第27話 決着と旅立ち

 大貴族の例に漏れず、兄弟が大勢いた。兄だけでも十人以上だ。


 何か問題が起こった時、兄たちが解決した。自分は何もしなかった。勿論、自分も解決しようと思っていた。解決する能力もあった。しかし、まだ動く時期ではないと動かなかった。


 その判断は間違っていない。違うのは兄たちがそう思わなかった事だ。結局、自分が動く前には問題が解決していた。残ったのは何もしなかった自分だけだった。


 それが嫌で王都に出てきた。だが、その頃には性根が曲がっていた。


 納屋から血痕が点々と続いている。


 まるで案内でもするように、遠くの森に入っている。フリーティは森の中央にある太い木の傍で横たわっていた。大量の血を流してぴくりとも動かない。


「そのゴミは、お前より根性はあったぞ。お前はゴミ以下だったな」


 木漏れ陽に狂信者、トルエルクスがいた。血に濡れた剣を片手に冷笑を浮かべている。


「ランカは生きてるのか」


「奥の炭焼き小屋だ。そして、そこがお前の死に場所になる。お嬢様もずたぼろになったお前が死ぬ様を見たら、もう少し直接的に『神』の遺産を吐いてくれるだろう」


 フェクトは息を吐いた。剣の刀身を肩に乗せ、トルエルクスの全身を眺める。


「……俺は、何がしたかったんだろうなあ」


「死にたいんだろう。だからここに来た」


「今のは過去に言ったんだよ。ここにはランカを助けに来た。『神』の遺産はお前には渡さない。狂信者はここで殺す」 


 トルエルクスが笑う。消える。フェクトは振り返って斬撃を受け止めた。


「威勢を取り戻してくれて感謝する。踏み潰す楽しみが生まれた」


「もう潰れない」


 押し込まれる。相手は両腕、自分は片手。あの旅中で狂信者の右腕に負わせた傷は、もう治っているか。


 抗えない。フェクトは力を抜いて後退する。瞬間、前進した。剣を逸らしながら柄頭を狂信者の喉に叩き込む。


 狂信者が消えた。


 しゃがむ。反転しながら切り上げる。手応えはなかった。狂信者は構えたまま動いていない。


 首に突きが飛んできた。横に転がる。首に痛み。素早く態勢を立て直して狂信者を視界に収める。それから、走った。


 樹を駆け上がる。一足飛びに人の背丈の高さを超え、頑丈な枝に止まった。懐から投擲剣を数本取り出す。


「ほう、考えたな。確かにそこなら移動、『転移』だったか。『転移』はできない。それで、その玩具でどうやって俺を殺す?」


 投擲剣を放つ。簡単に避けられる。狂信者は顔に笑みを張り付けて近づいてきた。

「まさしく猿知恵だな」


「上手いな。オマケでもう一本!」


 頭と胴、二本同時に投擲する。二本とも楽々叩き落された。


「良いぞ、その調子で心の底から絶望するまで足掻け。その時が」


 不意に、狂信者が止まった。


 その顔を苦悶に歪め、振り払うように躰を動かし背後を見る。


「ゴミ相手には油断したなあ!」


 血塗れのフリーティが、狂信者の腰に剣を突き刺していた。フェクトは剣を構えて枝から飛び降りる。狂信者がフリーティを殺さんと剣を振り上げる。


 フェクトの剣が、狂信者を串刺しにした。


 死を確かめるまでもない。フェクトが剣から手を離すと、狂信者は頽れ、僅かに痙攣して微動だにしなくなった。


「生きてたのに気付いたよ、フリーティ。お陰で相打ちにならずに済んだ。止めは俺が刺して悪かったな」


 フリーティも死んでいた。


 狂信者の腰に差した剣をしっかり掴み、満足げに逝っている。


「……埋葬する時間はない。でも、狂信者の死体と一緒だ。良い気分だろ?」


 フェクトは森の奥にある炭焼き小屋に急いだ。


 間もなく見つかった。ランカは縄で縛られ、猿轡を噛まされて床に座っていた。その頬には一筋の切り傷が付けられている。


「狂信者は倒した。後は逃げるだけだ」


 ランカの強張った躰から力が抜けた。フェクトはその躰を縛る縄と猿轡を切り落とす。


「流石です……助かりました」


 ランカの手を引いて立ち上がらせる。それから、無言が続いた。


「どうしました? 逃げないのですか」


 いざ言うとなると気まずさがある。しかし、自分はランカを捨てた、『神』の遺産を捨てた。真実を告げなければ再出発はあり得ない。


「……あれは作戦じゃない。俺はあの時、本当に逃げたんだよ」


 ランカは黙っている。短く切った髪や衣服に付いた汚れを払いながら、静かにフェクトを見据えている。


「でも、戻ってきた。自分の愚かさがようやく分かったよ。俺は『神』の遺産を守る。それを持つお前を守る。『神』の遺産がもたらす混沌から、この世界を守る」


 ランカはフェクトを横切って、炭焼き小屋の入り口に移動した。


「マルガント殿は私を見捨てました。改心して戻ってきたとはいえ、一度は見捨てました。その人をどうやって信用するのですか」


 ランカは自分の身も守れない程弱い。だが、心は違う。ごめんなさいの言葉でほいほい着いてくるような女ではない。


「今ここで証明はできない。これからの行動で判断してくれとしか言いようがないな」


 ランカは一歩下がり、炭焼き小屋から出た。


「……ここでお別れですね」


「一人でどうする? 俺の力が必要な筈だ」


「マルガント殿である必要はありません」


「俺より強い奴はそういない」


「強さは他で補えます」


 説得は難しいか。当然だ。自分がランカの立場なら、話しもせずに殺して口封じを選ぶだろう。ランカは身を翻して立ち去ろうした。


「……逃げ回っても世界は守れないぞ」


 ランカの足が止まった。


「『神』の遺産は他にもある。あの二つしかないなんて、そんな甘いわけがない。世界を守りたいなら誰よりも先に、他の『神』の遺産全てを手に入れるしかない。傭兵を雇ってる暇があるのか? その傭兵はどこまで協力してくれる? その傭兵が敵に回らないと言い切れるのか。俺がいれば、問題は全部解決だ」


 ランカが踵を返して戻ってきた。


「信用できません」


「損得勘定の話をしてる。第一、俺が信用できないなら狂信者と同じく始末するしかない。でも、お前の実力じゃできない。『神』の遺産を使ってもな」 


 その時、馬蹄音が届いた。


 炭焼き小屋を飛び出る。樹々の合間に騎兵隊が見えた。その動きに迷いはなく、一直線にフェクトたちのいる森に向かってくる。


「相手は馬だ。森を出たら直ぐに捕まる。この中で戦うしかない」


「私には『神』の遺産があります」


「使うだけでも危険だ。俺がいれば使う必要もない」


「マルガント殿は狂信者に負けて逃げた。つまり、実力に劣っていた。ですよね?」


 痛いところを突かれた。


「……その通りだ。騎兵の数は、五十ぐらいか。右肩を痛めた今の状態で相手にするのはかなりきつい。でも、死ぬ気で戦えばお前を逃がすぐらいはできる。それなら『神』の遺産を使う必要はない。仮に裏切ったとしても、『転移』を使って逃げれば良い。どこに行くにしろここよりはましだ。何より、俺を信用する必要がない」


 ランカは何も言わない。刻々と迫ってくる騎兵隊を険しい表情で睨んでいる。


「お前の護衛は誰だ、ランカ」


「……ここを切り抜けられれば、私の護衛はマルガント殿です」


 フェクトは笑い、懐から短剣を取り出した。


「炭焼き小屋に隠れてろ!」


 第一の関門は突破した。次は第二の関門だ。騎兵隊が森に突入した。フェクトは樹々の間隔が狭い場所まで移動する。


 そこで、気付いた。騎兵隊の先頭にはいるのはザントアだ。ブライトもいる。従っている騎兵も皆、マルガント家に忠誠を使う兵士たちだった。


 ザントアたちは進路を塞ぐ樹々を物ともせず、フェクトの前に到着した。


「色々とあったようだな、フェクトよ」


 馬上のザントアが呟くように言ったその言葉は、フェクトの耳へ明瞭に届いた。背後に控える兵はおろか馬までも、僅かな音すら立てずに整列している。


「ごめんね、フェクト」


 ブライトの騎馬が前に出てきた。


「狂信者の件は二人で協力するのが良かったんだけど、父上に止められてたからさ」


 協力すれば必ずブライトに狂信者を押し付けていただろう。だからザントアは協力させなかった。正しい状況判断だ。


「ブライト、用は済んだな。お前はお前の職務を果たせ」


 言って、ザントアは背後を親指で指し示す。ブライトは肩を竦めてからフェクトに手を振り、数人を引き連れて二人の死体がある方へ向かった。


「あの死体はお前の仕業か」


「狂信者の方はな。もう一人は味方で元貴族だ。そいつの領地が狂信者の地元らしい。そこで殺しもしてる。詳しくは自分で調べるなりブライトに聞くなりしてくれ。俺はこの国を出る」


 ザントアは、フェクトを睨んだ。


「どこに行く」


「そこは重要じゃない。俺には目的ができた」


「騒ぎを起こしたから逃げるのか」


「逃げない。取りに行く」


 ザントアの鋭い視線が、フェクトの頭から爪先を行き来する。


「何を、と聞いても無駄のようだな。お前が隠そうとしていたものは、それに関係があるのだろう。王都の騒ぎもそうか?」


「それも聞いても無駄だ。俺が答えられるのは、基本的に何一つないと思ってくれ」


 ザントアが馬から下りる。兵の一人に眼をやると、その兵が柄巻きがぼろぼろの剣をザントアに手渡した。


「これはお前の剣だ。片時も手放すな」


 ザントアが柄巻きがぼろぼろの剣を突き出した。フェクトはザントアを見つめ、それから一歩一歩地面を確かめるように歩み寄る。


「俺を捕まえに来たんじゃないのか。賞金まで掛けたって言うのに」


「そうだな……」


 柄巻きがぼろぼろの剣を受け取った。特に剣が変わったわけではない。しかし腰に下げてみると、以前より躰の一部に近づいた気がした。


「貴族には二種類ある。分かるか」


「名目はともかく、自分で領地を得た貴族と、王から地位を貰った貴族だ」


「マルガント家は前者だ。前者と後者では、その役目が違う。後者は王の命令が第一だ。しかし、前者は自らの家、領地を守る事が第一だ。その為ならば、王を討つことすら躊躇ってはならない。場合によっては自らが王となる。お前はそういう家で生まれ、育った」


 毎日が鍛錬だった。武門の家柄らしく武芸が主だったが、学問も叩き込まれた。自由な時間はほとんどなく、友達と言えそうなのは兄弟ぐらいだった。


「性には合ってた。退屈は退屈だったけどな」


「お前がマルガント家の人間に相応しい証拠だ。地位を与えられた貴族は、何も考えずに王の命令に従っていれば良い。だが、自ら領地を得た貴族は自らの脚で立ち、歩かねばならない。お前は幼少期から自分の脚で立っていた。そして歩き出そうとした時、止まった」


 ザントアは己の馬の手綱を掴み、フェクトに押し付けるように渡した。


「お前は勘当だ。……もう止まるなよ」


「本当に、何があったか聞かなくて良いのか」


「顔を見た。それで十分だ」


 兵の一人がザントアに馬を譲り、まもなくザントアたちは走り去った。


「剣の他に、口も上手いんですね」


「こうなるとは思ってなかった」


 振り返ると、ランカはフェクトを通り過ぎ、馬の鐙に手を添えた。


「どうしました? 他にも追手は残っていますよ」


「俺はまだ信用されてない」


「損得勘定です。それに、元々信用していません」


 当たり前の事なのに、虚を突かれた思いだった。


 始まりはランカに脅された事だ。二人の間に信用など少し足りともない。そもそも崩壊するものがなかった。


「ですので、これから私の信用を勝ち取ってください」


 フェクトは笑みを浮かべて馬に乗り、ランカを後ろに引き上げた。


「俺はお前の護衛だ」

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る