第23話 王都からの脱出

王都が燃えていた。貴族街だけでなく、王都全域が燃えている。


 どういうことだ。


 そんな指示は出していない。襲うのは貴族街だけだ。暴徒が貴族街からあぶれたにしても騒動の範囲が広すぎる。別の集団がいなければ説明できない範囲だ。


「おい! フェクトはどこに行った!?」「知るか! 良いから必死こいて探せ! 捕まえたらいくら出ると思ってんだ!」「金なんてどうでも良いんだよ! あの糞野郎は俺たちを捨て石にしやがった! 必ずこの手で捕まえていびり殺してやる!」


 その上、暴徒の一部が執拗に自分を探している。これは想定範囲内だから良い。

フェクトとランカは路地裏で息を秘めて、暴徒たちが去っていくのをじっと待つ。


「修道会の仕業でしょうか」


「王都全体に被害が広がってるのは分からない。暴徒の方も違うな」


 バートマと修道会は暴徒の鎮圧で身動きが取れない筈だ。それに大貴族マルガント家の人間にこうも表立って敵対するのも不自然だ。復讐が目的にしても味方のふりをして後ろから刺すだろう。ならば、考えられるのは一つだ。


「親父が動いたな。俺を捕まえたら賞金を出すとでも言ったんだろ」


 これでマルガントという後ろ盾は完全になくなった。暴徒たちも敵に回っている。衛兵や修道会は元より障害でしかない。


 周りは敵だらけだ。しかも時間が経てば経つほど状況は悪くなる。そして、まだ昼を過ぎて間もない。簡単に身を隠せる夜を待つ余裕はないか。


「まずは王都から出る。これじゃバートマを始末する前にこっちが殺される」


「従います」


 暴徒たちが喚きながら遠ざかっていく。フェクトは路地から飛び出てると、ランカが着いてきていることを確認して次の路地裏に移動した。


 状況は悪いが、とにかく狂信者バートマが再び動き出すまでが勝負だ。路地裏に店を構える薬売りを飛び越えて、無許可の武器商人から獲物を奪うのに夢中な暴徒の脇をすり抜ける。


 気がかりがあるとすれば、ランカの体力だ。


 フェクトは雑多に積まれた木箱の陰から表通りの様子を伺った。逃げ惑う一般人に商家を襲う暴徒たち、あちこちで火の手が上がり種々の役人が対応に追われている。


 間もなく、息を切らしたランカがたどたどしく追いついた。


「死にたいのか」


「……すみません。ウォースイ家に引き取られてからほとんど躰を動かしてこなかったので。少しだけ時間をください」


 初歩的な見落としだった。


 『神』の遺産の調査で疲れた様子を見せなかったから、ランカの体力不足を考慮に入れていなかった。いや、おそらくあの時も疲れていたのだろう。しかし、ランカをまともに見ていなかったから気付かなかった。


「……急げよ」


 返事をする余裕もなく、ランカは胸に手を置いて盛大に呼吸を繰り返す。先ほどの場所からほとんど走っていないのにこの有様だ。これではいつになっても王都を脱出できない。


 不意に、暴徒たちが近づいてきた。小汚い不格好を戦利品と返り血で着飾って、馬鹿笑いしながら酒を呷っている。行くぞ、言ってフェクトは路地裏の奥に戻った。


 足音がついてこない。振り返る。ランカは呼吸に気を取られて気付いていない。最悪だ。悪態を吐く時間も惜しい。フェクトは短剣を抜いて駆け戻った。


「おいおい、食後のおやつが転がってるぜえ」


「『神』様のお召し干しって奴だな。頂いちまおうぜ」


 暴徒たちが野卑に笑う。壁際に追い詰められたランカは逃げようとするが、まだ息は乱れて足も微かに震えている。


 フェクトは切り込んだ。一人の首筋を切り裂き、ランカを背中に隠して暴徒たちに立ち向かう。瞬間、暴漢の一人が大声を上げた。


「フェクトがいたぞおお!」


 即座に二人を殺した。しかし、そこが限界だった。


 残りの暴徒は距離を置き、ランカに手を出そうとしてくる。フェクトはランカを守ろうとして手が出せない。そうしている内に近辺の暴徒が集まってきて、あっという間に十数人に囲まれた。


 にやけた笑みが、どの暴徒の顔にも張り付いてる。


「フェクトの糞野郎は生まれた事を後悔させて殺す。その後は全員でこの女を楽しもうぜ」


 周りは完全に塞がれていた。この状況で体力のないランカを連れて逃げるのは不可能だ。


「……何が望みなんだ」


「お前の死だよ」「金に決まってんだろ」「女」「特にねえ」「お前の苦しむ顔だ」

 てんでばらばらの答え、これでは交渉になりようがない。頭株らしき人物がいれば良いが、流石に暴徒全員の人柄までは把握していない。


「お困りか、フェクトォ」


 眼付きの鋭い禿散らかった男が、暴漢たちを割って出てきた。顔の腫れは引いているが、紫色の痣はくっきり残っている。


「助けに来てくれたのか」


 そんなわけがない。禿散らかった男が黄色い歯を見せる。暴漢たちは口を閉ざしていた。この男が、この集団の頭株か。


「俺たちを痛めつけてもすっきりするだけだぞ」


 禿散らかった男は手にした剣を舐めるように眺め、ふっと笑った。


「それが一番重要だと思うのは、俺だけじゃねえと思うぜ」


「すっきりするだけで終わらせるのはもったいないだろ。俺について来いよ。もっと面白いところに連れて行ってやる」


「売春宿ぐらい自分で行く」


「いまさら行きつけの店に行っても新鮮味がないだろ」


「おふくろの味が一番さ」


 交渉の切り口はつかめた。余裕の現れであろうが会話は成立している。他の暴徒たちも手を出してこない。舞台そのものは整っている。


「お前らは噂に踊らされてる。俺がお前らを捨て石にした? どこにそんな証拠あるんだよ。それともこの女が証拠だってのか。冗談じゃねえ。なんで俺がこの女一人に命掛けるよ?」


 禿散らかった男は、顔の痣を愛おしそうに撫でた。


「噂を流したのは俺だ」


 王都の炎が、一段と燃え盛って見えた。


「王都全体を燃やしたのはお前か。俺に弄ばれたのがそんな悔しかったか?」


「そっちは知らねえ。俺がやったのはお前の悪行を言い触らした事だけだ。お前の親父がお前を捕まえようとしてるって噂もあって、この通りだ。知ってるか? お前を嫌ってる奴は結構多いんだぜ」


 嘘を吐いている様子はない。なら、騒ぎを王都全体に広げたのは誰だ。


「おいおい、何勝手に考え込んでんだよ。俺をしっかり見ろ。お前を殺す俺を、その眼にしっかり焼き付けろ!」


 フェクトは余裕ぶって笑った。


「御託は飽きた! 良いからさっさと殺しに来いよ! ただし、覚悟しろよ。この女は殺せても、お前らじゃ俺は殺せねえ。全員動けなくしてから生き地獄を見せてやる」


 暴漢たちがたじろぐ。禿散らかった男は唾を飛ばして怒鳴った。


「何体何だと思ってる! フェクトを血祭りにあげるのは俺だ! てめえらは俺に従ってフェクトの邪魔に徹してれば良いんだよ! それでもビビんのか!」


 次々に暴徒たちが奮い立った。禿散らかった男は黄色く濁った歯を剥いて笑みを浮かべる。


「異議あり! だな」


 野太い声が響いた。


 全員が表通りに眼を向ける。禿散らかった男の眉尻がつり上がった。


「助かったぜ、ブルパ」


 フェクトは笑う。ブルパが短剣を投擲した。フェクトの頬に痛みが走る。


「俺を捨て石にしたカスが! 黙ってろ」


 フェクトは無言で頬の血を拭い、ブルパを睨んだ。従えているのは四人。全員恰幅が良く、手にした武器も様になっている。


 禿散らかった男が舌なめずりした。


「大事な大事な兄貴を助けに来たか。良いぜ、フェクトの墓を掘らしてやる。しかも一緒に入らせてやるよ」


 ブルパは呆れたように鼻で笑った。


「フェクトを殺すのは俺だ。眼の前の肉取られそうになって黙ってられるかよ」


 禿散らかった男の表情が静まり、剣を下ろしてブルパに歩み寄る。


「そうだよな、兄弟。いくら日頃慕ってようが、捨て石にされたんじゃそうなるよな。良し、ならこうしようぜ。とりあえずフェクトは生け捕りだ。話し合いはその後にしようぜ。俺たちが揉めてもフェクトの思う壺だ。な、仲良くしようぜ」


「抜け駆けは無しだぜ」


 ブルパの左手が動いた。一瞬の間、ブルパは禿散らかった男を蹴飛ばした。


「……やり、やがったな」


 禿散らかった男が呻く。その腹には剣が突き刺さっていた。


 すぐさま、フェクトは眼前の二人を殺して退路を開いた。ランカの手を掴んで包囲網から飛び出していく。ブルパたちが暴徒たちに飛び掛かる。


「兄貴、これを!」


 視界の隅で何かが舞う。フェクトは一瞥して受け取った。衛兵に支給される剣だ。長さと重さの均衡が取れ、味気はないが扱いやすい。


「南です! そこが一番手薄だ!」


 フェクトはランカを引っ張って、脇目も振らずに疾走した。


 直ぐに、ランカの激しい息遣いが聞こえてくる。ランカの体力不足は致命傷だ。やはりどこかに身を隠し、夜を待って王都を脱出するべきか。


「マ、マルガント殿、大変です!」


「黙って走れ!」


「違います! 追手です!」


 振り返る。確かに追手がいる。隊列の揃った動きだ。暴徒ではない。


「修道会です!」


 あり得ない。早すぎる。まだまだ暴徒の鎮圧には程遠い。こちらに人を割く余裕はない筈だ。それにランカが奪われた事もバートマに伝わっているか怪しい頃合いだ。


「糞っ!」


 考えている暇はない。ここで捕まれば全てが終わりだ。


 だが、既にランカの体力は限界に達している。ただ逃げるのはこれで終わりだ。フェクトたちは大通りに出る。暴徒と衛兵が入り乱れ、庶民が嘆きあるいは戦う最中に飛び込んだ。


 走りは歩きに変わり、戦場を滑らかに縫っていく。無差別に襲ってきた暴徒を一撫でで殺し、咎めようとしてきた衛兵が口を開く前に黙らせる。


 引っ張っているランカの手が異様に重い。流石に休憩が必要か。フェクトは辺りに視線を飛ばす。壊されたのか元から朽ちているのか分からない長屋が戦場から孤立している。


 間髪入れずに長屋に押し入った。人の気配はない。暴徒が荒らした様子もない。古びているのが功を奏して見逃されたようだ。


「ここで少し休む。直ぐに息を整えろ」


 ランカは肩で息をしながら頷いた。フェクトは素早く長屋の出入り口を確認する。

 修道会を撒くにはどうしたら良い。奴らが困るのは何だ。


「……避難所に行きましょう」


 まだ息を荒げているランカが言った。なるほど、そこが一番か。


 修道会を率いるバートマは、現国王の懐剣として国家に尽くしている。表面上はそう振舞っている。それなら、国家を支える一般人を足蹴にするような事はしないだろう。


 ランカの息が整ってきた。フェクトは剣の鞘を捨て、ランカの背中を押した。


「一番近い避難場所は南の城門の筈だ。あそこに防衛線を敷くのが手っ取り早いからな。俺は後ろから行く。疲れても限界まで走れよ」


 頷き、ランカは長屋を走り出た。フェクトも辺りを見回してから進み出す。


 戦いは城門に近づくにつれ激しくなっていく。誰が指揮したのか大騒ぎの域を超え、完全なる反乱の体を成している。あちこちに死体が散乱し、盛った煙で辺りは薄暗い。八方からの火災が肌を焼き、己を鼓舞する叫びに満ちている。


 背後から足音が迫ってきた。


 速く静か。見なくても分かる。修道会だ。ぐずぐずしてはいられない。だが、城門の外にある避難所を守ろうと、衛兵たちが必死に防御陣を敷いている。


「変われ! 俺が切り開く!」


 ランカの前に出た。勢いのまま防御陣に突っ込んでいく。


 鎧の隙間に短剣を差し込んだ。肉を断つ感触、骨を割る音、衛兵の躰から力が抜ける。そこで止まらない。反応を見せた近くの衛兵の頭部を剣で殴り、さらに前進する。


 突破まで後二人。短剣を投擲して隙を作る。瞬間、脇から剣を突き入れた。絶叫が響く。もう一人の衛兵が血走った眼で剣を大上段に振りかぶった。


 フェクトは姿勢を低くして突進する。衛兵の腹に肩から体当たりした。激痛が走る。鎧の上から攻撃すれば当然だ。構わず下から衛兵をかち上げる。


 衛兵がひっくり返った。防御陣が開ける。目前に数百人規模の避難所が広がった。


「着いてきてんだろうな!」


「だ、大丈夫です!」


 怯え交じりの元気な返答だ。フェクトはランカを先に行かせ、後を追いながら防御陣を振り返る。


「……そうだよな!」


 修道会は問答無用で衛兵を殺し、防御陣を突破しようとしていた。なりふり構わなくなっている。今度こそ本格的に捕まえに来たか。数は数人だが誰もが精鋭だ。この分だと防御陣はあっけなく突破される。そして、避難所にも襲ってくる。


「ランカ! そっちは駄目だ!」


 遅かった。ランカの姿が避難所の人群れに消えようとしている。声が届いた様子もない。フェクトは毒吐いて群衆に飛び込んだ。


 こうなったらいち早く群衆を抜けるしかない。幸い、元から混乱していた避難所に動揺はなかった。フェクトは速足でランカに並ぶ。


「急げ、修道会が来る。奴らはここの人間を殺すぞ」


 不意に、喧騒が変わった。


 陰鬱で緊迫した雰囲気を切り裂いて、叫喚が走ってくる。一足先に女の甲高い叫びが飛んできた。人垣の隙間に修道会の姿が見える。道を塞ぐ一般人を問答無用で殺し、フェクトたちへと一直線に近づいてくる。


「直ぐに出るぞ!」


 言うなり、フェクトはランカの手首を掴んで走り出した。群衆をかき分け押し倒し、強引に道を切り開いて進んでいく。


「俺たちはこっちだ! 追って来いよ!」


 考えが甘かった。


 バートマは狂信者だ。いざとなれば誰が相手だろうが躊躇なく殺すに決まっている。避難所に逃げ込もうと思ったのが間違いだった。


 あんな奴らに、『神』の遺産は渡せない。

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