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ちょうど曲が終わったところで、放送がぶつりと切れ、耳には再び街の喧騒が戻ってくる。周囲の人々はやっと終わったかといった顔でため息を吐き、あるいは少し苛ついた様子でもう一度耳を塞ぎながら、止めていた歩みを進め始める。一瞬のうちにして街は雑多で濁った空気を取り戻し、何事もなかったかのように元のリズムを取り戻していく。
これはいわゆる電波ジャックで、どういう原理なのかわからないが、街を歩く人々のイヤホンやヘッドホンに、勝手に何の前触れもなく突然ラジオが流れ出す。その名も『Seek Your Rock.』。一週間に一度、朝のラッシュ時を狙って放送されるが、曜日や細かい時間はそのときによってまちまちだった。
いつもDJの勢いのいい曲振りで始まり、大抵は一曲流しきるかどうかの数分で放送は途切れてしまう。何かしらの理由で長くは続けられないらしい。タイトルの通り、流されるのはロックに分類される曲がほとんどで、どれも僕が聴いたことのないものばかりだった。
誰がやっているかもわからず、正体不明のそのラジオは、良くも悪くも街の話題となっていた。しかしロックミュージックに対する無理解と、未知の音楽に対する漠然とした嫌悪感からか、根も葉もないような噂ばかりが都市伝説として街に蔓延していた。
例えば、あれは現代の政治に対するプロパガンダだとか、怪しい宗教団体の宣伝行為だとか、曲を最後まで聴いた人は必ず不幸になるだとか、そういった類のものだ。みんな別に本気で信じているわけではなく、面白半分で日常会話のネタにしているだけだった。この叫ぶような音楽たちも、この街では街頭で流れる選挙演説よりも耳馴染みが悪く、嘲笑の的にしかならない雑音として消化されてしまっていた。
けれどこのラジオを聴いていると、ロックという音楽がまだ生きていることを実感できる。今もどこかで誰かがこの音を奏でていて、僕以外にもそれを求める人間がいる。そして音楽に縋る僕らのような人間にも、居場所を与えてくれるようにさえ感じられた。僕はこのラジオを聴くというほんの小さな抵抗によって、雑多な街に埋もれていく僕を僕たらしめていた。
だから週に一度のこの朝の数分間が、僕にとって至福の時だった。このラジオが流れ出したときの高揚感は、まるで心臓を直接鷲掴みされるように激しく、決まりきった日常から抜け出せない僕に手を差し出してくれるようだった。ただ一人で部屋に籠って音楽を聴いているのとは違う、実際に今起きているという現実感と、その音楽に自分も参加しているような当事者意識を持つことができた。
そんな最高の数分間はいつも本当に一瞬で終わってしまう。音が途切れると、街が、人が、日常が、たちまち僕らを覆っていく。上を見上げると、僕らを取り囲むようにそびえ立つビルの隙間から、真っ青な空が覗いていた。あそこへ行くためには、一体どれだけ羽ばたけばいいのだろう。僕は手を伸ばす勇気すらなく、すぐに灰色の地面に視線を戻す。
「わっ!」
そんな風にまるで周りが見えていなかった僕を叩き起こすかのように、突然誰かが僕を後ろから突き飛ばした。僕はそのまま道に倒れ、通りすがりの人の足にぶつかる。人々は僕を避けるようにして、僕の周りにはぽっかりと空間ができた。みんな迷惑そうに僕を一瞥して横を過ぎ去っていく。
「おっと、ごめんよ!」
一方、ぶつかってきた相手は僕なんかには見向きもせず、風船のように軽い言葉で謝りながら走り去っていった。その少女はふくらはぎの辺りまで伸びる真っ黒いロングコートと、短く切り揃えられた燃えるような赤髪を揺らして、人ゴミの中を泳ぐようにすり抜けていく。僕は突き飛ばされたことも忘れて、思わずその後ろ姿に見惚れていた。
どこにも行けない僕は、ああやって自分の足でどこまでも走っていけてしまう人に憧れる。きっと僕よりも色んな場所を知っていて、色んなものを見てきたのだろう。僕はこの街の中でさえほんの一部しか知らないし、知っている景色しか見ようとしない。きっと僕はロックミュージックとはかけ離れていて、だからその音を求めている。
少女の姿が見えなくなって、ようやく意識が現実に戻ってきた。すると、ちょうど少女とぶつかった辺りのところに、小さな紙が落ちているのに気付く。おそらくあの少女が落としていったものだろう。僕は鞄からこぼれ落ちた荷物を拾うついでに、その紙を拾って立ち上がる。どうやらそれは名刺のようで、表には大きく名前が書かれていた。
「サナ子」
それが彼女の名前らしい。何だかあの一瞬の印象からすると可愛らしすぎるけれど、口に出すと不思議と馴染む気がした。語感がいいからだろうか。何だか聞いたことのある名前にも思える。
「『Seek Your Rock. 【DJ】』?」
名前や住所、電話番号などの連絡先とともに書かれたその文字列に、僕は思わず目を疑った。しかし目を擦ってよく見直してみても、確かにそう書かれていた。
一瞬声を聞いただけだったが、思い返してみると、彼女の声はあのDJに似ていたような気もする。そもそも冗談でこんな名刺を作って持ち歩くだろうか? ほとんどの人があのラジオを深く気にかけていないのだから、そんなことをしても意味がない。
本物、なのだろうか。
自分と兄以外でロックに興味のある人に出会ったことがないので、上手く頭の整理ができなかった。会ってみたい。でも会ってどうする? 音楽の話をして、ラジオのことを聞いて。でも突然押しかけて取り合ってくれるのだろうか。ファンだと言ったら無下にはしない? この名刺を返しに行くという体裁をとるのはどうか。いや、名刺だけ返すのは明らかに変だ。そもそも今行っているかどうかもわからない。それより急がなければ、学校に遅刻してしまう。でもそれじゃあいつもと同じじゃないか。何も変わらないまま。じゃあ、僕は変わりたいのか? 案外このままがちょうどいいんじゃないか?
「僕はどこに行きたいんだ」
わからない。わからないけれど、考えなければいけない。たとえ答えが見つからなかったとしても、考え続けなくてはいけない。
名刺に書かれた『Seek Your Rock.』の文字が目に入る。これはきっと啓示なんだ。どこかの誰かが与えてくれたきっかけなんだ。僕が求める、僕のロックミュージックを探すための。
僕は一歩、足を前に踏み出す。弱い自分を後押しするために、僕の一番好きな曲をかける。そうして、曲に埋もれる小さな声だけど、はっきりと言葉にしてみる。
「さよなら」
この言葉は、誰のためでもない。自分のための言葉だった。
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