2-3

 ほとんどスタジオに籠り切っていたせいで、二週間ほどしかない冬休みは一瞬で過ぎ去っていった。年末年始の空気に触れることもないままいつの間にか新学期が始まり、教室にかかったカレンダーを見て、ようやく年が明けたのだということを実感する。

 練習しているとき以外、どこにいても何をしていても、まるで集中できなかった。いつも頭の中でキョウの曲が再生されている。メロディはおおよそ決まったのだが、肝心の歌詞が全く思いつかなかった。

 そもそも歌詞ってどんなことを書いたらいいんだろう。僕はどんなことを歌いたいんだろう。

 頭の中で揺れる思考。ふと湧き上がる激しい感情。昨日目にした何気ない風景。いつか見た懐かしい夢。この世界に訴えたいこと。この世界が問いかけること。自分自身に伝えたいこと。誰かに、届けたい言葉。

 それらはみんな雑然としていて、言語化しようと掬ってみると、すぐに泡のように消えてしまう。音に乗せて歌うと、何となく違う感じがして、どうしても上手くいかない。

 僕はどんな時も曲の題材になりそうなものを探して歩き、頭に浮かんだ言葉を忘れないようにノートにメモする。でもこの行動自体がずれている気がして、道の端でちまちまとペンを走らせる自分が滑稽に思えてくる。

 もうライブまで残り一か月ほどだというのに、目に見える進展が全くない。曲だけでなく、メンバー探しの方も難航していて、声をかけるどころか候補となる人さえ見つからなかった。それもキョウの審美眼が厳しいせいで、

「彼は君の歌には合わなそうだ」

 などと誘う前からNGを出すので、相手の都合以前の問題だった。というわけで未だ一人も勧誘することができぬまま、今日まで来てしまっていた。

「そもそもロックを好きな人自体がいないからなあ……」

 僕はぐるりと教室を見回してみる。この教室内、いや、せめてこの学校内に一人くらいは、ロックに興味のある人がいるのだろうか。まあたとえいたとしても、その人を探す術はない。サナ子さんの真似をして、校内放送をジャックして曲をかけてみればあるいは、なんてことを思いつくが、たぶんすぐにつまみ出されて終わるだけだろう。

「あ、あの!」

 そんな風に物思いに耽っていると、突然視界の端で何かがひょこひょこと動くのがちらついた。何かと思いそちらに目を向けると、どうやら知らない女の子が僕に声をかけてきたようだった。

「え、僕?」

 学校では一週間に一言くらいしかしゃべらず、友達どころか挨拶をする相手さえもいない僕に、向こうから話かけてくるなど何事だろう。しかも女の子なんて。

 うちの学校はブレザーの胸に校章が縫い付けられていて、それぞれ一年生が緑、二年生が青、三年生が赤という風に、学年ごとにその校章を囲む色が分けられている。彼女は胸元にある校章は周りが緑色なので、一つ下の一年生だというのがわかった。

 また教室も学年ごとにフロアが異なる。僕ら二年生がいるのは三階で、一年生は真下の二階に教室がまとめられている。つまり彼女はわざわざ上級生のフロアに乗り込んできて、僕を訪ねてきたということになる。

 改めて顔をまじまじと眺めてみるが、やはり知らない子だった。前髪で目がすっかり隠れていて、口を小さくすぼめてもじもじとしている。薄っすらとどこかで会ったような気もするのだけれど、名前までは出てこない。そもそも女の子の知り合いなんて学校にはいないし、校外に出てもサナ子さんくらいしか思いつかない。たぶん学校ですれ違ったりしたのが記憶に残っているだけだろう。

 彼女はあたふたした様子で口ごもりながら、顔を真っ赤に染めて目をいっぱいに見開き、必死に僕に何かを伝えようとしていた。力みきったその顔は風船みたいに膨れ上がっていて、今にもはち切れんばかりに筋肉という筋肉がぴくぴくと痙攣している。

「バ、バ、バンド……」

「バンド?」

 僕は彼女の発した単語につい身体が反応してしまう。確かに今、彼女は「バンド」と言った。もしかして僕がバンドをやっているのを知っているのだろうか。学校には持ってきていないが、街では普通にギターを背負っているので、どこかで見られた可能性はある。

 ――この子はバンドに興味があるんじゃないのか? そんな淡い期待が脳裏をよぎる。学校にも馴染めない冴えない僕のような人間を訪ねてくるなんて、よっぽどの理由があるとして考えられない。そして特出して語ることもない僕に唯一あるのがロックである。ということは、彼女がロック、あるいは音楽に対して興味を持っていると考えるのが妥当ではないか。

「あの、もしかして……」

 僕は考えれば考えるほど、その線で間違いないように感じられて、思い切って彼女にこちらから尋ねようと声をかける。しかしそんな僕の言葉を遮るようにして、彼女は容姿にそぐわぬ大きな声ではっきりと僕の妄想を打ち砕いた。

「バンド、エイドを持ってませんか!」

 緊張と興奮で強張っていた身体から、一気に力が抜けていく。勝手に期待していた自分が恥ずかしかった。この子は別に音楽に興味があるわけでもなければ、ロックを渇望しているわけでもなかった。僕じゃなくても誰でもよくて、バンドエイドを探していただけだった。

「ごめん、持ってないや」

 高校生の男がいちいち学校にバンドエイドを持ってきているわけもなく、静かに謝って視線を落とす。

どうして僕に聞いてきたのか。もっと他にもいたろうに。それもあんなに必死な顔で。そもそもなんでバンドエイドが必要だったなんだろう。保健室に行けばすぐもらえるはずだ。今すぐに使いたかったのか。そんなどうでもいい疑問が頭の中を埋め尽くしていく。

「すみませんでした……」

 彼女は何故か泣きそうな顔で頭を下げ、踵を返して足早に教室を去っていった。まるで僕を馬鹿にするみたいに、ちょうどいいタイミングで休みの終わりを告げるチャイムが鳴る。

 泣きたいのは僕の方だった。

授業に向かう教室のざわめきと、冷たく張り付く冬の空気と、絵具で塗りつぶしたみたいに真っ青な空。周りのすべてに腹が立つ。

 僕はそれらを追い出そうと、頭の中で必死にギターをかき鳴らしていた。

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