第22話 少女の窮地

 滅多に使われない殺風景なバートマの私室で、ランカは椅子に座っていた。向かいに立つバートマは窓から眩しそうに外を眺め、ランカに向き直る。


「茶と茶菓子はない」


「久しぶりの……親子水入らずの会話です。何もないのは寂しいと思いませんか」

 親子。口にするだけでも虫唾が走る。しかし、時間稼ぐ為なら仕方ない。


「今の私は親ではない。神学長だ」


「それでしたら猶更必要です。上司と二人きりで話すのは緊張しますから」


「私もそうだ。そして、それが普通だ。さあ、トロネット山消滅の件で知っている事を全て話せ。神学者として神学長に報告せよ」


 時間稼ぎは一つだけではない。一つ一つの余計な動作や不必要な言葉でも、積み重ねれば結構な時間稼ぎになる。


「……あれは、夜に輝く太陽でした」


 バートマは小さな笑みを漏らした。


「それで良い。最寄りの村の人間が似たようなことを言っていた。まさしく天変地異。いや、『神』の御業とも言うべき事態だな」


 本当にいやらしいやり方だ。これまで手を出して来なかったのも、泳がせている間に『神』の遺産の調査を進めさせる為だろう。そうしてトロネット山消滅の件が一段落した今、その成果を横取りしようとしてきた。


「やはり噂とほとんど変わらない内容のようですね。私と話すのは時間の無駄では? まだ残っている仕事を片付けるのが先決だと思いますが」


「私はお前と話すのが先決だと考えている。何故、今まで黙っていた」


「何度も説明した筈です。それとももう一度言いましょうか」


 バートマは一度眼を瞑った。


「例え噂と変わらなかろうが、神学者の口から語られれば噂ではなく真実となる。しかもそれが『神』に関わる事であるなら、猶更報告の義務がある筈だ。違うか、神学者ランカ」


「私が語れば真実になるからこそ、不用意な発言は慎もうと思ったのです。下手な情報はかえって調査全体に遅れをもたらす。それなら修道会がある程度情報を集めてから報告した方が良いのではないか、そう判断しました」


 深々と、バートマを溜息を吐いた。


「もう良い。自分から話すつもりはあるのか、ランカ」


 手汗が滲んできた。ここが分水嶺だ。断れば脅迫か拷問を受ける。そうなったら時間を稼ぐのは非常に困難になる。


「……どこから話せば良いのですか」


「調査の初めからだ。勝手な判断はせずに全て話せ」


「……始めはトルパーの村に向かいました。この村には『神』の出生地としての言い伝えがありましたが、そのような言い伝えが残る土地は無数にあります。ですからその信ぴょう性の低さにより、今まで詳細な調査が行われる事はありませんでした」


 バートマの表情はぴくりとも動かない。しかしランカの口が止まっても、先を促すような仕草を見せることはなかった。


「……私は村とその近辺で調査を始めました。しかしその途中、謎の集団による襲撃を受け、マルガント殿のお力により逃亡はできたものの、調査は中断となりました」


 微かに、バートマの表情が険しくなった。


「正体は分かったのか」


「いえ、見当もつきません」


「……そうか。続きを」


 バートマはまだ、己の正体に気付かれていないと思っている。間違いない。その前提で話を進めたとはいえ、確信が持てたのには勇気が湧いた。


「……次に私たちは、『神』が世の中に初めて登場したと伝わる大戦が起こった土地に向かいました。ここでも調査を行うつもりでしたが、またも謎の集団の襲撃を受け、逃げている内にトロネット山消滅を眼にしました」


 答えるばかりでは駄目だ。こちらからも質問することで話を変え、少しでも時間を稼ごう。


「その後私たちは王都に戻ってきましたが、急遽予定を変更したのはその謎の集団が原因です。彼らの正体は、目的は何なのか。私たちは外国の勢力ではないかと疑っていますが、何か情報は入ってきていませんか」


 バートマをランカをじっと見つめ、腕を組んだ。


「トロネット山消滅の真偽を確かめる為、各国の諜報員が集まっているという話はいくつも入ってきている。既に外国の商人を数人捕えて尋問しているが、これといった情報は得られていないな」


「片手間で良いので調査をお願いできますか。王都に戻った事で襲撃は止んでいるものの、いつまた襲われるか分かりません」


「頭の片隅に置いておこう。……時にランカ、マルガント殿のご子息はどのような人物だった。噂通りの悪童か? お前の話を聞く限りではしっかりと護衛の役目を果たしていたようだが」


 目下、バートマの最大の敵はフェクトだろう。


 手は打っているだろうが、王族に次ぐ権力を持つマルガント家の人間を簡単には始末できない。そもそもフェクトの実力を考えれば、始末自体にも相当手を焼くだろう。気にするのは当然だし、何よりありがたい。


「噂通り不真面目なところもありましたが、護衛の任そのものは真面目に果たしていました。それに流石は武門のマルガント家の方です。戦いについて一切知らない私でも、その強さが分かりました。マルガント殿は、良く訓練された十人の兵士を相手にしても楽に勝てると言っていましたが、そこに見栄や過剰な自信はないと思います。次回の調査でも、私はマルガント殿に護衛をお願いしたいと思っています」


 無言で頷き、バートマは背中を向けた。


「そうか……。問題はあっても優秀なご子息、マルガント公はさぞ可愛く思い、しかし歯がゆい思いをされてきただろう。私も子を持つ親だ。その事は良く分かる。なあ、ランカよ」


 振り返る。バートマの視線が一直線に突き刺さる。


 ぞくり、肌が粟立った。


「これが最後だ。全てを話せ。全て、余すことなく」


 もう、時間稼ぎは無理なのか。バートマは痺れを切らしている。旅の出来事は追手である修道会がおおよそ把握しているから嘘は通用しない。後は『神』の遺産の情報を吐くか、拷問されるかの二つに一つだ。


「……それは、その……」


 『神』の遺産は話すぐらいなら拷問の果てに死ぬのを選ぶ。しかし、恐怖で躰が冷たくなっていく。頭だけが空回りで熱くなっていく。


「もう良い。トルエルクス、入ってこい」


 眼の前が真っ暗になった。扉の開く音が、間に壁を挟んだように聞こえた。


「ランカが隠している情報を聞き出せ」


 トルエルクス。バートマの命令を受けて修道会を実質的に指揮する男だ。


 バートマが裏で葬ってきた数々の事件は、ほとんどがこの男の仕業であり、目的の為なら赤子すら無慈悲に殺すとまで言われている。


「手段は問わない。お前は己の職務を果たせ」


「いえ、その暇はありません」


 仄かに、ランカの視界に光が戻った。


「現在、貴族街にて多数の暴徒が反乱を起こしています。完全に虚を突かれて貴族街は混乱し、衛兵たちだけでは手が回りません。早急な対応が必要です」


 二人だ。二人の護衛のどちらかの仕業だ。バートマが苦々しく呻いた。


「分かった。トルエルクスは私と来い。数人は屋敷に残してランカの見張りと屋敷の警護だ。急いで王城に向かうぞ」


 言うが早いが、二人は部屋を出ていった。足音も間もなく聞こえなくなり、ランカは盛大に息を吐く。


「助かった……」


 そこで頭を振る。まだ助かったわけではない。この好機を指を咥えて見ているわけにはいかない。バートマたちが去った今、騒ぎに乗じて屋敷から脱出するのだ。


 椅子から立ち上がって振り返る。部屋の入り口に誰か立っていた。


「どこかに御用ですか、お嬢様」


 修道会の男が一人。そんなに甘いわけがないか。


「花を摘みに行きたいのですが」


「ご心配なく。先ほどトルエルクスさんから尋問の指示を受けました。終わった時には尿意など感じなくなっているでしょう」


 男は腰の剣を抜く。無表情に淡々とランカに詰め寄って来る。


「養父は、私を監視しろと言った筈ですが……」


 声が震えていた。足も震えている。ランカは知らず知らずに後退っていくが、直ぐに机にぶつかった。


「尋問するな、との命令は受けていません。神学者なら命と頭があれば十分でしょう。まずは足を切り落とします。これでも医療の知識がありますので、ご心配には及びません」


 鈍い音がした。


 男の躰が棒のように倒れる。後頭部に深々と刺さった短剣が、男の死を物語っていた。


「これで漏らさずに済んだと思うなよ。用足してる暇なんてないぞ」


 フェクトのその姿は、まさに暴漢そのものだった。


「……もしかして、もう漏らしたか?」

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