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初めてギターを弾いたあの日から、僕は毎日のようにシモキタに通った。最初は苦手だったこの街の雰囲気も慣れてしまえばなんて事はなく、今ではむしろシブヤよりも居心地の良さを感じるほどだった。
シブヤは明るく賑やかだが、いつも何となく殺伐としていて、他者への苛立ち、嫌悪、嘲り、妬みといった黒い感情がその陰で渦巻いている。一方のシモキタは誰もが他人に無関心で、自分が生きることだけに集中している。しかしだからこそ、本当に大切なものを守ることができる環境があった。
そういう街の空気感のおかげか、シモキタには他の街ではまず聴くことのできない音楽が数多く存在していた。一番驚いたのは、この街で一番人気のある音楽がロックだということだった。CDショップはロックしか置いていない店もあるくらいで、書店にはロック専門誌が何種類も置かれている。毎夜あちこちでライブが繰り広げられていて、年に数回は小さなロックフェスも開催されるらしい。
ロック以外にも、メタルやヒップホップ、ノイズといった敬遠されがちな音楽も盛んで、僕なんかはこれらの音楽をこの街に来て初めて聴いた。他にも演劇やコント、ファッションなんかもすごい熱量を持っている。何というか、この街独自の文化が存在している感じだ。
例えば最初に街に来たときに道端で歌を歌い合っていた人たちは、サイファーと言って、即興でラップをし合う集団らしい。他にも鉄のトゲが飛び出た服装をしている人がいたり、入れ墨を惜しげもなく露出して歩く人がいたりと、シブヤではまず見かけない個性的な人たちが多くいる印象だった。
逆にポップスやジャズ、クラシックなどの大衆に親しまれる音楽はほとんど見かけない。街の人々はより刺激的なカウンターカルチャーを求めていた。そういう人たちがこんなにもたくさんいることに、僕は感動すら覚えた。
学校が終わると家にも帰らずシモキタに来て、毎日のようにスタジオでギターを練習した。サナ子さんにもらったボロボロの教則本を見ながら練習していると、少しずつだができることが増えていく。最初はすぐに痛くなった弦を抑える左手の指先も、時間とともに皮膚が厚くカチカチになって、今ではスマホのタッチパネルが反応しなくなってしまうほどだった。練習すればするだけ上手くなるので、僕はしばしば時間を忘れて没頭し、そのままスタジオで朝を迎えることもあった。
歌は毎日風呂場で湯舟に浸かりながら練習した。そのせいでいつも長風呂になってしまい、風呂から上がる頃にはのぼせてふらふらになっていた。道を歩いていても気が付くと鼻歌を奏でていて、すれ違い様に好奇の目で顔を覗かれるのが少し恥ずかしかった。
また、たびたびサナ子さんたちに混じって、『Seek Your Rock.』の放送を手伝った。参加してわかったのは、彼女たちはいつも命がけであのラジオを流しているということだった。
「あんまり知られてないことだけどさ、ロックって今のこの国では禁止されてるんだよ」
この国には『ロックンロール禁止法』という法律が存在している。そのせいで、もしラジオを流しているのが見つかったら、ただごとでは済まないらしい。嘘か本当かわからないが、秘密警察が隠れて取り締まりを行っているのだとか。僕が家で兄のCDを聴いていたのも、本当はまずかったのだ。この街でロックが盛んなのは、弾圧から逃れてきた人たちが集まる秘密の街だからなのだと言う。
もうずいぶん昔、’00年代に入ってすぐのころに、この国のロックは全盛期を迎えていた。若者たちは誰もがロックに傾倒し、心酔しきっていた。ミュージシャンたちはカリスマ性を帯び、もはやそれは宗教と言っても過言ではなかったそうだ。
音楽としてはあまりにも行き過ぎていたのかもしれない。徐々に若者たちはその熱量を音楽以外のところ発散し始めた。ある人は社会に反抗するデモを行い、ある人はこの世界の在り方を主張した。またある人は部屋の中に引きこもり、ある人は自ら命を絶った。
対するロックの世界に生きる音楽家たちは、そんなファンを気にかけることもなく、ただ自分の音楽を求め続けた。そして孤独の底に行き着いた彼らは、酒に溺れ、薬に浸り、世界を憎みながら音を奏で続けた。
そうした事態を人々は恐れ、ロックそのものを排斥することに決めた。魔女狩りまがいのことが行われ、ロックを聴くことができる場所は急速に奪われていった。挙句の果てには、『聴く麻薬』とまで称され徹底的に禁止され、ロックという音楽が最低最悪なものだと世界に植え付けた。
最初は抵抗する人々も多くいたが、次第にその運動も熱を失った。そして人類の汚点と考えられ、二度とこんなことが起きないようにと、歴史の年表からロック自体が全くなかったことにされ、人々もいつの間にかその音楽を忘れていった。だから今ではもうその音楽を知る者などほとんどいないし、このシモキタだけが、ロックの残る街なのだった。
「でもロックが悪いわけがない。悪いのはいつもあたしたちだ。じいさんがよく言ってたよ。『ロックは人々を救う音楽なんだ』って。あたしはいつかその言葉を証明したいんだ」
サナ子さんのおじいさんは最盛期に活動したロックミュージシャンだったらしい。彼女はこの話をするときだけは、柄にもなく顔に陰が差していた。
「でもたまにあんたみたいに立ち止まって聴いてくれる奴もいて、そういう奴らのために、あたしはロックをやるんだ。そしていつかは、この道にいる全員をあたしたちの音楽に夢中にさせてやる」
彼女はどこまでもロックで、人間臭くて、途轍もなくかっこよかった。
そんな彼女の音は誰よりも激しく荒々しく、駆け抜けるような音の中で表情をころころと変える様子は実に彼女らしい。けれど常に人の心を惹きつける旋律的な美しさを携えていて、ふとすると儚さが見える瞬間があった。その音を響かせる彼女はどんな美女よりも美しく、太陽のように輝いて見えた。
サナ子さんは師匠らしく、僕に色んなことを教えてくれた。それは音楽のことだったり、この街のことだったり、延いては人生や生き様についても彼女から学ぶことは多かった。
「ロックって音楽はさ、誰だってできる音楽なんだ。アコギ一本で歌ったっていいし、何ならギターなんて持たず、鼻歌を歌うだけでもいい。自分がロックだと思ったら、それがそいつのロックなんだよ。でもだからこそ、自分ってものが如実に出ちまう。だから胸を張れる音楽をやるために、私たちは色んなことを知らなきゃいけないんだ」
僕はずっと、音楽で世界を知ることができるんだと思っていた。でもそれは逆に、世界を知らなきゃ音楽ができないってことを意味していた。世界を知って、音楽を知り、音楽を知って、世界を知る。これこそが僕が憧れたロックなのだった。
そうしたサナ子さんからの助言もあり、僕はギターの練習以外に、リョウスケさんからは楽器について、ケンさんからは音楽の理論についての講義を受けた。
二人とも知識や技術はもはや超人の域に達していて、その一つ一つに驚いていた。たとえば、あのハイジャックラジオ放送を可能にしているアンテナを作ったのはリョウスケさんで、楽器や音響機材の修理・改造はできないことがないと言っても過言ではなかった。
僕がこんな音を出したいという風に相談すると、すぐさま思った通りの音を形にしてくれる。僕はそんな彼の青く澄んだ曲の上でゆらゆらと浮かぶギターの音が好きだった。
ケンさんは見た目に反して元はクラシックピアノをやっていた人らしい。だから音楽的素養がとても高く、論理的な表現で細かな指摘をしてくれた。彼の演奏は抒情的で意志に富んだドラムを叩く。同時に彼のドラムはさながら海外の古典文学といった雰囲気で、理路整然とした言葉を持って人の心を描き出す。どこかノスタルジーを含んだ温かな音がした。
「まずはエレキギターの歴史からだな。どこまで遡るかというのは難しいが、手始めにギブソンとフェンダーの歴史から追っていくとするか……」
「楽典を蔑ろにする人は多い。しかしね、知っていて無視するのと知らずに無視するのとでは大きく違う。気狂いに気狂いの演技はできないからね。音楽に必要なのは冷静でいることだ。そしてそのために、楽典というものがある」
しかし残念ながら、二人ともお世辞にも教えるのが上手いとは言い難かった。自分の理解していることをそのままのレベルで言葉にするから、何もわからない僕はついていくのに必死だった。足りない部分を自分で調べて補いながら、僕は少しずつ彼らの知識を吸収していった。
また、学校の授業も以前よりはまともに聞くようになった。これまでは何となく聞き流していた授業も、ちゃんと聞いてみれば案外面白いことがわかった。とは言え、寝る間も惜しいほど音楽に没頭していたので、つい居眠りをしてしまうことも多かったが。
こうして僕は、知らないところへ知らないところへと、ちょっとずつ歩みを進めていく。僕のロックを探す旅。その先のどこかに兄さんがいることを信じて、僕は今日もギターを片手に歌を歌うのだった。
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