第29話 船旅

 商船は青い湖面を白く切り裂いていく。


 フェクトは舷牆に腰を預け、ぼろぼろの柄巻きを解いていた。船尾から吹く穏やかな風が、帆を緩やかに膨らませている。


「弱い人間はいらない。でも、誇り高い英雄はもっといらない。私の護衛に相応しいのは、どんな悪逆非道な手を使っても世界を守る人間です」


 ランカが正面に立っている。フェクトは剣に眼を落したまま、柄巻きの切れ端を湖に捨てた。


「俺はお前の護衛だ、ランカ。俺はお前を守る。『神』の遺産を守る。世界を守る。あの時言った言葉は変わらない」


「……かつては兄と慕った幼馴染を殺させた私を、守る価値はありますか。私は自分の身を守れないのでマルガント殿が必要です。ですが、マルガント殿は必ずしもそうではありません」


 また、柄巻きの切れ端を湖に捨てる。


「あの時言った言葉は変わらない」


「これからも、同じような事は幾度となく起こります」


「俺たちが選んだ道は、そういう道だ。でも、変わらない」


 ぼろぼろの柄巻きが解けた。新しい紐を取り付けて、柄に力強く巻き付ける。ランカが柄を覗き込んできた。


「何か書いてありますね。『神』が登場する以前の古代文字のようですが」


「マルガント家の発祥がその時代だからだそうだ。マルガント家が持つ剣の柄には全部同じものが書いてある。読めるか? 俺はもう忘れた。字も古すぎて読めない」


「高潔」


 フェクトは短く笑い、紐から手を放して立ち上がった。


「フェクトだ。今日から俺の事はそう呼べ」


「……分かりました。フェクト」


 ランカの表情は変わらない。暗く厳しい瞳はしかとフェクトを見据えている。その短くなった髪の毛は、手入れをほとんど必要としないだろう。


「男の名前を呼ぶなんて、初めて会った頃なら顔真っ赤だぜ」


「あの頃とは違います」


「俺も違う」


 言って、フェクトは剣を後方に投げ捨てた。柄に取り付けた紐をたなびかせ、剣は高々と飛んでいく。


「良いのですか。大事なものでしょう?」


「もう必要ない」


 水音が弾けた。


「じゃあな。フェクト・マルガント」

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

消神が落胤 @heyheyhey

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ