09 シロアリ



 先程とまったく変わらぬ表情と、声音で。

 けれど吐き出された台詞と口調は様変わりしていた。


 あまりの変化に、対面にいる少女と傍に立っている母親どころか、付近にいる人達ですら声を失った。


「正しくねぇなぁ。それは正しくねぇわ。ただの我がままだ。ほぉらおチビちゃん、よく見ててごらん」

「あっ」


 少女は息をのむ。

 女性は、パックから取り出した一つの卵を、透明なビニール袋にいれて手の中で握りつぶして見せた。


「ヒヨコなんて入ってねぇだろ? おかしいだろ? こんっな黄身と白身のぐちゃぐちゃの塊が、ぴぃぴぃ煩いヒヨコちゃんになるってまだ言うつもりかよ」

「ぅっ……。でも、温めれば中から出てくるって」


 涙目になった少女はそれでも反論するが、女性はその言葉を一笑して切り捨てた。


「最近の児童図書は駄目だな。何でもかんでもとりあえず綺麗な包装紙で飴玉くるんどきゃ良いと思ってやがる。温めたって中身が腐るだけだ。可愛いヒヨコちゃんなんて生まれてきやしねぇよ。……だからって、ずっと温めてればヒヨコは孵る? 愛情が足りないから孵らない? ……なぁんて思うなよ? 最初っから最後まで間違いだ。よぉく見て見ろ? 誰か一人でもお前の味方になってくれる奴はいるか? 周りの人間はお前をあざ笑っているぞ? 代弁してやろうか? 馬鹿な子だな。我が儘な子だな……ってさ」

「ーーっ!」


 たたみかけるように罵詈雑言をぶつけられた少女は言葉を詰まらせて涙目になる。

 けれど感情のままに泣きわめいたりはしない。

 それは、恰好悪いことだからと、直前に女性が言っていたからだ。


 決壊寸前のダムをかかえた少女の様子を見て、母親が言葉を発するが。


「そ、そんな言い方しなくても……」

「母親、テメェも駄目だ。甘やかす事が良いことだとでも思ってんのか? ただ優しくする事だけが愛情だって? 馬鹿げてんな」


 続けざまにぶつけられた言葉に、その人は発するべき言葉を失ってしまったようだ。


「それにぃ、身なりをみれば分かんだよ。お前、火事で家から焼き出された口だな、それで引っ越して親戚だか知人だかの家の世話になってる。節約してるみてぇじゃねぇか、涙ぐましいねぇ。でもそんな事情は小さなおチビちゃんには理解できない、と」


 気が付けば、辺り一帯が静まり帰っていた。


 だが、みな思っているような事は似たような物だろう。

 ためらいなく少女にそんな罵詈雑言をぶつける女性の心境にも、公衆の面前で親子のプライバシーを暴露するモラルも信じられないといったような感じだ。


 けれど、そんな空気を意にも返さない女性は、見た目に不釣り合いな笑みを口元に刻みながら、割ってしまた袋の中の卵をみやる。


「あーあぁ、無駄遣いかよ。ま、しゃーねぇわな。馬鹿な親子が目障りだったんだ。シロアリの駆除だって、気ぃ遣わなきゃ家が食いつぶされちまう」


 果たして彼女が言うシロアリとは誰で、家の事は何であるのか。

 前者はともかく、後者を理解できたものなのいやしないだろう。


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