第26話 屑

「お前は屑か、フェクト・マルガント」


 田園の畦道を進んでいるとフリーティに出くわした。その躰に似合う小さな剣を腰に下げ、唯一力強い眼で見つめてくる。


「思ったより屑だったらしい」


 口にしても、心に響くものはなかった。フェクトはフリーティの脇を通り抜けようする。


「お前は屑ではない」


 フェクトは笑い、フリーティの目の前で足を止めた。


「どっちだよ。……どっちでも良い」


「俺は元貴族だ」


 会話にならない。早くこの国から出よう。フェクトは歩みを再開した。


「聞け! フェクト・マルガント!」


「耳は塞いでねえ。喋りたいなら勝手に喋ってろ」


「失脚したのは父が治世を誤ったからだ」


 フリーティの声が着いてくる。フェクトは構わず、王都の北に進んでいく。


「担当者の判断は妥当だった。家の誰もが納得し、領地の引継ぎはつつがなく行われた。しかしどうしても疎かになる部分はあるもので、狂信者トルエルクスが現れたのはその頃だった。我が家が失脚しなければ、まだ証拠隠滅の腕が未熟な段階で捕まえられただろう。多くの人間が惨殺されることもなかった。俺は貴族ではなくなったが、今でも心は貴族だ。俺が狂信者トルエルクスを殺そうとしているのはそういう事だ」


 フリーティの声がいつまでも遠くならない。さりとて、足を速めようという気力も湧かなかった。


「だから俺は、貴族らしくない人間が嫌いだ」


「……俺が嫌われてた理由はそれか」


「嫌ってない。むしろ気に入っている。でも、好きまではいっていない」


「振る手間が省けて良かった」


「真面目に聞け、フェクト・マルガント。人はお前の立ち居振る舞いを見て、マルガント家の問題児と呼ぶ。間違ってはない。確かにお前は問題児だ。だが、俺は貴族失格とは思わない」


 貴族に対するあてつけ以外でそう言われたのは初めてだ。フェクトはくつくつと笑った。


「眼も悪いのか?」


「そうかな? お前は王都に来て夜の街に君臨した。それから毎夜毎夜の大騒ぎだ。誰もが眉をしかめた。だが、結果として王都の治安は良くなった。いつもは法に触れる時間に騒いでいるからだ。中にはあの騒ぎを生きがいにして生き方を改めた人間もいる。これは偶然か?」


 偶然に決まっている。街の治安を良くする問題児がどこにいる。


「頭も悪いのか?」


「いや、意図した事だ。それが分かっていたから、父親のマルガント公はお前を放っておいた。必ずや一角の貴族になるだろうと期待して。そうでなければ、マルガント家の評判を下げるお前を五年も放っておくわけがない」


「……鬼畜親父も人の親だって事だ」


「なら貧民街の住人を殺す狂信者を憎む理由は?」


「……憎んでない」


「酒場で騒ぎもせず、一心不乱に探していただろう。悪逆非道な狂信者に怒り狂った筈だ」


「……狂信者の存在は、王都に来て直ぐに知った。それでも五年間何もしなかった。狂信者に執着したのは親父に命じられたからだ」


「それは狂信者の存在しか知らなかったからだ。犯行を知ってからのお前は眼の色が変わったぞ。それに、何故犠牲者の死体をわざわざ埋葬させていた?」


 フェクトで鼻で笑い口を開け、そこで黙り込んだ。


「まだあるぞ。暴徒の反乱にしても、貴族街だけを重犯罪者に襲わせた」


 フェクトは振り返り、フリーティを見下ろした。


「やっぱり眼が悪いな。燃えたのは王都全体だ」


「俺はこの躰だ。武器になるのはこの眼だけだ。お前が狂信者に対して強い感情を持っている事も分かる。王都全体が燃えているのも、別の者が手引きしたからだと知っている」


 フェクトは、右手でフリーティの胸倉を掴んだ。肩に痛み。苛立ちが勝った。


「何が言いてえんだよ!」


「正直になれ! いつまでひねくれているつもりだ!」


 フリーティの顔に唾を飛ばした。


「次に喋ったらお前を殺す」


「いいや、お前は殺さない。俺は悪人でもなければ、お前を襲ったわけでもない。そんな俺をお前は殺さない」


 フェクトは剣を振りかぶった。


「お前は眼も悪い。だからここで死ぬ。俺は今までずっと何の罪もない女を殺そうとしてた。見込み違いだったな」


 首に刃を当てる。フリーティの瞳は些かも揺るがない。


「ランカ・ウォースイは生きている、それが答えだ」


「……問題がいくつも起こった」


「違うな。お前は絶対にその女を殺せなかった。絶好機が訪れても直前で殺しを止めていた筈だ。それどころか、下らない理由や計画を立てて殺しそのものを延期していたのではないか? ……ほら、俺はまだ生きている」


 フリーティを突き飛ばし、フェクトは剣を下ろした。


「そんなに狂信者を殺したいか? 俺を焚きつけてあの糞野郎にぶつけて、その隙に殺すつもりなんだろ? 自分一人じゃ戦えもしねえからな」


 顔についた唾を拭って、フリーティはふらつきながら立ち上がる。


「そうだ。俺一人で狂信者は殺せない。今までですらそうだったのに、摩訶不思議な力を持った今では土台不可能だ」


 再び、フェクトは剣を構えた。


「どこで知った」


 言って、フェクトは微笑する。今更知られたところで自分には関係ない。


「不可能なら諦めろ、フリーティ。……俺はもう諦めた」


 王都が落ち着きを見せ始めている。立ち上る煙は数を減らし、避難所の人だかりも小さくなっていた。今は騒動の主導者を探し出そうと躍起になっている頃だろう。


「じゃあな」


 フェクトはフリーティに背を向けて、あてもなく王都から離れていく。


「お前は屑か! それとも正義漢か!」

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