふりです! どうぞよろしくお願いいたします!」

 背筋を伸ばして足を揃え、何故か手を額に当てて敬礼をしている。僕らは全員口を開けてぽかんとしていた。わかったのは彼女の名前と、特技の死んだふりが途轍もなく上手いことだけで、今のこの状況についてはまるで何もわからない。

「サナ子さん、この子は誰です? 一体どこから連れてきたんですか?」

 ここは流石と言うべきか、キョウがいち早く正気を取り戻し、冷静にサナ子さんへ質問を投げかける。

「いやな、さっきすぐそこを歩いてたら、向かいのビルの陰からずっとスタジオの入り口を見てたもんだから、何か用事があるのかと思って連れてきたわけ。だから誰だかはあたしも知らん」

 何とも適当な、と呆れてしまうが、サナ子さんだから仕方ない。とりあえず女の子の方にも話を聞いてみようと、もう一度彼女に視線を戻す。確かにさっきミヅキが言っていたサイファーの女の子のようで、僕も何となく見覚えがあった。いや、それ以外でもどこかで……。

「あ」

 僕はようやく彼女のことを思い出す。どうして今の今まで気付かなかったのだろう。いや、まあそれどころではなかったから仕方ないが。

「バンドエイドの子、だよね?」

 その子は確かに、この間教室でバンドエイドを求めに来た子だった。こんなにも前髪が特徴的な子だから、見間違うはずもない。シモキタの街でも度々見かけていたから、あのときも何となく見覚えがあったのか……。

「なんだ、知り合いなのかい?」

「うん、たぶん同じ学校の一年生。こないだ学校で話しかけられたんだ」

 しかしこんなところまでわざわざ何をしに来たのだろう。まさかバンドエイドが欲しいわけでもあるまい。彼女はもじもじとしたまま黙ってしまって、その真意が掴めなかった。

「なら話が早い。君、その指を見るにギタリストだよね?」

 キョウは唐突にそんなことを言って、彼女の左手を指さす。少し遠いのでよくは見えなかったが、確かに右手に比べて左手だけ指先の皮が厚いように見える。これは弦を抑えるギタリストの証だ。ベーシストなら指で弦を弾くこともあるから、右手の指先も皮が厚くなっている。左手だけということは、ギタリストであることが推測できる。

「ちょうどいい。僕らはギタリストを探しているんだ。よかったら僕らのバンドに入ってはくれないかい?」

「え?」

 あまりに一人でぐんぐんと話を進めていくキョウに、僕は全然ついていけなかった。あまりに話が飛躍しすぎている。もし彼女がギタリストだったとしても、いきなりバンドに入ってくれというのは急すぎる。彼女の音楽性も、人となりさえもわかっていないのに、開口一番に勧誘というのも変な話だ。

「おい、ちょっと待てよ」

 これにはミヅキも黙っていられなかったようで、キョウに文句を言おうと口を開く。しかしそんな彼をキョウは無言で制止し、一歩彼女の前に出て話を続けた。

「何も突飛な話ではないさ。彼女はそのつもりでここに来たんだよ。おそらく今日だけじゃなく、今までにも何度もね」

 彼の探偵口調の推理を前に、彼女は黙って首を縦に振った。確かに、妙に街で見かける機会が多かった気がする。それに学校で会ったあのときも、今思えば明らかにおかしかった。

「それにね、これは僕の勘だけど、彼女はたぶんすごくいいギターを弾くよ」

 何だか少し、キョウは楽しそうだった。もちろん僕もギタリストが入ってくれるなら嬉しい。彼女が入ってくれるというなら、少なくとも一度合わせてみるのも悪くないだろう。

「こんななよっとした女にギターなんて弾けるんかね。ふらふら韻踏んでラップしてる方が合ってるんじゃねえの?」

 ミヅキはどうやら好意的ではないらしく、彼女に懐疑的な視線を向ける。

「弾かせてください」

 ずっと黙っていた彼女が、静かに、けれど力強く呟く。

「最初は通りすがりにイツさんが歌っているのを聴いて、一緒に演奏したいと思ったんです。制服を見て学校の先輩だってわかって、同じ学校に同じ音楽を好きな人がいるのがとても嬉しかった。それで、何度も声をかけようとしたんですけど、いつの間にかサイファーの人たちの輪から出れなくなったり、いざ目の前にしてみたら緊張して上手く話せなくて……。今日も勇気が出ずに入り口の前で躊躇っていたんです」

 彼女の言葉が徐々に熱を帯びる。身体は小刻みに震えていて、彼女の必死さが伝わってきた。

「私はいつもそうで。大事なときに一歩が踏み出せないんです。だから結局ギターを始めても一人で弾くだけでした。でも必死に音楽と向き合うイツさんを見て、私も変わりたいと思いました。変わらなくちゃいけない、と。だからその一歩を踏み出すために、私も仲間に入れてもらえませんか」

 僕も、キョウも、ミヅキも、目を合わせて静かに頷く。

「やろう」

 目を真っ赤にして俯く彼女に、僕は手を差し出す。

 僕の勘も、彼女のギターはいい音がすると、確信めいた声で告げていた。

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