第28話 幼馴染の最期
湖が朝日に煌いていた。
澄んだ空気にも対岸が見えない。どこまで続く湖面を横目に、フェクトとランカは湖の淵を歩いていく。
「馬を置いてきて良かったのですか」
「馬は邪魔だ。ここを渡って外国に出る。この湖は広大で四国に跨っててな、水運交易で莫大な利益を上げてる。それで沿岸部はかなり力を持ち、事実上の独立国だ。最低でもこの国以外の三国の情報が手に入るのは保証されてるし、行方を晦ますのにもうってつけだ」
ランカによれば、『神』の遺産は世界に点々と存在していると言う。国内にあるのは『転移』と『地雷』の二つだけで、他の『神』の遺産がどこにあるかは不明のままだ。
『神』の遺産の在処が突き止める。それが最初の目的だ。
ふと、左手の雑木林から人影が現れた。
「やっぱりこっちでしたか、兄貴」
ブルパだった。その躰に傷は見当たらない。僅かに、フェクトの警戒心が緩くなった。
瞬間、フェクトの首筋に冷たいものが触れた。
「……俺に刃物を向ける理由を教えてくれ、ランカ」
「敵意はありません。それに私では、マルガント殿にかすり傷をつけるのがやっとでしょう」
ブルパが大股で近づいてくる。ランカの行動に微塵も動揺していない。助ける気もさらさらなさそうだ。
「これは、どういう事だ?」
「俺たちは幼馴染ですよ、兄貴。ランカと再会してからずっと、俺はランカを守ろうとしてました。王都全域に騒ぎを広げたのは俺です。ランカを逃がす為だ。あの超常能力についても知ってる」
未だに状況が掴めない。何故、ブルパがランカと手を組んでいる。
「ランカ、あれを教えたのか」
「あり得ません。兄さんはあの旅を尾行して、トロネット山消滅を目撃したそうです。私の為なら何でもすると言ったので、動くに任せていました」
悪くない。ブルパがランカを一番に思っているなら、ブルパは敵ではないという事だ。
「なら三人で行こう。ブルパは信用できる。二人より三人の方が良い」
「大切な人にも言うな、どこから漏れるか分からないから。そう言ったのはマルガント殿です。護衛は一人で良い。『神』の遺産を知るのは最低限の二人だけで良いんです」
ようやく、先行きが見えてきた。
「……望みは?」
「二人で殺し合ってください」
刃物が下ろされた。フェクトは左手で首を一撫でし、右手を中途半端に上げる。
「右肩治ってないんだけど」
「なら死んでください。弱い護衛はいりません」
ランカの気配が離れていく。ブルパが腰に下げた剣を抜いた。
「待てよ、ブルパ。俺は戦う必要があるとは思わない。仲間が多すぎるのは問題だけど、三人程度ならやっていける」
具合を確かめるように、ブルパが剣を振るった。
「俺が無理です。兄貴、いや、フェクト。あんたはランカを殺そうとした。今違うのかもしれねえ。だけどよ、一度は殺そうとした。あんたとはやってけねえな」
「……そうかい」
フェクトは左手で短剣を抜いた。視界は急速に狭まり、ブルパの姿が浮かび上がっていく。
駆けた。
フェクトはランカに向かっていく。一瞬でランカの背後に回り、その首に短剣を当てた。
「止めろ!」
ブルパが叫ぶ。ランカは全く抵抗しない。フェクトは視線でブルパを牽制した。
「ランカを大切に思うなら、分かるな?」
ブルパの顔の筋肉という筋肉が、ぴくぴくと痙攣した。
「……あんたが、ランカを殺せるとでも!?」
「俺はお前ほどランカを必要としてない。俺は『神』の遺産の為ならなんでもする。選べよ、ブルパ。ランカが死んだ後に殺されるか、ランカを助ける為に自殺するか」
ブルパの手が震えている。手にした剣まで揺らし、その切っ先は少しづつ、自らの喉に向かっていく。
「それは違います」
ランカが、至極冷静に言った。フェクトの手を押し返し、拘束からあっさり抜け出す。
「二人が、殺し合うのです」
ブルパを注視したまま、フェクトは口を開いた。
「今のが最も確実な方法だ」
「血で血を洗う、それ以外は認めません」
分かっていた。
ランカがこの場を用意した意図は、初めから分かっていた。戦いに勝つ事に意味があるのではない。ブルパを殺す事に意味があるのだ。
「……殺し合うか、ブルパ」
フェクトは前に出た。瞬間、走った。
ブルパの腰が低くなる。その手が下段に動いていく。胴を両断する切り上げ。刃紋が朝日に煌いている。ブルパの呼気が吐き出される。
頭上に突風が吹いた。
地に伏して回避したフェクトは、両足に力を入れて飛び上がった。ブルパの喉笛に近づいていく。視界の端でブルパの脚が反応を見せる。
蹴られた。躰が浮き上がる。だが右腕で防いだ。ブルパが一回転して雄叫びを上げる。その両腕の筋肉が膨れ上がった。力任せの横薙ぎが繰り出される。
フェクトは、全身の力を抜いた。躰が素直に倒れていく。
暴風に全身を嬲られた。鼻先に微痛。フェクトは短剣を投擲する。同時に、背中が地面に触れた。ブルパの肩に短剣が突き刺さる。
フェクトは懐に右手を突っ込んだ。投擲剣を数本に握り締める。飛び起きながら数本投擲する。ブルパは構わず、全力で剣を切り返した。
右眼、腹、脚、投擲剣が的中する。ブルパの動きは止まらない。フェクトは腰に下げた柄巻きがぼろぼろの剣を抜き様に振り抜いた。
ブルパの剣の軌道。そこに自分の剣を沿わせる。互いの剣が接触する。小さな金属音が鳴った。フェクトの剣はブルパの剣を逸らしつつ、ブルパの首に迫っていく。切っ先がブルパの喉笛に食い込んでいく。
フェクトは、動かなくなったブルパを見下ろした。
首から止めどなく溢れていた血も、今は緩やかに血溜まりを広げている。血臭は重く漂って、乾いた返り血だけが風に飛んでいく。
「右肩は治っていたんですね」
背後から、ランカの冷徹な声が響いた。
「……ブルパだけが見抜けた」
フェクトは湖に歩を進める。落ち着いた足音が追ってきた。
「……私を、酷いと思いますか」
早朝の水は痛かった。爪先から膝まであっという間に冷え切り、火照った躰を冷ましていく。
「いや、初めて頼もしいと思ったよ」
フェクトは仰向けに倒れた。湖に全身を包まれて、染み付いた血が流れ出す。
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