第25話 狂信者と相見える

 避難所を抜け出した。しかし、ここからどうする。この先は農耕地で隠れる場所がない。どうやったら修道会の魔の手から逃げおおせる。


 『神』の遺産だ。


「ランカ、『転移』は使えるか」


 荒い息を無理やり整えて、ランカは口を開いた。


「場所の指定ができません。最悪は王都に逆戻りです。ですが、『地雷』なら可能です」


 駄目だ。『地雷』を使えば避難所が消滅する。それではバートマと同類になってしまう。


 戦うしかない。しかし、相手は精鋭が複数人。対して自分は、衛兵に体当たりした時に痛めた右肩が満足に動かない。左手でも剣は扱えるが、ランカを守りながらでは勝利を得るのは難しい。


 納屋が眼に入った。振り返って修道会の位置を確認する。あそこなら追いつかれる前にたどり着く距離だ。小さな納屋だが壁があるだけでも戦いが随分楽になる。


「あの納屋に行く! 死んでもついて来い!」


 街道を外れて田園をひた走る。作物を植えたばかりの畑を踏みつけていく。矢が飛んできた。眼の前の地面に突き刺さる。


「先に行け! 納屋で隠れてろ!」


 足を止めて修道会に向き直る。飛来する矢が眼に入る。寸前、剣で叩き落とした。


「来な! 俺は強いぜ」


 言いながら下がっていく。修道会がじりじりと詰めてくる。フェクトは牽制で飛んでくる矢を払いつつ、徐々に納屋に向かっていく。


「そんなに警戒してくるのは嬉しいな。お前たちも分かってるだろ? さっき衛兵と戦った時に右肩を痛めたんだよ。そのせいで利き腕が全く使えない。ほら」


 服をはだけて右肩を見せる。自分でも驚くほど鬱血していた。修道会は目線を交わして合図を送り合う。二人が弓に矢を番え、四人が剣を手に慎重に足を速めた。


「待て待て待て。分かるだろ、交渉しようって持ちかけてるんだよ。俺は怪我してる。そっちは六人だ。何を怖がってるんだ。ランカはお前たちにやる。だから俺は見逃せ。な?」


 修道会は一言も発さない。やはり精鋭だな。一切隙を見せない。強引に行くしかないか。


 フェクトは動いた。


 左に弧を描きながら一番近い敵に突っ込んでいく。飛んできた矢は一本。顔面。首の動きだけで避けた。もう一本は味方に射線を遮られて放てないでいる。


 フェクトは敵に飛び掛かった。反撃の上段切り。敵の手元を殴って逸らし、懐に入り込む。露になった首筋を、力一杯噛み千切った。


 返り血が顔を濡らす。視界が赤く染まっていく。だが、眼は閉じない。力の抜けた敵から剣を奪い取り、襲ってきた二人を瞬時に刺し殺す。


 また矢が放たれた。今度は二本、胸と横腹。横腹は避けた。胸は難なく叩き落した。


 最後の剣士は足が止まっていた。二人の射手は急いで矢を番えようとしている。フェクトは射手に突進した。


 矢を引き絞ったと同時に一人の首を撥ねた。矢が明後日の方向に飛んでいく。もう一人が矢を放った。首のない死体を盾にする。被矢の鈍い音。瞬間、もう一人に向かって剣を投擲した。


 喉笛に突き刺さった。死体が力なく倒れていく。右に気配。フェクトは、右手で懐の短剣を引き抜いた。


 剣を振りかぶった男の顔に驚愕が広がる。フェクトは短剣を投げつけた。右肩に激痛が走る。弱弱しく飛んだ短剣はあっさり避けられた。


 しかし隙が生まれた。フェクトは敵を蹴り飛ばす。仰向けに転んだ敵に覆い被さり、剣を奪って止めを刺した。


「……敵の言葉は信じるな。ついでに俺は我慢強い」


 死体の服で顔の血を拭い、フェクトは立ち上がった。辺りに追手がいない事を確認して、剣を手に納屋へ走り寄る。


「終わったぞ、ランカ。一先ずは安心だ」


 納屋に入った。緩みかけていたフェクトの緊張が、にわかに引き締まる。


 修道会の男がランカを縛っていた。


 ランカは全く抵抗を見せない。縛っているなら死んではいないだろう。気絶させられたか。フェクトは剣を構えながら敵に忍び寄っていく。


 狙いは項だ。剣を振り上げ、最低限の速度で音もなく振り下ろす。


 金属音が響いた。


 斬撃を止められた。気配は消していたのに、男は寸前で振り返って剣で防いだ。あの六人とは比べ物にならない程のやり手だ。フェクトは納屋の入り口まで飛び退った。


「お嬢様、助けが来たようですよ」


 男が言う。呻き声が聞こえた。縛られて横になったランカが芋虫のように躰を動かす。男はランカを軽く蹴った。


「慌てなくても後で相手をする。だから今は静かに。ね?」


 ランカが大人しくなった。良く見れば、ランカの口には猿轡が噛ませられている。


「……お優しいねえ」


「当然ですよ。お嬢様は大事な大事な『神』の遺産の情報を持っている。丁重に扱うのは当然でしょう」


 当たり前の言葉だ。それなのに、違和感を覚えた。


 バートマは手下に『神』の遺産を話したのか。話さなくとも手下は従うだろう。というより、話せば手下の離反を招く恐れがある。


「『神』の遺産の事は、狂信者のバートマに教えてもらったのか」


 男は鼻で笑った。


「俺が狂信者だ。顔を合わせるのは二度目だな、フェクト・マルガント」


 それで気付く。この男は、王都でランカを襲おうとした男だ。声は勿論、化粧の仕方もあの時とは違う。この男が、連続殺人鬼の狂信者だったのか。


「神学長は俺の勘違いか」


 男は腹を抱えて笑った。


「あの人が? 一番あり得ない人種だ。部下を勝手に動かしている事を、俺がどれだけ苦労してあの人に隠したと思ってる。人を心酔させるのは難しいんだぞ」


「……証拠を見せてもらって良いか。人違いで殺しをしたくない」


「喜んで。鬱屈とした心は隔離され、散々とした躰は貫かれる。追討する貴方は口角を上げ、嘲る私はそこにいた」


 眼前に狂信者。剣が迫ってくる。フェクトは素早く剣で受け止めた。


「お見事。鬱屈とした心は隔離され、散々とした躰は貫かれる。追討する貴方は口角を上げ、嘲る私はそこにいた」


 狂信者が消える。フェクトは振り向き様に剣を薙ぐ。金属音。狂信者の剣とかち合った。狂信者がわざとらしく眉を持ち上げる。


「お見事。流石はマルガント家の人間だ」


 『転移』は強力だ。しかし、対処は難しくない。


 『転移』の移動は一瞬、視界から消えれば後ろにいる。視界に残っていればそのまま見て反応するだけだ。いつ『転移』が発動するかも呪文が唱え終わった時と分かりやすい。


 前触れもなく、狂信者が消えた。


 熱が背中を縦断する。フェクトは振り返りながら剣を薙いだ。悠々と後退して躱される。


「腹話術と同じ要領だよ。まさか、こんな馬鹿でも気付く弱点で勝ち誇っていたのか。マルガントの問題児にも可愛いところがあるんだな」


 冷や汗が流れた。


「……今のが命取りにならない事を祈ってるよ」


「ありがとう。でも必要ない。俺は油断しない男だ。そして、お前はいたぶって殺す。あっさりとは殺さない」


 自分は死ぬだろう。


 右肩が万全だったとしても死ぬ。百回戦っても百回死ぬ。


 それは負けとは違う。『転移』を操る狂信者は強敵だが、壁を背にして戦い、狂信者の攻撃を即死しないように躰で受け止める。それから狂信者が次の行動に移る前に、その喉を切る。これで狂信者を殺せる。


 しかし、自分は死ぬ。他に狂信者を殺す方法はない。


「……なんでランカを殺さない。『神』の遺産を独り占めしたいんだろ?」


「良いのか、お喋りに時間を使って。こうしている間にも様々な人間がお前を追っているぞ」


「構わねえよ。それとも不都合があるのか」


 唇を歪め、狂信者は微笑した。


「ない。俺の工作は完璧だ。良いだろう、質問に答えよう。もしかしてこの状況を切り抜けれれるかもという希望があった方が、最期の絶望が彩って良い。お嬢様を殺さない理由は単純、俺より『神』の遺産を情報を持っているからだ」


「ランカはそこまで『神』の遺産を使えないぞ」


「実戦経験の差だ。お嬢様は優秀だよ。俺が何年も掛けてひっそりと解読していた暗号をあっと言う間に解き、追い抜いていった。俺は一つ目の『神』の遺産こそ手に入れたが、二つ目は存在すら知らなかった。だから泳がせて調査を進めさせ、こうして横取りに来た」


 旅中の襲撃は手っ取り早く捕まえて調べようとしたが、護衛の存在と第二の『神』の遺産を知って計画を変更した。それからはトロネット山消滅の調査で手が回らなくなった。おそらくそんなところだろう。


「要は、俺は無関係ってことで良いか」


「『神』の遺産という点から見ればそうだな。誰かに話すつもりもないだろう?」


「当然。俺の目的は人生を楽しく遊ぶ事だ。『神』の遺産が公になれば、関係者として縛られるのは眼に見えてる。そんなの御免だね」


 『神』の遺産を手にした連続殺人鬼、狂信者が野放しになっている。吐き気がする。是が非でもこの男を殺したい。


 だが、自分は死ぬ。


 それなら戦わないだけだ。死んだら人生を楽しむことはできない。どんな辛い人生でも、死ぬよりは良い。


「ってわけだ。俺を見逃してくれないか。ランカは好きにすれば良い」


 ランカが呻いて暴れる。狂信者は首を振った。


「お前は、いたぶって殺す」


「この場だけで良い。お前にとって今重要なのは、ランカから『神』の遺産の情報を聞き出す事だろう? 俺なんて後からでも殺せる。見逃してくれよ」


 狂信者は斜め上に視線を向け、数秒してからフェクトに眼を戻した。


「お前はもしかして、態勢を建て直せば俺に勝てると思っているのかもしれない。それは間違いだ。俺があのトロネット山を消した『神』の遺産を手にすれば敵はいない。国が相手でも同じだ。……気が変わった。帰って良いぞ」


 僅かに重心を低くして、フェクトは嬉しそうに聞こえるように高い声を出した。


「良いのか」


「大丈夫、罠じゃない。言ったろう、俺は油断しない。ここでお前と戦うより、あの『神』の遺産を手に入れてからお前と戦った方が確実だ。どうぞ、女を捨てて惨めったらしくお家にお帰り。で、お父様の膝の上で女の子みたいに震えながら俺を待て」


 狂信者はほくそ笑む。ランカは相変わらず暴れている。フェクトは後ずさり、警戒を怠らずに納屋を後にした。


 どこか、晴れ晴れとした気分だった。


 これで自分を縛っていた『神』の遺産とランカ・ウォースイともお別れだ。狂信者は絶対に追ってくる。ザントアも行方を晦ませた自分を探す。


 でも、自分は自由になった。


 一生逃げ回る人生になるだろうが、生きていればいくらでも楽しい事はある。


「北にでも行くかな」

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