2-6

 その夜、僕とキョウとサナ子さんの三人は、マスターに連れられてライブハウス『軒下』に来ていた。ここはシモキタの全盛期を支えたという有名な箱で、キャパシティは百五十人ほどと比較的小さく、その狭さが逆にロックバンドにはうってつけだ。歴史に裏付けられた伝統ある箱として、シモキタにおける若手バンドの登竜門的な役割を果たしている。

 黒を基調としたホールと暗い照明、フロアに充満するタバコの臭いが何とも味わい深い雰囲気を醸し出していた。覇気のない店員からチケットを購入し、僕たちは狭い通路を奥へと進む。

 今日ここで行われるライブに、どうやら『バンド破り』が出演するらしい。僕らが着いたときにはもうライブが始まっていて、中は満員の観客でごった返していた。

「次のバンドだね」

 このライブは勢いのある若手バンドを集めたライブハウス側が主催のライブで、出演リストを見ると、僕も名前を見かけたことのあるバンドがちらほらと載っていた。『バンド破り』がドラムを叩くのは、その中でも今日のトリを務める『The Radius』というヴィジュアル系ロックバンドで、人気・知名度ともに今注目されているバンドなのだと言う。

 実際、フロアにはそのバンド名が書かれたグッズを持った人が多く、観客の半分以上が彼ら目当てに来ているようだった。

「始まるぞ」

 しばらくして、大きな歓声に包まれながら、ラディウスのメンバーたちが入場してくる。ボーカル、ギター、ベース、キーボード、ドラムの五人編成のバンドだ。前に立つ四人はヴィジュアル系バンドらしく派手なコスチュームと濃いメイクで華々しく登場したが、ドラマーだけはTシャツに短パン、足元はサンダルというコンビニに行くような恰好でのそのそと歩いて出てきた。

 『バンド破り』なんて言うから、てっきり恐ろしい巨漢や怖そうなお兄さんをイメージしていたが、実際はなんてことはない普通の少年だった。歳は僕と同じくらいだろうか。つり目にはっきりとした顔立ちのイケメンで、針のように尖った髪が印象的だ。ライブが始まったというのに何だか眠たげな顔で、セッティングをしながら大きなあくびをしていた。

「ラディウスです、どうぞよろしく」

 ボーカルの言葉をきっかけにして演奏が始まる。確かに評判に違わぬいいバンドだった。曲はヘヴィながらも、ボーカルの柔らかい声と切なさの残るメロディラインがいいバランスを保っている。演奏技術も高く、MCを含めたバンドの空気感がいい意味でビジュアル系らしく、雰囲気作りも上手いバンドだと感じた。

 『バンド破り』の彼は、出てきたときにはやる気のない態度に見えたが、演奏が始まると別人のように鮮やかにドラムを叩き出した。リズムやテンポはメトロノーム並みに正確で、それでいて機械的にならない感情の乗った演奏だった。助っ人とは思えないほどバンドに馴染み、パワフルながらもボーカルの邪魔をしない繊細なバランスによって、曲の迫力を何倍にも増幅させる。

「何かが、違う」

 そんな素晴らしい演奏を前にしてもなお、そう思ってしまうのは何故だろう。漠然とした違和感が胸やけのように身体に張り付いていた。ステージから真っ直ぐ飛んできた音が、身体をすり抜けて素通りする。空気を伝わる振動がまるで他人に感じられて、テレビの向こう側の音を聴いているような奇妙な距離感があった。

 違和感が拭えぬままラディウスの演奏は終わり、割れんばかりの拍手に惜しまれながら、彼らはステージ袖にはけていく。

 メンバーが笑顔で観客に手を振る中、一番後ろを歩く『バンド破り』だけが、下を向いてこちらには見向きもしない。彼は拳を強く握り、身体を微かに震わせていた。唇を噛み締めるその顔は、悔しさと怒りが入り混じったような凄まじい表情をしていた。

「たぶん今、僕は君と同じ感想を抱いているよ。そしてきっとそれを一番強く感じているのは彼だ」

 キョウもラディウスの演奏に何か感じるところがあったようだった。しかし僕らで議論していても仕方ないので、話を通してくれているというマスターの厚意に甘え、楽屋を訪ねて彼と直接話をしてみることにした。

 狭い通路を抜け、ステージ裏にある楽屋の前に着くと、何やら中から口論をする声が聞こえてきた。

「お前らはリズムに臆病すぎるんだよ! リズムは敵じゃねえんだよ。つまんねえ演奏しやがって! ギターのお前なんてミスタッチ一個で一曲全部グダグダになるし、ボーカルはピッチ意識しすぎてアタックが遅いんだよ。ベースとキーボードは普通だ、普通!」

 恐る恐る中を覗くと、メイクも落としていないラディウスのメンバーたちが正座をして横一列に並んでいた。そしてその前には仁王立ちする『バンド破り』が激しい口調で彼らを責め立てている。

「あ、ああ。僕らもまだまだだってことは十分承知しているつもりさ。でもだからこそ、これからがんばっていこうと……」

 ボーカルが必死になだめようとしているが、そんな言葉は彼の耳にも入っていない。次から次へと降ってくる槍の雨のような暴言に晒され、部屋の中は暗く沈んだ空気に満ちていく。

「大体、お前らはただ音を合わせてるだけなんだよ。音の先に何が見たいのか、それがはっきりしない奴らとは、到底バンドなんて無理」

 彼も彼なりに音楽に対して真摯であることはわかったが、これでは誰かと音楽をやるなんてできるはずもない。言いたいことがあるにしても、もう少しいい言い方があるだろう。

「そもそも何だよ、ラディウスって。『半径』なんて中途半端な名前付けやがって」

 最後に完全なただの悪口を吐き捨て、一切の興味を失ったように他のメンバーに背を向ける。それを見て、僕は正直この人とは一緒にバンドをやりたくないと思った。紹介してくれたマスターには申し訳ないが、ここは適当に断って他を当たろう。そう決めてマスターに声をかけようとしたところで、僕は隣にいたキョウがいなくなっていることに気付く。

「君、このバンドを辞めるなら、僕らのところに来る気はないかい?」

 いつの間にかキョウは立ち向かうようにして『バンド破り』に近づき、そんなことを口走っていた。

「あぁ?」

 当然向こうは意味がわからないといった様子で、威圧的な目をしてこちらを睨みつける。僕はそんな彼に思わず身じろぎしてしまうが、キョウは流石と言うべきか全く動じておらず、頓珍漢に自己紹介を始める。

「先に名乗るべきだったね。僕はキョウ。あっちはバンドのリーダーでボーカルのイツと、その隣にいるのがサナ子さんだ。僕らは今バンドメンバーを探していてね。いいドラマーがいるからと言われてやって来たんだ」

 こんな突然バンドに入ってくれと頼んだら、またさっきのように怒るに決まっている。僕は嵐の前の静けさに目を瞑って身体を強張らせる。しかししばらく経っても沈黙が続いたままで、不思議に思いながら目を開けると、『バンド破り』が僕らの方を指さして固まったように動かなくなっていた。

「さ、さ、さ、サナ子さんじゃないですか!」

 そして長い沈黙を破ったのは彼の驚嘆の声だった。彼は先ほどまでとは別人のように腰を低くして、サナ子さんの前にすり寄ってくる。

「俺、ミヅキって言います。もうデロデロの頃からずっとサナ子さんの大ファンで……。まさかこんなところで会えるなんて! ここで死んでもいいくらいです。ああ、どうしよう。このスティックにサインしてもらえますか? 今、汗拭くんでちょっと待ってください」

 彼の変わりようと言ったらすごいもので、番犬のように吠え散らしていた彼はどこへやら、サナ子さんの前で慌てふためく姿はまさに飼い主に尻尾を振る子犬だった。

 サナ子さんはこの街ではかなりの有名人なので、ファンだと言う人も少なくないのだが、ここまで熱狂的な人に出会うのは初めてだった。ちなみに彼が言っていたデロデロというのは『Dead Low Deep Loneliness』の略で、彼女が前にギターボーカルを務めていたバンドのことだ。二年ほどしか活動していないにも関わらず、彼女のカリスマ性とメロディックパンクを独自解釈したその特徴的な音楽性によって、一時代を築いたとされる伝説のバンドである。

「サナ子さん新しいバンドを組んでたんですか? まさかサナ子さんとバンドが組める日が来ようとは……。俺なんかでよければぜひ叩かせていただきます!」

「いやあ、私はメンバーじゃないんだ」

 興奮して落ち着きがない彼だったが、サナ子さんのその言葉によって、一気に興味を失っていくのがわかった。まあそれはそうだろう。僕らはサナ子さんみたいなカリスマではない。キョウはともかくとして、僕はまだ楽器も始めたてのただの夢見がちな少年である。彼を惹きつける要素がない。

「悪いけど、また次に入るバンドがもう決まってるんだよ。今回はご縁がなかった、っつーことで。そんなことよりサナ子さん、次のライブはいつなんですか!」

 彼は僕らを追い払うようにひらひらと手を振って、再びキラキラした目でサナ子さんに話しかける。感情の変化が激しい人だ。僕はもうこれ以上食い下がる必要もないと思い、諦めて部屋を出ようとする。しかしキョウはまだ諦めていないようで、強い力で僕の手を握り引き留める。

「いいのかい? 僕らはサナ子さんのお墨付きだよ」

 キョウは挑発的な言葉を投げかける。僕はもう訳がわからず、なるようになれと思った。

「本当ですか、サナ子さん」

 声のトーンを明らかに下げ、真剣なまなざしで問う。

「ま、そういうこと」

サナ子さんはそんな彼をいなすように答え、楽しそうにニヤニヤと笑みを浮かべていた。

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